浜名湖一周の翌日は浜松観光しました。
浜松まつり開催中で、街全体が活気に溢れてました。
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駅前のイベントスペースには山車が何台も並んでおり、観光客が町名の入った半被を着て記念写真を撮ってました。
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日中は市街から離れたところで各町の大凧が空を舞うそうです。
ここ数年、妻との旅行は観光案内所とかに置いてあるウォーキングマップのコースを歩くことにしてます。
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ずは「遠江分器稲荷神社」に。
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家康の命により本殿を修造、穀物の神である倉稲魂命を祀ってます。
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御朱印は書置きで賽銭箱に300円入れてボックスから取ります。最近、無人販売店での盗難が多く発生してますが、御朱印も盗む輩がいるんでしょうか?
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続いては「徳川秀忠誕生の井戸」です。
別にここ井戸からオギャーと産まれたんじないですよ。説明文には家康の側室である西郷の局が2代将軍秀忠を産んだときに産湯としてこの辺りにあった井戸水が使われたという伝承をもとに作られた井戸です。
そーなんだ。このブログ作ってて知ったよ。
本物だと思って中を覗いちまったぜ。
馬鹿みたい!
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浜松八幡宮は市中心付近にありながら多くの樹木が繁茂する鎮守の森に鎮座し、氏子崇敬者からは「八幡さま」と親しみをこめて呼ばれています。 仁徳天皇の御代、遠津淡海の鎮静のため、海運の神として知られる玉依比売命をお祀りしたと伝わり、平安時代の神社を所載した延喜式には許部神社と記されています。 当時は許部の里(南区小沢渡町付近)にお祀りされておりましたが、天慶元年(938)、神託によって現在の地へと遷座されたと伝えられ、永承6年(1051)には源義家公(八幡太郎)により八幡二柱の神が勧請され、多くの武家庶民の崇敬を集めました。
中でも徳川家康公は浜松入城以来、武家の守護神・浜松城鬼門鎮守、鬼門降伏の氏神として当宮を信仰し、開運招福・武運長久を祈って度々参拝したといわれます。
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家康が三方ヶ原の戦いで敗走し、この木の洞に逃げ込んだところ突然、雲が立ち上がり神霊が白馬に跨って浜松城に飛び立ったを見て勇躍したという伝説があるそうです。樹齢1000年を超える御神木伝説家康も武運を祈願したそうです。
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神前結婚式に遭遇。
お二人に幸あれ!
と心の中で祈りました。
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椿姫観音
夫「飯尾豊前の守」に代わり引間城主となった「お田鶴の方」を祀ってるらしい。徳川勢との戦いで命を落とします。
って、誰?
日本放送協会のドラマ「どーする家康」には出てきたらしい。
1568年に三河から遠江に入った家康は今川肩のの拠点であった引間城を攻めて入城。浜松城へ移るまで住んでいたそうです。
因みに神社は1886年(明治19年)に創建されたそうです。
ここは天下人となった秀吉、家康の縁の地とのことで