古事記、日本書紀に共通する日本神話にこうある。
伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の間に、火の神である火之迦具土神(ヒノカグツチ)が生まれた。
しかしそれによってイザナミノミコトは大火傷を負い、死んでしまった。
 
怒ったイザナギノミコトはヒノカグツチを斬り殺した。太刀に付いたヒノカグツチの血が岩に飛び散った。
その血から甕速日命(ミカハヤヒノミコト)、熯速日命(ヒハヤヒノミコト)、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が化成した。
 
神話には象徴化された民族レベルの意味が必ずある。日本神話の記述に関して、思ったことを書き連ねていきたい。
 
【火と人との関わり】
 
なにが人間とそれ以外の動物を分けるか?
そんな問いに対し、「火を扱えるか、火を恐れるか」は必ず言われてきているだろう。
 
日本神話において、火の神は自らを生み出した母を滅ぼした。これは「恐れるべきものである火」を象徴するだろう。
しかしイザナギはそんな火の神を斬り殺した。これは、「恐れるべき火を、制御下に置いた」ということの象徴化だと考える。
 
つまりこのことによって人は、それ以外の動物と分けられる存在になったのだ。
 
【三柱の神が象徴化するもの】
 
それならなぜ、そこで一柱ではなく三柱の神が化成したのか。
制御下に置いた火と人との関わりには、三柱が必要になるからだと考える。
三柱の神々の神格についての説は多様なのだが、”火”と考え合わせてそれぞれを見ていきたい。
 
鹿島神宮の祭神である「タケミカヅチノミコト」は日本神話の中で最強の軍神とされ、雷神でもある。
火と関わるならそれは刀剣や弓矢などによる戦いにとどまらず、「火力による戦いの象徴化」となるだろう。
 
現代においてなら火力兵器による戦いまでもが、タケミカヅチノミコトが司るものになるだろう。拡大解釈すれば核兵器までもがタケミカヅチノミコトが司る領域に含まれて来るのかもしれない。
もちろん、”軍神”に善悪の概念は存在しない。
 
「ミカハヤヒノミコト」は諸説あるが、土器の神、製鉄の神とされる。
土が土のままではそれで何かを作っても強固なものにはならない。火力によって焼き上げてこそ強固なものになる。いまも残る縄文土器も、火力を用いて作っていなければ、とうに消えていただろう。
 
それならミカハヤヒノミコトを「火力によるモノ作りの象徴化」と考えれば、それは製鉄など多岐に渡るのであり、それら全般を司っている神と解釈できるのだ。
 
「ヒハヤヒノミコト」にもまた諸説ある。
ここで、火は戦闘のためやモノ作りのためにだけ使われるものでは、もちろんない。
人の生活に欠かすことのできないものとして、火の用途は他にも多岐に渡っているのだ。
 
”熯”には「乾かす」という意味があるとされるのだが、そのためには熱エネルギーが必要になる。
それなら「乾かす」だけでなく、暖房や煮炊きなどまでもが熱エネルギーの用途に含まれてくるだろう。それは現代においては発電所にまで至るのだ。
 
つまりヒハヤヒノミコトは「火の熱エネルギーによって、人の生活全般が成り立つことの象徴化」と考えることができるのだ。
 
火を制御下に置いた結果、人類にとって可能になることの象徴化、それが「三柱の神」の意味なのだと考える。
 
三柱の神がそれらを司り、そうしてそのことが人と他の動物を分ける境界になるのだ。
 
【もう一つ、特異な神話】
 
最強の軍神であるタケミカヅチノミコトが、唯一歯が立たなかった者が日本書紀に記述されている。
甕星天香香背男(ミカホシアメノカガセオ=金星、天に輝く、背を向けし者)だ。
 
超古代に天津神は日本全土の統一に乗り出した。軍神タケミカヅチノミコトが総力を挙げてアメノカガセオに攻撃を加えたのだが歯が立たず、屈服させて従わせることができなかった。
 
アメノカガセオは滅ぼされたわけではない。いまも封印されて眠っているだけなのだ。
時代が動乱を迎えれば、その果てに「屈服せず、従うことがない者」は、ふたたび目を覚ますのだろうと感じるのだ。
 
 
 
 

 

Mozart / Böhm " REQUIEM, K626 "

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