▽ノートの書き方について解説しております

明けましておめでとうございます。深月です。

11月の終わりころから怒涛のように色々な気付きがあり、
自分の中で大きく生きる事の軸が変わりました。


多分、ですが
私はこの先「誰かを救おう」として生きる事は無いなあと思うのです。


これは逆に言うと、
「誰かに救ってもらおうと求める事はない」って事です。


私を含めて、もう既に全ての人が救われている
苦しい事も理不尽な事も不幸な事もあるけれど、
それでも、生きている事そのものが救い。


そして、死という終わりがある事が、救い


生きるとは、死ぬこと。
死ぬその時まで生きる事が人生。


〇〇すれば繁栄するとか
▽▽すれば幸せな人生になるとか、無いね。


と、そんな心境の年明けです。


と言っても、厭世的に生きるわけじゃなくって、
やりたい事、知りたい事、やらなくちゃいけない事が一杯であります。


このブログとか他のSNSもちょっと使い方を考えていきたい2022年ですが、
とりあえずは2021の気持ちの大転換を振り返って記しておこうかと思います。

* *


設定変更界隈を長く見ていると、
ノートの書き方とか設定変更を伝えていた方が、
ある日すっとフェードアウトしていくパターンがあるんですよね。

なんでだろう、折角注目も浴びてて売れているようだったのに、
……なんて疑問に感じていたんですが、今回、私なりに腑に落ちました。


多分、ね。
ノートで自己対話を続けていくと、

救うべき人なんてどこにもいないし
誰かを救うという事そのものが幻
なんだという事、

そして現実は変える必要が無いって事に
気付いてしまうんですよね。


ままならない現実とか
思うようにならない苦しみすら
「私が大切にしたいこと」を見るきっかけにすぎない。
その現実をどうこうしなくても良い


「私が今、何を大切にしたいのか」
「大切なものを大切にする行動とは何か」

そこだけに眼差しを注げばよい事と、気付いてしまう。


「現実が望む通りに変わった。よし、私はこれで良いんだ」
みたいな喜びが本質じゃないというか、
その変わったように見える部分はおまけでしかないというか。


私がやりたいなら、やろう。
やりたくないなら、やめよう。
愛したいなら、愛そう。
自分を起点とする矢印を放つことだけ、それだけ。
もうそれだけで良いんだよ。



私は今、大切にしたいものを大切にしています。


娘を育て上げる事。
その為に会社員として働く事。
仕事をしてお金を稼ぐこと。
面倒臭い家事をして、料理をして、命をつなぐこと。


それから、推しのためにお金を使って楽しむ事。
楽しいと思った気持ちや感動を言葉にする事。
(たとえ、それが一つのイイネも貰えず消えて行っても)


もう、本当に充分に私は私と言う命を使っていて、
ままならない現実すらも、私が私である証です。




普通に、普通の人として、普通の人生を生きていきたい。


歴史書に名前も載らず、誰からも名を覚えられず、
1900年代の終わりから2000年代の初めを生きた、
統計上の人口の「うち一人」として終わりたい。



もう、本当にそれで十分。


* * *

正直ね、2021前半は結構葛藤していました。

自分の言葉を誰かに聞いてもらう事、
自分の力で誰かを救う事をしてみたい。
なのにその力が無い自分に対して納得が出来なかったんですよね。


自然、
いかに「どこかの誰かに納得してもらう言葉」を放つか、
ばっかり考えていた気がします。


だけど「誰かに納得してもらうための言葉」は
その精度を高めようとするほど、

私の内にある言葉とずれてしまう。


まあ、これは単純に私の能力の部分もあるのですけど。


でも、そのずれに対して
「届けるため」「見てもらうため」って言葉を使って
無理やり自分の気持ちと違うもので埋めるのは、趣味じゃない


そう、単純に趣味じゃないのですよ。
全然心地よくない。


というのが大きな理由の一つ。


そしてもう一つ、
普通の普通に生きている人のほうが
よっぽど人生に真正面から向き合って生きてるよねって
そう感じる事が多かったのです。

これが本当に大きかった。


私はずっと心の片隅で、
潜在意識の事とか世界の仕組みとか
そういうの学ぼうとしない人の事を馬鹿にしてた。
見下してた。


だけど、ノートを書き続けて、
自分が本当に大切にしたい事を大切にする行動を選ぶようになったら、
周りの人はそんな事とっくにやってたって思い知らされたんですよ。


ただそれを語らないだけだった。
だって、自分の願いは自分が知っていれば良いから。
自分が自分の大切を大切に出来ているなら、
それを誰かに分かってもらう必要なんてないから。


なのに、相手が語らないからと一方的に
「あの人は何もわかってない」って決めつけてる自分の底の浅さ。
そこにようやく気付いた。


自分の中の水がちゃんと注がれているなら、命はもうそれで十分なのです。
その水が先祖から連綿と受け継がれて、今この時代に生きる私たちがある。



ああ、上手く言語化できないなあ。

お正月で酔っ払ってるからなおさら支離滅裂。ごめんね。
 

とにかくね、私は本当に凡百の一として私を生きたい。
愚かな大衆として今を生きて終わりたい。



ここからは、
私が心の中を言語化するための記事が増えると思います。
反応も良くなってきたし、フォローして下さる方も増えたところでのこの方針転換。
正直、スマン。


ノート書く事はね、自分を見つけ直すために大事だと思う。
だから消さないし、LINEで今プレゼントしている動画やあれこれも
こちらへそのうち統合するかなと構想はしています。
が、それは私の「使命」ではないな。だから未定。



まあ、そんな訳で新年のご挨拶。
皆さまが今年も良く生きられますように。