今回アップロードしたのはワンダ・ランドフスカ (1879-1959) のチェンバロ演奏による、モーツァルトのトルコ行進曲だ。この作品はピアノ曲の中でもきわめてよく知られている作品のうちの一つだろう。

しかしチェンバロ演奏版は他に聴いたことがなく、極めて異色と思える。

 

録音が1946年だから音質は古色蒼然といった感じなのだが、それでもチェンバロならではの音色の使い分けによって、華麗な仕上がりを見せてくれる。

強奏部のまるで大太鼓を響かせるような鳴り方が印象的だ。まさに行進曲の本領発揮と言えるだろう。

 

 

ランドフスカは、20世紀に入ったころにはすでに「過去の楽器」となっていたチェンバロを復興させたことでも知られている。

彼女が使用したチェンバロは、コンサートホールでの演奏向けに彼女自身が設計し、プレイエル社が制作した、いわゆる「モダン・チェンバロ」だ。

 

いまでこそ顧みられることがなくなったモダン・チェンバロだが、まだまだレコードのようなメディアが普及していなかった時代、コンサートホール向けであることは、チェンバロ復興のために不可欠のことだっただろう。

モダン・チェンバロの歴史においては、その後、バッハ演奏史に巨大な足跡を残すヘルムート・ヴァルヒャ(アンマー)やカール・リヒター(ノイペルト)が出現するのだ。

 

演奏者であり、作曲家、音楽理論家、教育者でもあった彼女は1925年、パリ郊外に古い時代の音楽を教える学校を開設した。

LPレコード添付の解説(西条卓夫)によると、のびのびとした雰囲気の学校だったようで、薔薇の花陰や芝生に楽器を置いて演奏したり、講堂でピアノと共演することもあったという。

なお蛇足ながら、カール・リヒターが生まれたのが、ほぼ同年の1926年だ。

 

 

そんな時代のことで、ふと思い出してしまう人がいる。日本の女性ピアニスト、久野久 (くの ひさ : 1886-1925) だ。

当時、日本でよく知られたピアニストであった彼女は、明治政府の意向で本場のピアノ演奏技術を習得するため、1923年に期待を背負って単身渡欧した。

しかし、基礎からまったく駄目だという烙印を押され、異国での暮らしにもなじめないままに、1925年、ウィーンで自死したのだ。

 

専門家でもないので鍵盤楽器の演奏技術がまったく分からないのだが、彼女の演奏スタイルは指全体を伸ばさずに軽く丸め、指先で鍵盤を突くように叩く、ハイフィンガー奏法だったそうだ。

ハイフィンガー奏法は、しなやかで緻密な表現には向かないそうで、「悪い奏法、避けるべき奏法」とされているようなのだが、ランドフスカがハイフィンガー奏法だった。

 

いまさらの話ではあるが、久野久がもしウィーンではなくパリを選び、ランドフスカとめぐり合っていたら、と思ってしまう。

人と人との出会いの場にこそ運命を決定づけるものがあり、それなら人それぞれの運命は、けっして個別のものではないと思うのだ。

 

それにしても、「音楽の都ウィーン」。過去にはヴィヴァルディや、ここでご紹介するモーツァルトをも困窮の果てに死なせているのだが。。

 

 

なお、オーディオ的には、LPレコードからの採音にはオーディオテクニカのAT-3Mを使った。

 

 

Mozart / Landowska (Cembalo) - "Turkish March"

- チェンバロによるトルコ行進曲 - ワンダ・ランドフスカ - [Vinyl Record]