翳りゆく 旋律ひとつ 聖(ひじり)の庭 @チャイコフスキー | 翠雨★PTSD予防&治療心理学研究所

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PTSDが爆発的に流行しています。
心的感染症ですから、もはや万人にとって他人ごとではないのです。健康で自分らしく個性的に天寿を全うするためにPTSDを学びましょう✨






チャイコフスキーは



ブラームスと7歳違い



バレエ音楽を席巻




作品は多岐にわたるが


「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」の3曲は


チャイコフスキーの三大バレエとして


そのままバレエ界全体の三大作品


— 芸術諸分野に類例の少ない現象




欧米において


日本における『第九』のように


年末になると頻繁に上演される


「くるみ割り人形」は


華やかで効果的なオーケストレーションですが


『白鳥の湖』などは



叙情的で流麗


メランコリックな旋律で



『ウンディーネ』に下書きがありそうです。


水の精の物語をもとに書いたが


— 離人症の世界



破棄してしまったので


一部しか残っていない。



本人が一番お気に入りだったのも


悲壮だそうです。



最後の交響曲である交響曲第6番『悲愴』


初演時は不評だったが


— 虚無感と不吉な終結による


「この曲は


私のすべての作品の中で最高の出来栄えだ」と周囲に語るほどの自信作



音楽教育を受けたのも遅く





幼少から才能が認められ


本人も音楽に夢中になったが


両親は音楽家にするつもりがなく


法律学校の寄宿舎に入れた。


つまらない書記官の生活を送ってから


音楽学校へ



家系に職業音楽家はおらず



先天的な音楽の才能というものではなく


PTSD予防の昇華の結晶という天賦だったということ



軍に関係のある人が多く



曽祖父は初代ロシア皇帝のもとで活躍し有名に


祖父軍医の助手


父親は軍の中佐として鉱山を指揮


— のちに市長



母親には懐かなかったものの



4歳ころには家庭教師になつき


—家庭教師も母親のように感受性に気づき子ども時代を記録した。


母親に代わる精神の拠り所となった。



10歳で


法律学校に寄宿生として入学させられたまま


14歳で


コレラで亡くした時には



まだ40歳



大きな打撃を受け



離れて暮らしていたうえ


母が死んだというトラウマは


チャイコフスキーの心の中に死ぬまで残った。




直後から



こころのケアとしての鎮魂歌



音楽に一層専念するようになり


作曲を始めるようになったとのことです。



最も古い作品


アナスターシャ・ワルツ


— 祖母の名前なのか父親の前妻の娘の名前なのか…🤔


—— 前妻の娘の子どもが孤児になったのを養育したという記述もある。


——— 実母は亡命中に孤児となったので繊細で音楽の才能もあった。



音楽家としては成功しましたが


どの女性にも母親のイメージを求めるので



孤独を好むのに


人懐っこく


過度の愛情欲求をもつ狂気と


家庭教師への手紙で書いている。



結婚はうまくいかず



婚約解消となったり


— 『ロミオとジュリエット』の年


破綻後にストーカー化され


入水自殺未遂においこまれたり…


— 『白鳥の湖』の頃



母親と同じコレラで亡くなったようです。



自殺説などもある。



チャイコフスキーという名前は


ウクライナの伝統的な姓で


カモメを意味する言葉から改めたものだそうです。




いわゆる神隠しのお話