小林一三記念館には3つの茶室があります。

庭園入口を入ったところにある

人我亭 昭和39年岡田孝男氏の指導により作られた四畳半に六畳の次の間が付く茶室です。

四畳半


6畳間

庭園



和の庭園って優雅

庭園からの人我亭

費隠 昭和19年京都の寺院より移築されたと伝えられる二畳の茶室です。

壁の腰張り(右側)には、郷民の連判状と思われる古文書が用いられています。また、花頭窓、床窓、風炉先窓など窓の多い茶室です。

命名、扁額は、小林一三が商工大臣を務めた時の内閣総理大臣、近衛文麿筆。

上の写真には写っていません。


庭園からの即庵

昭和12年雅俗山荘竣工時に作られた三畳台目に土間を二方に廻らせた椅子席の茶室

即庵 小林一三の考案で10席の椅子席からは畳上と同じ視点で喫茶、拝見ができるよう工夫されています。 和洋が見事に融合した昭和の名席といわれています。

どの様に茶会がされるのか見てみたい。

と、思っていたところ、茶会の写真がありました。

外国人に茶の湯体験や作法・茶器などの説明をしてるんですね。

ワタシも習ってみたいと思います。

あっ、正座できないからダメか😅

人我亭と即庵は貸茶室として利用できるようです。

続く


今月2回目の山登りに行ってきました。

今回は西武鉄道 東吾野駅から天覚山に登って吾野駅に降りる予定。


線路を渡り材木店のわきを通り登山口に。


最初は緩やかだけど、徐々に急勾配に。

あまりのキツさに写真が撮れず。

天覚山山頂手前

天覚山山頂 446m

奥武蔵ロングトレイル10K/105k

どこからどこまでなんだろう?

天覚山だけで下って帰ろうと思ったけど、時間がたっぷりあるので、飯能まで山伝いに歩くことに。

しかし、山頂からイキナリ激ヤバ下りが!

ワタシの左膝にダメージが😱🐶

東峠 多峯須山に向かって行きます。

途中の丸太ベンチで昼食

いつもの様にDAISOメスティンと固形燃料でお湯沸かします。今回は固形燃料を2個使い火力アップ!

しっかり火の管理と始末をしましたよ。

トムヤムクンヌードル

あんドーナツパンとホットコーヒー

1時間以上マッタリしてしまった😅

久須美山 260m

久須美ケルン

住宅地脇を通って

最後の登りに入ります。

ここまで10kmほどアップダウンを歩いており右膝が痛くなってきました。特に下り階段は最悪です。ものに掴まったり、横向きで下りないと。

多峯須山(とうのすやま)271m

無事に到着できました。

山頂からはぼんやりですが、スカイツリーも見えました。

飯能駅に向かう前に吾妻狭に。

ドレミファ橋を

渡って

川を歩いて行きます。

そしてお風呂に入って

餃子の満州で餃子と生ビール💃

妻へのお土産に

冷凍餃子60個買いました。


今回の記録




足の筋肉疲労の為、3連休の2日目、3日目は完全休養になりました😭

来月はどこの低山に登ろうかな。


宝塚大劇場遠征した際に

立ち寄った小林一三記念館の続きです。

宝塚ブースに入ります。

開業当日の宝塚駅

何となく洋風の駅舎

小林一三の好みが設計に活かされてるのでしょうか。

宝塚歌劇に関するものが多数展示されています。

創設された頃の脚本等。

歌劇の楽譜集や宝塚ファンが毎号欠かさず買っている雑誌「歌劇」の第一号も展示されてます。因みにワタシは雑誌買ってません。友の会にも入ってません。

右上の「ドンブラコ」の台本?パンフレット?

桃太郎を原作とした歌劇で大正3(1914)年4月に披露された宝塚少女歌劇第一回公演の演目の一つです。

舞台装置の例なども紹介されてます。

宝塚の舞台装置は豪華で大きくて、よくこんなものを短時間で展開できるなぁと感心します。出来れば興行の無い期間に有料で舞台裏見学とか出来るといいなと思います。


その他の展示は

阪急電鉄の祖となる阪鶴鉄道の重役達

逸翁自叙伝を読んで、この時代の実業家は凄い人達ばかり。

新淀川鉄橋は工事費を節約するため橋桁を※プレートガーター式にしました。。
当時の主流の※トラスガーター式に比べると見栄えは貧弱だが強度は同等で将来、車体の拡大や重量の増加による橋梁の強度増加が必要な時に簡単に施工改修出来る利点があるそうです。
現在の新淀川鉄橋はどの様に変わったかは、千葉県民のワタシにはわかりません。機会があれば見たいと思います。

※プレートガーター式、トラスガーター式がどんなものかわかりません。

鉄道利用客増やすために、沿線に分譲住宅地を造成し月賦(ローン)で販売。

小林一三は梅田〜池田までの鉄道敷設予定地を歩き住宅分譲を思いついたとか。

現在は住宅やビルが建ち並ぶ沿線も、何も無いど田舎だったんですね。

梅田駅に阪急百貨店開業

今では普通にある駅直結の商業施設も小林一三のアイデアのようです。

デパートの楽しみであった食堂。
大正9年に始まる阪急電鉄直営の梅田食堂を引き継いだ阪急の大食堂は、百貨店創業の1929年(昭和4年)に、7階・8階の2フロアで開業しました。当時の大人気メニューは、ハイカラ・モダンな50銭ランチとライスカレーでした。特に25銭のライスカレーが人気だったそうです。

昭和の大恐慌の際、ライスだけを注文し、備え付けのソースをかける客が増えた。利益が出ないとしてほかの店が嫌がる中、阪急や東宝を創始した小林一三(いちぞう)(逸翁)は「いまは貧しいけれど、いずれ家族や友人を連れて来てくれるだろう」と歓迎したという。

まだまだたくさんの展示がありましたが、長くなるので止めときます。

次回は庭園(茶室)と屋敷について。