会津高原尾瀬口駅から会津若松に向かいます。

国道121号線

ずっーと下りです💃

ですが、

会津田島から先は交通量が増え、路肩もコンディションが悪く走りにくいです。

途中で自転車道を発見。

一般県道会津若松熱塩温泉自転車道線
(通称:大川喜多方サイクリングロード)

公式サイトを見ると

芦ノ牧温泉(会津若松市)から終点の熱塩温泉(喜多方市)を結ぶ、全長約50kmにおよぶ全国的にも珍しい自転車歩行者専用道路(一部、一般道と重複する場所あり)。会津地方を南北に流れる阿賀川沿いを通り会津若松市、会津坂下町、湯川村、喜多方市の4市町村をまたぎます。 川沿いにあるため起伏が少なく、トイレが併設された休憩所が4カ所、道の駅が2カ所あり、初心者からファミリー層まで利用しやすいサイクリングロードです。四季折々の風景と、観光名所や旧跡が数多く点在しているのも魅力。始点と終点にはそれぞれの温泉の足湯があり、疲れた体を休めてくれます。

と、なっています。

案内通りに走ると、こんなところガーン

恐らく悪路は一部で、だいたいは快適に走れるのではないでしょうか。

このまま喜多方まで行って、ラーメンと酒蔵巡りもいいかな。

と、思っていたところ

同行者が新選組縁の地に行こう!と。

現在地から比較的近い所を探したら、

如来堂

公式サイトから

新選組殉難の地。母成峠の戦いに敗れた新選組は、北へ向かおうとする土方歳三らと会津に留まろうとする斎藤一らに分かれました。このとき斎藤一は「今、落城せんとするのを見て、志を捨て去る、誠義にあらず」(谷川史郎兵衛日記)と同意した隊士とともに会津へ残りました。明治元年(1868)年9月4日、城下に進出した新政府軍は、如来堂に立てこもる新選組を攻撃し激しい戦いを繰り広げました。このとき全員討ち死にしたとされています、実際は、斎藤一をはじめ数名が生き残りました。


観光客で賑わう会津若松市街に比べて、人っ子一人いない寂しいところでした。

お堂?祠?横にある木にいたカラスが

何か意味あり気に鳴き続けていました。

ワタシ、霊感とか無いけど、チョット首筋が寒くなりました。

写真に何か写り込むと怖いので、お堂正面とかは撮りませんでした。なので碑の裏側の文言。

続いて向かったのは、市街にある

阿弥陀寺です。

こちらには如来堂の戦いで生き残った斎藤一の墓があります。

ワタシの中での斎藤一といえば

映画「壬生義士伝」で佐藤浩市が演じたイメージが全てです。

実際はどんな人だったんだろう。

御三階
鶴ヶ城本丸内にあった建物です。外観上は三階ですが、内部が四層になっており密議の場所として使用されたといわれています。明治3年本丸にあった鶴ヶ城御三階は阿弥陀寺にうつされ、仮本堂として使用されました。

七日市通り

公式サイトより

大正浪漫の雰囲気のただよう七日町通りは、藩政時代には、会津五街道のうち日光、越後、米沢街道の主要道路が通り、城下の西の玄関口として問屋や旅籠、料理屋が軒を連ねていました。明治時代以降も重要な通りとして繁栄を極め、昭和30年代頃までは、会津一の繁華街としてにぎわっていました。その後、一度衰退したこの通りは現在大正浪漫を感じられる通りとして甦り、観光客に人気の通りとなっています。

喜多方に行けなかったけど、

喜多方ラーメン食べたい!

で、会津若松駅近くにある来夢に。

喜多方ラーメンって醤油ベース?

メニュー見てたら

他のお客さんが味噌を頼んだので

ワタシも!

実はラーメンは味噌󠄀派なんです。


来夢の近くにある地酒屋

地下に会津の銘酒がたくさんあります。

またまた地酒屋

入手困難な日本酒を予約しました。

半年待ちです。

会津若松最大の歓楽街

カメラの劣化で写りが悪いですショボーン

会津若松城(鶴ヶ城)のお堀

少し紅葉してます。

ブレブレです。

会津若松駅

今回、会津若松で宿が取れなかったので、磐梯熱海温泉に。

自走で行く予定でしたが、のんびり観光していたら15時過ぎてしまいました。

で、輪行する事に。

16:20 会津若松発の列車に乗って 

17:17 磐梯熱海駅着

宿に着いてソッコーで風呂に入る。


そして、歩いて駅前の居酒屋に。


丁度、日本シリーズ第1戦がやっており、店主は熱狂的な阪神ファンでカウンター席で常連さんとテレビ中継をみてます。

で、焼き鳥

煮込み

焼きおにぎり

おまけでキムチ

もう少し、飲み食いしたかったけど

注文するのが悪い気がして控えめにしました。

でも、店主は愛想良く、料理も美味しかったので阪神の中継が無い時に再訪したいです。

店を出たあと、ローソンで朝めし他を買って宿に戻りました。