とすかーなと言う名の
パン工房を初めて
8年程経ちますが、今でも 時々 聞かれる事がある。
その時は 私たちが
以前 イタリアまでの旅の経緯を話している。
私が50歳の時 30年ぶりにヨーロッパに
もう1度旅がしたくなった。
以前は若さと怖さしらずで
ストックホルムやロンドンで
皿洗いのバイトしながら 貧乏旅をした
あれから30年
今度は 夫婦二人で旅立った。
ところが どこも有名な観光地は
旅行客で騒然とし
今度の旅は
静かな所でのんびりしたなぁ・・・と思っていたので
スイスのインターラーケンを出て
近郊のツルーン湖周辺をドライブしているうちに
湖畔の小さな町Lessigen(ライシゲン)に入る。
町の学校らしき建物の前を走ってい時
風雪にさらされた日本語の幟を見つける。
そこには「竹中弁当」と染め抜かれていた。
「こんな所で日本語の文字と弁当とは・・・?」
と 不思議に思い寄って 弁当を買うかと
駐車するつもりが
何を勘違いしたのか操作ミスで
けがはなかったが
弁当を買うつもりが その後事故処理で
竹中さんに 助けていただいた。
この事故が縁となり
しばらくライシゲンの町に滞在した。
町の裏手の山々から
雪解け水が細い滝となったり
夕暮れには放牧の牛たちが
カウベルの音を鳴らしながら
麓へと降りてくる
湖の方を見渡せば
桟橋より出入りする定期船の姿あり
ライシゲン駅発着の列車が止まると
まばらな乗降客が どこかへと去って行く
のんびりとした時間が1週間が過ぎた頃
世界貿易センタービル爆破事件で
テレビや新聞や駅の乗降客でも話題になる。
言葉のわからない私たちには
その事件の詳細がわかるまでには時間がかかった。
竹中さんに情報を聞き 旅を続けるには
色んな方面で不安だと妻が言い始め
目的地を変え
何度も 帰国を考えていた。
そんな時 バカンスに行った時の写真や
たくさんのトスカーナの旅の資料を見せて
「向こうにはアグリツーリズモを経営されてる
日本人の方がいますよ!」
トスカーナ行きを勧められた。
御主人にはチケットの手配までしていただき
行き先と列車の乗り継ぎ方まで書いたメモを頼りに
希望と不安をいだきながらライシゲンを後にした。
その後 私たちは列車から見る車窓に風景に
不安の上に 不安を重ねたかのように寡黙となり
舌を噛みそうなイタリアのトスカーナの閑散とした駅
ローカルのカステッリーナマリッティマ?と言う名の駅
で降りた。
竹中夫妻に
書いてもらった宿泊地の名前を見せて
タクシーに乗り場に行く
車中 運転手は「スベレート・・・ああ・・」と
私たち日本人の顔を見て頷いた。
タクシーは糸杉があるもの静かなホテルの
前で私たちを降ろした。
ホテルの者に今夜はオーナーのM氏が
居ませんが、
話は聞いておりますので
どうぞ 迎え入れられた。
このホテルのアグリツーリズモと言って農泊で
広大なオリーブ農場に中に点在している
その後 M氏夫妻と会う事ができ
初めて会う私たちを自宅に招き入れ
ごちそうをしていただき
チーズに興味があると言えば
私たちにレンターカーを貸していただき
数日後
M氏夫妻の紹介でカセルダの有名な
モッアレラチーズ工場に見学させてもらい
工場長自ら イタリア語のわからない日本人に
丁寧に説明していただき
たくさんのモッアレラチーズを
おみやげに もらうことができた。
また ある時は ボルテラと言う町の
アグリツーリズモの中で
羊のチーズ工房があるのでと言う事で行き
ここのオーナーが分かりやすい英語で
今はチーズ作りのシーズンではないが工程を
いまから説明しますの
どうぞ中へ 招き入れ帰りには
熟成した羊のチーズをおみやげをくれたので
またまた感激した。
見知らぬ土地での
貴重な経験は人生の転機を与えてくれてたと
今でも
思って 感謝している
M氏が言った言葉に
「人生に無駄なものは何もない!」と教えてくれたことが







