さよなら、はるちゃん。 | 日常。

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日常生活の日記です。

今日のpm8:53にセキセイインコのはるちゃんが天国へと旅立ちました。



うちにきたのが、2014年の10月20日でした。

前日に出かけていた母と姉がインコのポスターを見て飼いたくなったらしく、筆者がなだめるも、翌日の昼頃に目が覚めると、もうはるちゃんがいました。



名前も確かすでに決まっていました。



そこからおよそ1年と少しに渡って、はるちゃんとの確執が続きます。

現役受験の年で、かつ未成年。



いままで筆者が1番下でちやほやされていたのが、母や姉の意識がまるっきりはるちゃんに奪われてしまったのです。



なにかにつけて、はるちゃん、はるちゃん。



筆者の妬みは日に日に増していくのでした。

日中は高校に通っていて、帰宅は夕方5時〜6時ごろでしたから、はるちゃんと遊べるのは就寝の夜8時半までの間。



しかも、母や姉がいては、そちらに飛んでいってしまうし、母や姉に混ざって可愛がることは到底できませんでしたから、姉がバイト、母が買い物に行っているわずかな時間だけ、放鳥し、こっそりと遊ぶのでした。




ですが、受験が近づくにつれ、ますますはるちゃんが疎ましくなっていきます。

呼び鳴きです。



高校は2月ころからほぼ授業がなく、また1年間の浪人生活へと入ります。

勉強はリビングでしていましたから、昼間の時間、はるちゃんは遊びたさに平気で1時間以上鳴きわめきました。



近所迷惑にならないかとひやひやしていました。

放鳥すれば、手にとまり、シャーペンをどつき始めるほか、ノートに糞やら、さんざんでした。



もっとも、自室に帰ったところで、呼び鳴きはおさまりませんが。



大学に進学後から、多少はるちゃんとも仲良くなっていったと思います。

これははるちゃんが2歳になり、呼び鳴きがかなり減ったということもあります。



が、一方で、筆者の意識からはるちゃんは薄れ、いつもそこにいるもの、という感じでした。



母や姉にとっては、最愛の対象だったでしょうが、筆者には、はるちゃんが来た年もそうですが、チョウやアリの飼育、植物の栽培をしていて、そちらのほうが好きだったのもあります(むしろはるちゃんは嫉妬の対象で、少なくとも大学1回生のときはそうでした)、



大学2回、3回生になると、はるちゃんに対する嫉妬はほぼなくなりました。

一方で、筆者と二人きりのときだけ、ケージから出せと鳴きわめくようになり、耳障りに感じていました。

放鳥すれば、台所だ何だに飛んでいき、吐き戻しをするという流れで、途方にくれていました。



この頃は母や姉の時間の都合もあり、筆者がはるちゃんの世話をすることが多かったです。

世話をし始めて、少し懐いてくれるようになった気はしますが、家族のなかで1番背が高いから、飛んできてくれたのかもしれません。



3回生の中ごろから今日にかけて、筆者が世話をしたり、放鳥することはあまりありませんでした。

というのも、筆者と2人だけのときに鳴きわめくこともしなくなり、ケージでおとなしくするようになったからです。

ケージ前でおしゃべりしてあげることが増えたのはこのときからです。



はるちゃんに向かって、10分以上お喋りするのはなかなか大変なことでした。

向き合うというのは、とてもエネルギーのいることでした。




平成31年1月となり、この頃から背中に嘴を預けて寝ている姿をちらほらと見かけるようになりました。

もしかすると、このときには病魔がはるちゃんの身体を蝕み始めていたのかもしれません。





3月下旬になり、嘔吐・黒色便の症状が現れました。

母が近所の鳥専門病院に連れていき、胃炎または胃がんの診断を受けました。

かなり胃が拡張していたそうです。



餌をシードからオーツ麦に切り替え、保温、ケージからおもちゃやイカの甲の撤去をしました。

あとから知りましたが、カトルボーンは胃炎の引き金になる場合があるとの見解があるそうですね。

はるちゃんはカトルボーンが大好きでしたから、やはり、摂りすぎてしまったのかもしれません。




受診からおよそ1ヶ月と1週間の闘病でした。




はるちゃんのケージは窓際から部屋の中央、絨毯の床になりました。

なので、よく寝そべって、一緒に寝たりしました。

元気なときはカキカキなんてさせてくれませんでしたが、病気を患ってからは、とまり木の端まで自分で寄ってきて、ねだるのでした。

はるちゃんは1日の大半を寝て過ごしていました。




昨日あたりから脚の血色が見違えるほど悪くなり、そして今日、羽をばたつかせたのち、姉の手の中で空へ飛んでいってしまいました。





最後まで、筆者の話した言葉は覚えてくれませんでした。

ですが、もう2度とはるちゃんのおしゃべりも聞けなくなってしまいました。




水浴びだったり、はるちゃんも大好きで、筆者もお気に入りのクルトガの黄緑色のシャープペンシルで、追いかけっこだなんていけずな遊びをしたり、後頭部あたりの毛が白いのでハゲ鳥と言ったり。



はるちゃんは筆者の身体では、立て膝の上にとまるのが好きでした。

肩のほうが位置が高いのに、どうしてか、立て膝の上でした。




泣かないつもりでしたが、空っぽのケージを見たり、時間が経つにつれて、やっぱり泣いてしまいました。

虫が死んでも、植物が枯れても泣いたことはありませんでした。



生命だから、ではなくて、温もりというのが、涙を誘うのだと思います。



温もりというのは、筆者の1番大切なものでした。




明日、筆者は企業説明会があり、はるちゃんの火葬に立ち会えません。

母は仕事が昼からですし、姉は休みですから、2人で最後のお見送りをすることになるでしょう。



はるちゃんは筆者の知らぬ間に現れて、そしてまた、筆者のいない間に静かに居なくなるのです。



本当に、そういう運命でもあったかのように、最初から最後まで交わりのない、悲しい巡り合わせでした。





わずかながら、はるちゃんの写真を最後に貼っておきます。

写真や動画はGoogleフォトに保存してありますが、はるちゃんの来た月の前後半年ほどの記録が欠落していました。

幸いにしてこのアメブロ上に何枚か1年目の写真がありましたから、再び保存しておきました。




うちに来て1ヶ月くらいかな?
まだ身体も小さく、ピンクのケージでしたね。



この頃は赤いマジックペンがお気に入りでした。



たぶん、一番キレイにとれた写真。





膝の皿の上がお気に入りでした。

筆者もおしゃべりしやすかったので、Win-Winでした。





4月4日には、筆者と母で布団にかまくらをつくり、はるちゃんはその中で寝ていました。

放鳥は受診以降なるべく控えていました。

が、はるちゃんはしばしば出たがり、餌替えのタイミングで飛び出してきました。




筆者はきっと治ると思っていて、次の冬はだめかもしれないけれど、それまでは大丈夫だと思っていました。

が、ネット上にある、セキセイインコの闘病を見ていると、だいたい嘔吐や便の症状以降、1ヶ月程度で亡くなる例が多く、はるちゃんもそうなりました。

まだ4歳と7ヶ月です。



ケージの四隅で、脚の間に顔を通すなんていう芸当をして脚を痛めてしまうやんちゃで、どんくさくて、びびりで、何でも好きになっちゃう子でした。




はるちゃんが来てからつまらないことでの家族げんかがめっきり減りました。

はるちゃんのおかげだね。




もしまた今度どこかではるちゃんに会うことがあったら、うんと仲良しになれたらいいな。