境界の地に、いまも古代人の生活圏の気配は残る - 日立市 赤羽緑地、南高野史跡公園

 

使用レンズのご紹介リンク

 


先に常陸太田市の、阿武隈山塊と関東平野の境界をめぐったのだが、それならと今回は日立市南部の、阿武隈山塊と関東平野の境界をめぐった。

縄文時代の貝塚が残る南高野史跡公園と、そこにほぼ隣接する湿地、赤羽緑地だ。

 

南高野史跡公園からは関東平野が一望できる。赤羽緑地には崖を彫り込んだ古代墳墓が残されている。

この一帯は、縄文時代から長く人が定住してきたエリアなのだ。

 

葉を落とした木々の枝は空に広がり、抽象画的でもあり幾何学的文様のようでもある。

そんな枝は野放図に広がっているように見えても、広がる先があるからこそ広がってゆく。

 

花の名所でもないから、いまだ彩りはなにも見えない。風景の色数は少なく、ただひたすら”形”を探してゆくことになる。

すべてはその形になるべくして、その形になっている。そんな中を歩いて行くのだ。

 

海の写真が忽然と混じるが、帰路に立ち寄ったやはり近隣の水木海岸だ。

これらのすべてが、この地に生きる縄文人たちの生活圏だったのだ。