7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された”万葉集”には、幅広い階層の人たちの歌が収載されている。

恋歌が非常に多いのが特徴だが、それに関して思うことがある。

 

現代においても、ポピュラー音楽の歌詞は万葉集同様に恋歌が圧倒的に多い。

演歌や歌謡曲などがそうであり、そのはざまにはGSやフォークソングなどスタイルが異なるものも登場したが、それらも例外ではなかったし、現代においても同様だ。

それなら、すべてのポピュラー音楽は万葉集の延長にあると言って良さそうなのだ。

 

 

恋歌には、故郷という概念が潜在していると思う。
「自分が生まれる前から故郷の地は成り立っており、自分はそこに生まれ育ち、たとえそこを離れても心はそこにあり続け、だからこそ未来へと存続させてゆこうと考える存在」であるものが、故郷という概念だと思うのだ。

 

そんな「過去・現在・未来」をつなぐ概念に、恋歌は矛盾なく重なるのであり、それなら万葉集はその集積であり精華なのだと思う。

だから古くならない。解釈において、極端なまでに現代の名詞や固有名詞を差し挟んだとしても違和感が出てこないからだ。

 

 

万葉集は、ある意味シンプルとも言えるのだが、しかしただシンプルなだけのものではないと思える恋歌も存在する。

たとえば巻第四 (604)にある、笠郎女から大伴家持に向けられた歌だ。

 

剣太刀身にとり副ふと夢に見つ何の兆ぞも君にあはむ為

 

大まかな意味は、「剣太刀がこの身に添っている夢を見ました。あなたにお会いしたい思いで見たこの夢は、この身になにが訪れると告げているのでしょうか」というようなものだ。

 

夢判断を求めているような恋歌なのだが、「剣太刀」が奇異に思える。

大伴家持は武官だったから、それに関わっているのだろうか。しかし「大伴家持」を恋愛の対象として象徴化するものは他にもあるだろう。

恋歌に武具が出てくるものなのだろうかと思うのだ。

 

ここで、故郷という概念を「過去・現在・未来」の時間軸上にあるものとして捉えるなら、「剣太刀」は、故郷の成立から未来への存続に至るまでの多くの重大な局面において、必ず重要な意味を持つ。

 

そこに恋歌があるなら、「剣太刀」もまた切り離すことのできない存在になるだろう。

夢に見た剣太刀は守護者の象徴化であり、未来に向けて自分に託されているものがあるという思いが見せた夢だと受け止めることができるのだ。

 

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万葉集は7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂されたが、日本書紀と古事記も8世紀の初頭、つまり同時期に編纂された。

ここにも、重要な箇所で「剣太刀」が出てくる。

 

日本書紀や古事記に記述されているヤマトタケルノミコトは、”草薙の太刀”を妻のもとに置き残し、素手で伊吹山の神と戦おうとして敗死した。

彼は辞世の歌を四首詠んだが、三首は故郷を思う歌だ。

 

大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和しうるはし (第一首)

 

しかし最後の四首目だけが異質なものになる。

 

嬢子の床のべにわが置きし剣の太刀その太刀はや

 

大まかには「妻の床の辺に置き残した私の剣太刀よ、太刀よ!」というような意味を持つ。そうして彼は絶命する。

これを、自らの確実な死を前にして、太刀を置き残したことへの後悔や未練など、変更不可能などうにもならないことへの思いを歌い上げたものとは思わない。

 

故郷を思う三首の歌の後で、太刀という言葉を二度も使っているのだ。それも二度目は強い口調で。

それなら、「私は死しても、お前の床の辺に置いた剣の太刀として、幾世にも渡ってお前たちを、そうして愛する青垣山ごもれる故郷を守ってゆく。太刀として!」という思いの発露として捉えた方が、個人的には自然なのだ。

 

もちろんそれは、故郷という概念を成り立たせる「過去・現在・未来」において、未来に軸を置いて解釈するならだ。

 

ヤマトタケルノミコトの辞世の歌も、万葉集の恋歌同様に、人が人である限り古代から変わることのない、未来に向けた思いが歌い上げられていると思うのだ。

 

 

 

日本武尊(ヤマトタケルノミコト) :青木繁