- 前ページ
- 次ページ
今月2回目の山登りに行ってきました。

今回は西武鉄道 東吾野駅から天覚山に登って吾野駅に降りる予定。

線路を渡り材木店のわきを通り登山口に。

最初は緩やかだけど、徐々に急勾配に。
あまりのキツさに写真が撮れず。

天覚山山頂手前

天覚山山頂 446m
奥武蔵ロングトレイル10K/105k
どこからどこまでなんだろう?

天覚山だけで下って帰ろうと思ったけど、時間がたっぷりあるので、飯能まで山伝いに歩くことに。
しかし、山頂からイキナリ激ヤバ下りが!

ワタシの左膝にダメージが😱🐶

東峠 多峯須山に向かって行きます。
いつもの様にDAISOメスティンと固形燃料でお湯沸かします。今回は固形燃料を2個使い火力アップ!
しっかり火の管理と始末をしましたよ。
あんドーナツパンとホットコーヒー
1時間以上マッタリしてしまった😅

久須美山 260m

久須美ケルン

多峯須山(とうのすやま)271m
無事に到着できました。

渡って

川を歩いて行きます。

そしてお風呂に入って

餃子の満州で餃子と生ビール💃
妻へのお土産に
宝塚大劇場遠征した際に
立ち寄った小林一三記念館の続きです。

宝塚ブースに入ります。
小林一三の好みが設計に活かされてるのでしょうか。

宝塚歌劇に関するものが多数展示されています。

創設された頃の脚本等。

歌劇の楽譜集や宝塚ファンが毎号欠かさず買っている雑誌「歌劇」の第一号も展示されてます。因みにワタシは雑誌買ってません。友の会にも入ってません。

右上の「ドンブラコ」の台本?パンフレット?
桃太郎を原作とした歌劇で大正3(1914)年4月に披露された宝塚少女歌劇第一回公演の演目の一つです。
舞台装置の例なども紹介されてます。
宝塚の舞台装置は豪華で大きくて、よくこんなものを短時間で展開できるなぁと感心します。出来れば興行の無い期間に有料で舞台裏見学とか出来るといいなと思います。
その他の展示は

阪急電鉄の祖となる阪鶴鉄道の重役達
逸翁自叙伝を読んで、この時代の実業家は凄い人達ばかり。

新淀川鉄橋は工事費を節約するため橋桁を※プレートガーター式にしました。。
当時の主流の※トラスガーター式に比べると見栄えは貧弱だが強度は同等で将来、車体の拡大や重量の増加による橋梁の強度増加が必要な時に簡単に施工改修出来る利点があるそうです。
現在の新淀川鉄橋はどの様に変わったかは、千葉県民のワタシにはわかりません。機会があれば見たいと思います。
※プレートガーター式、トラスガーター式がどんなものかわかりません。

鉄道利用客増やすために、沿線に分譲住宅地を造成し月賦(ローン)で販売。

小林一三は梅田〜池田までの鉄道敷設予定地を歩き住宅分譲を思いついたとか。
現在は住宅やビルが建ち並ぶ沿線も、何も無いど田舎だったんですね。

梅田駅に阪急百貨店開業

今では普通にある駅直結の商業施設も小林一三のアイデアのようです。

デパートの楽しみであった食堂。
大正9年に始まる阪急電鉄直営の梅田食堂を引き継いだ阪急の大食堂は、百貨店創業の1929年(昭和4年)に、7階・8階の2フロアで開業しました。当時の大人気メニューは、ハイカラ・モダンな50銭ランチとライスカレーでした。特に25銭のライスカレーが人気だったそうです。
昭和の大恐慌の際、ライスだけを注文し、備え付けのソースをかける客が増えた。利益が出ないとしてほかの店が嫌がる中、阪急や東宝を創始した小林一三(いちぞう)(逸翁)は「いまは貧しいけれど、いずれ家族や友人を連れて来てくれるだろう」と歓迎したという。
まだまだたくさんの展示がありましたが、長くなるので止めときます。
次回は庭園(茶室)と屋敷について。
























