過長林湖西酒家   司空曙

 

湖草青青三両家

門前桃杏一般花

遷人到処唯求酔

聞説漁翁有酒賖

 
 
水辺の野草は春の陽光を受け、数知れない葉を鮮やかにひろげてゆく。
何軒かある酒家の旗飾は風になびき、── 花々、── 桃や杏、門前に一様に咲き始める花々。
 
楽し気な彩りと語らい、そうして歌。
追放されたのだ、── 追放された者は、異郷のメインストリートにただ立ち惑い、酔いを求めるばかりなのだ。
 
聞くところによれば、長く生きてきた漁師が、追放された者に湖上で酒をふるまってくれるという。
彼は言う。── 抗うこともままならない流れの中では、ただ酔っていることを選ぶべきだと。
 
だが、同じく追放されたあの人は、漁師の言うことを拒絶した。
だからあの人には、一つの選択肢しか残らなかった、── だからあの人は、長くは生きられなかったのだ。
それなら、── 私は。
 
 
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この詩の大まかな内容は次のようなものだ。
「すっかり春になった。左遷された私は立ち寄った先でただ酔いを求めてしまう。聞くところによれば、酒を奢ってくれる老漁師がいるという」。
直訳的に理解するなら、老漁師の下りなどこの詩を台無しにしてしまっていると思う。
 
しかしなぜ唐突に「老漁師」なのか。
漢文学者の赤井益久氏は、”屈原”の故事との関連を指摘している。
追放され絶望した屈原に、老漁師が「世の中が濁って酔っているなら、その酒を飲んで酔うしかないでしょう」と言った。
しかし屈原は「自分はそのように生きることができないのだ」と答えたという故事だ。
 
赤井氏の指摘の通りだと思う。老漁師の下りにこそ、この詩の解があると考える。
この個所は、司空曙自身の存在理由に対する自問自答なのだ。