年の初め、五億年前からある水の流れに沿って - 日立市 御岩神社

 
 
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年初はいつも、同じ市内だが山向こうにある御岩神社に詣でている。
近年ではパワースポットとしてすっかり有名になってしまった。宇宙から地球上に光の柱が立っているのが見え、それがどこなのか調べたところ、御岩神社のあたりだったそうなのだ。
 
そのためここ数年、やたらと混んでいる。他府県ナンバーのクルマも多い。
歩いていると、否が応にも周囲の人の会話が耳に入ってくる。
「うっわ~、もののけ姫に出てくる所みたい」などの感激系から、「宝くじ、これで今年は行けるね」などの現世系?までいろいろある。
「いや、ここの神様、おそらく宝くじは担当外だと思うけど」などと、心の中で勝手に返事したりする。
 
 
御岩神社の創建年は不明だ。わかっていることは、御岩神社があるエリアは、有史以前の古代から聖域であったということだけだ。
祭神である立速男命(たちはやひをのみこと)を祀る以外に、数多い神々を祀っているのだが、全域に龍神の気があるのを感じてしまう。
立速男命は雷神だとする説があるのだが、雷神の属性を持つ龍神なのではないか。
 
ともかく、ここの「気」は半端ではない。過去に、「神社仏閣めぐりが好きで、あちこちに行っている」という人と話したことがあった。
その人はいわゆる「見える人」のようなのだが、御岩神社の名前を出すと、はっとした顔をした。
「あの神社にも行ったことがあるけど、怖くて奥まで進めなかった」と言っていた。
 
大昔、立速男命を祀る社は里に近い場所にあった。
しかし里に疫病が蔓延した。なぜなのかわからず神託を求めたところ、立速男命が「こんな汚いところに社を置くな」と怒っていたことがわかった。
そこで、いまの地に遷したところ疫病がやんだのだ。立速男命は、汚すものに徹底的に懲罰を下す、荒ぶる神なのだ。
 
 
御岩神社にはいまなお神仏が混淆している。神社でありながら大日如来や阿弥陀如来もまた、神として祀っているのだ。
 
江戸時代、水戸藩領内では水戸光圀(=水戸黄門)の主導によって寺社改革が進み、仏教と神社は明確に分離された。それは明治の廃仏毀釈より苛烈なものだったと言われている。
しかし水戸藩は、御岩神社を神仏混淆のまま、格段に手厚く保護した。
もちろん、明治政府による廃仏毀釈においても、大日如来や阿弥陀如来が廃されることはなかった。
 
大日如来や阿弥陀如来は、仏教の世界では極めて重要な存在と言えるだろう。
無思慮に混淆すれば立速男命が激怒しそうなものだが、特に異変も起こっていない。
強大な存在である同士が、なんの問題もなく共存しているのだ。
 
それなら水戸藩や明治政府と言えども、立速男命や大日如来、阿弥陀如来に手を出したら、「こわっぱどもめが、われらに手を出すなど、百万年早いわ」と一喝され、平謝りに謝るしかないだろう。
 
などとバチ当たりなことを考えていると、苦しいバチを当てられそうだから、余計なことはこれ以上書かないが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1:10の画像も、御岩神社でのものだ。

Yoshitsune - Toru Takemitsu - 源 義経 - 武満 徹

 

 

なお、御岩神社があるあたりは、五億年前の日本最古の地層が露出していることでも知られている。
しかし数キロ離れた所の地層は二億年前のものだったりと、地質学的に複雑だ。
地中にはかなりの応力が残留していると考えられる。東日本大震災後も、なぜかこの付近を震源とする余震がしばらく続いたのだ。
 
さらにこのあたりにはかつて日本三大銅山のひとつだった日立銅山がある。
閉山になった理由は、銅の鉱脈が枯れたわけではなく、採算が合わなくなっただけだから、いまも鉱床がかなりの規模で広がっていると考えられる。
そうして、銅の導電率は、全金属中で銀に次いで二番目に高いのだ。
 
なんの話かと思われそうだが、光柱が観測されたのは単なる都市伝説ではなく、物理学的に説明できることなのではないかと思ったりもするのだ。
つまり、「光の柱?作り話だよ、そんなの」派に対して、「いや、光の柱は間違いなく立っている」派なのだ。