届いた年賀見て、昔を思い出しました。 | レイニーの部屋

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発達障がい児の感情の発達を促すセラピストとポールダンサーの二足の草鞋。ここに至るまでの40代おじさんの経験値や考え方をここでシェアできたらいいなと思います。

年末年始、休んでないせいか?

年を越した実感があまりなく、グダグダなスタートを切ってるレイニーです。

「これじゃ、いかん」と起動修正中ですが、何をどう修正すればいいのか、わからないので、とりあえず謙虚に生きてます。


もう、年賀のお返しも書き終え、やっと現実モードに戻ろうかと思いきや、またまた年賀状がポストに届いてたので、再びコンビニに駆け込んで、購入してきました。



その年賀状、毎年送ってくれる昔の後輩からのものでした。


僕が九州のバイト先で知り合った当時学生のS君。


S君は僕のタイプの人とかじゃなかったので、普通に後輩として可愛がってて、当時、好きな女の子の相談とかを、よく受けていました。


でも、僕は女性を愛せなかったので、「自分ならこうするかな~」なんて、自分の恋愛話に置き換えて、相談に乗ったりしてました。


それから、間もなく僕は九州の田舎から上京し、S君とは、会えなくなってしまって数年が過ぎたのだけど、、、


その会えない数年間も、彼は僕に時々電話くれたり、手紙くれたりした。



当時、恋愛相談に乗った僕のアドバイスが、彼の心の的を得た様で、僕は彼から恋愛の神様的な存在に思われていたようだ。




数年後のある日、S君が親戚の結婚式で、東京へ訪れた時に、僕に連絡をくれたので、久々に会った。


彼は変わらず元気で、会うと昔みたいに、すぐにバカになれた。
結婚式を終えて、彼が羽田空港から帰る時、僕は空港まで見送りに行った。



そのとき、彼が売店で2本の缶ビールを買って来て、飛行機出発までの間、2人で飲んで語った。


そんないい空気の中、僕は何を血迷ったか?自分のセクシャルをカミングアウトしてしまった。


お酒の力ってのもあったけど、S君と長く付き合っていくには、知っておいて欲しかったからだ。

そんな、あやふやな空気のまま、とうとう出発時刻になってしまい、彼は飛行機に乗って九州へ帰った。



彼に、ゲイである僕を受け入れられる器があるか?どうか?は、当時は想像つかなかったけど、彼は九州に帰り着いた後、

「無事に帰宅しましたよ」と電話をくれたのだ。


そして、彼は言ってくれました。
「正直ビックリしたけれど、レイニーさんは今までも、これからもレイニーさんです。」


そう言って、僕を受け入れてくれたS君は、今では立派な2児の父。



今年の年賀状にも素敵な子供の写真とメッセージを書いて送ってきてくれたのです。



距離は離れているけど、こういう素敵な友人が居た事を思い出した、1月8日でした。



<オマケ>

$嫌われレイニーの一生
↑今年書いた年賀だよ~☆
なんかmixiのレポみたいに、なっちった。