始まりは必ずあり、言葉が無くても理解できるエリアのざわめき - 日立市 御岩神社
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日立市の御岩神社をめぐった。といっても、先月の終わりごろにめぐったのだが、アップロードが今月にずれ込んでしまった。
御岩神社は近年パワースポットとして知られるようになり、いつも混雑しているのだが、雨だったせいか、この日に限ってほとんど人が居なかった。
八百万の神を祀るとされる御岩神社だが、境内社である斎神社の主祭神、 ”天御中主尊(アメノミナカヌシノミコト) ”は、天地開闢における、最初の唯一の神だ。
つまり日本神話においても、”最初の、唯一の神”が存在する。
その後、「神世七代」を経て地上の形が確定する。神世七代の最後の神がイザナギノミコト、イザナミノミコトだ。
この”七代”も興味深い。旧約聖書における”七日”は、天地創造の期間なのだ。
イザナギノミコトとイザナミノミコトは最終的に対立する。そこに”死”という概念が登場する。
それが「地上」の帰結となる。当然、ヒトは死ななければならなくなるのだ。
神道、仏教、山岳信仰を包含する御岩神社では、参道のあちこちに、仏教の弥勒菩薩半跏思惟像を見かける。
半跏思惟像の前にしゃがんだ女性が、「なんて、お美しい」と言っていたのが印象的だった。
その言葉が自分の語彙にはないことに気がついた。
いや、意味ぐらいわかる。意味がわかっても、語彙に含まれていない言葉がある。
異形のネオンの神々が、「次々に作り出される」この現代。
だが、言葉で考えてもわからず、しかし言葉抜きに誰にでもわかるものは、「なんて、お美しい」という言葉とともに、必ずあるはずなのだ。







































