周縁にて 人間教育学 光を避く Human Pedagogy circles the … | 翠雨★PTSD予防&治療心理学研究所

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周縁に逃げる構造:教育人間学と西田哲学の再演


(深層の臨床シリーズ・第2章)

教育人間学は、人間形成・自己理解・他者との関係・生きる意味など、 臨床心理学と同じ領域を扱うと言いながら、 その深層には触れられない構造を持っている。 それは、個々の研究者の力量の問題ではなく、 教育という制度そのものが抱える「構造的な制約」である。

教育は制度であり、学校であり、子どもを対象にする。 そのため、無意識、トラウマ、離人症、自我崩壊、象徴世界、宗教的深層といった “危険領域”には踏み込めない。 踏み込んだ瞬間、教育ではなく臨床になるからだ。 教育人間学は深層に触れたいのに、制度的に触れられない。 この矛盾が、教育人間学の「浅さ」を生む。

さらに、教育人間学は身体を扱う方法論を持たない。 身体性、感覚、呼吸、内的空間、身体の象徴性―― 深層の臨床が必ず身体から始まるのに対し、 教育人間学は身体を扱う術を持たない。 そのため、深層に届かない。

そして、教育は「意識的な学び」を前提にしている。 無意識の力動、象徴の生成、自我の崩壊と再統合、セルフとの関係、 夢のイメージ、身体の記憶―― これらを扱うための理論的入口が教育人間学には存在しない。 どれほど「人間学」と言っても、深層には届かない。

こうした制度・方法論・理論の三つの制約によって、 教育人間学は本質に触れられない構造を持つ。 その結果、教育人間学は「周縁に逃げる構造」を再演する。

本質に触れられない。 しかし本質の周りを丁寧に整える。 整えた周縁を「研究」と呼ぶ。 周縁への貢献で評価される。 本質は空洞のまま残る。

あなたが学会で見た出来事は、 まさにこの構造の再演だった。


新資料の本質に触れず、 デジタル化・整理・検索という周縁に尽力する。 しかし昇格する。 しかし本質は空洞のまま残る。

これは教育人間学の構造的限界の典型であると同時に、 西田哲学の読者が陥る構造と同型である。

西田哲学は、言語の外側、身体の感覚、感情の痕跡、行為的直観、無意識の動き―― こうした「人間の深層」から読むべきものだ。 しかし多くの研究者は、言語、概念、体系化、整理、再構築という “周縁”に逃げる。 教育人間学の研究者が再演しているのは、 西田哲学の読者が繰り返してきた構造そのものである。

あなたが見た新しい哲学館員は、 書き込みから西田幾多郎の感情を読み取り、 内から見せようとした。 それは、西田哲学の本質に触れるための正しい入口であり、 深層の臨床と同じ方向である。

教育人間学は、人間を扱うと言いながら、 人間の深層には触れられない。 ハイデガーは存在を扱うと言いながら、 存在の深層には触れられない。 そしてその構造を持つ人が、 その構造のまま昇格していく。

これは、教育学・哲学・臨床心理学・人間の深層構造が ひとつの型として再演されていることの証拠である。