今回の「ヤングはYouTubeでナウな教養?を身につける」シリーズは、ポピュラーヒットソングである”悲しき天使”の聴き比べだ。

この作品はイギリスのメリー・ホプキンによって1968年に大ヒットした。

”悲しき天使”は邦題であり、メリー・ホプキンが歌ったタイトルは「あの遠き日々」といったようなニュアンスの意味を持つ。

 

”悲しき天使”をアップロードするにあたって、驚くような発見があった。

この作品のオリジナルはロシア音楽で、1900年代初頭にボリス・フォミーンによって作曲されたものだった。まったく知らなかった。

 

この作品は当時のソ連政府から「反革命的」という烙印を押され、演奏が禁止された。作曲者のボリス・フォミーンも投獄されたと言う。

”悲しき天使”は、動乱の時代の中、民衆の間で密かに歌い継がれて残った作品だったのだ。

 

歌い継がれた過程においては、「作曲者不詳のロシア民謡」とされていた時期もあったようだ。

もっともロシア民謡には、作曲者名がはっきりしているものも少なくない。それなら”悲しき天使”もまた、ロシア民謡と考えても良いのだろう。

民衆の間で歌い継がれてきたからだ。

 

ご紹介する演奏家の中で、ローレンス・ウェルクという人はすでに忘れられた存在だと思うが、「シャンペン・ミュージック」というジャンルの始祖であるらしい。

「はじけるように華やかな音楽」をシャンペン・ミュージックと呼ぶのだそうだ。

ここでの演奏もかなり華やかなのだが、なんとなく、賑やかで楽しげなコサック・ダンスを思い浮かべてしまう。

 
レコードの解説によると、彼の両親はフランスとドイツの国境付近にあるアルザス=ロレーヌ地方の人だった。
アルザス=ロレーヌ地方は、フランスとドイツの領有権争いでたびたびフランス領になったりドイツ領になったりした。
フランスの作家、アルフォンス・ドーデの短編小説「最後の授業」の舞台となったのがアルザス=ロレーヌ地方だ。
 
農業を営んでいた両親にとって、アルザス=ロレーヌ地方はあまりにも不安定だったため、一家はアメリカに移住することになった。
家族はわずかな荷物を持っただけの状態だったが、その中にあったアコーディオンが、ローレンス・ウェルクのその後の人生を左右することになったのだという。
 
今回、”悲しき天使”の4種(+1種)の演奏と、ロシア版の”悲しき天使”、それにこの曲を大ヒットさせたメリー・ホプキンのバージョンをご紹介したい。
それにしても、音楽が持つ背景というものは驚くほどに多様なのだと思う。
 

 

LPレコードで ”悲しき天使” 4種の演奏で聴き比べ

レイモン・ルフェーヴル - Raymond Lefèvre (0:00)

ジョルジュ・ジューバン - Georges Jouvin (2:44)

ポール・モーリア - Paul Mauriat (5:35)

ローレンス・ウェルク - Lawrence Welk (8:23)

 

アーサー・グリーンスレード楽団 - Arthur Greenslade (0:00)

 

 

Those were the days (Original) Russian - Дорогой длинною (English Lyrics)

 

 

悲しき天使 [日本語訳・英詞付き] メリー・ホプキン