緑は拡大してゆけるすべての方向に、拡大を続けてゆく。── 花々を咲かせるために。

たとえ刈り取られても、くり返しその傷跡から、新たな芽が萌え上がってゆく。

そうして傷跡は覆い隠されてゆく、── 花々はそこに咲き誇るのだ。

 

雲間から陽が射している。

木々にも、この腕にも、── めぐり知った路面にも、── いまだ知らない稜線の先にひろがっている街にも。

 

閉じられたまま放置されていた書籍の、読まずに飛ばしてしまったままのページ。

いつものことだ。探していたページに限って、読み飛ばしているものだ。

── いにしえの時代のトレジャーハンターたちは、賑わうこともない港の、船着場の近くにある安宿に投宿したままだ。

たまに散歩ぐらいはしているようだが、── 酒代が続く限りの話だろう。

 

 

これまで、人が歩いているのを見たことがない、小さな運河に沿った細い道、── その周囲に点在する古びた家々や納屋、生活のための道具類。

小高い場所にある祠は、いつも手入れされている。── 周囲には白い百合の花が咲き乱れている。

 

かつて、沼地から生まれた赤黒い龍が荒れたのが、このあたりだったのは知っているのだが、百合の花も同じころから咲き始めていた。

── だがなぜ、いま、白い百合ばかりが咲いているのだろう。

 

「そんなことも、わからないの?」

「わからないよ、── いきなり、唐突に聞かれても」

 

「あの赤黒い龍はね、死なないんだよ、だから、それを抑えるものが必要なんだ」

「きみは、明るいところと影の間にいるときだけは、姿が見えるんだな」

「話をそらそうとか、考えているね?」

「いや、そんなつもりはないんだけど」

 

「教えてあげるよ、あの赤黒い龍がね、咲かせているんだよ」

「ああ、── そういうことなのか」

 

 

緑は拡大してゆけるすべての方向に、拡大を続けてゆく。── 人の住まなくなった家にさえも、斟酌などすることもなく。

東の空の果てには、すでに去った雨雲が黒っぽくひろがっており、やがては見えなくなってゆく。

── そういえばきみも、大変な傷を負ったんだったな。── いや、それできみが消えてしまうことなどないと、わかってはいたけれど。

 

ふたたび、閉じられたままだったページを開くことにしよう。── 内容なんかすぐに忘れてしまうから、いつだって新鮮だ。

読み飛ばしてしまうことが、子どものころから抜けない、悪い癖だった。── しかたがない、そう生まれてしまったのだから。

 

川に沿った道をたどって、いつもの安宿に戻り、閉じられたままになっていたページを、船着き場の見える窓辺で開くことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

Mozart: Symphony No. 40 in G Minor, K. 550 - 2. Andante