まだ水が豊かではない水路に架けられた小さな木の橋。
橋の横では子供たちが、水路を飛び越しながら遊んでいる。春風の中に歓声がひびいている。
──それじゃあ、なんのために架けられた橋なのか、わからないよ。まあ、この橋をかならず渡りなさいとは、どこにも書かれていないけど。

水路に沿った土手道に、春の花々が咲き始めている。── 名を知っている花、そうして、名を知らぬ花。── いくつかの花の名しか知らないのだが。


水路に沿った土手道の先、わずかばかりの木立の中に小高い丘がある。
雨上がり、まだ葉の茂っていない明るい木立の中の道は、あちこち、ぬかるんでいる。
そこを歩いてゆけば、古びた石組みの階段に突き当たり、登ってゆけば丘の上の、わずかばかり平たんな場所に出る。

そこに一本だけある桜が、ようやく開花し始めている。
桜の木の横には古い石碑が立っている。桜がそこに植えられるより、はるか昔からあった石碑だ。

石碑の静止した文字列に重なって、桜の影が舞っているかのように揺れている。
── まるで、文字列に音律を与えようとしているかのように。── ここに立つ者に、未知の歌を聞かせてくれているかのように。

「かつて歌は祈りだった。祈りは歌だった」。──いにしえの欧州ではそう言われていたらしい。


丘の東のかなたに、今日は凪いでいる海が見える。
── かなたとは言っても、それほど遠くにあるわけでもない。
歩いて行く先が最初から見えていれば、少しばかり離れた場所であっても遠く見えるものなのだ。

それが異界との距離なのだ。
「かつて歌は祈りだった。祈りは歌だった」。── それなら、破壊神を祀る歌もまた、祈りなのだろうか。── おそらくそうなのだろう。


石碑の静止した文字列に重なって、開花し始めた桜の影が、舞っているかのように揺れている。
── 押し黙る文字列に、音律を与えようとしているかのように。
── ここに立つ者が、いまだ知らずにいる歌を聞かせてくれているかのように。

陽光は目に射しこみ、だがふたたび、揺れる桜の枝に隠れる。── この身にもまた、桜の影がさしているのだ。


丘の東のかなた、今日は凪いでいる浜辺で、あの日、拾ったピンク色の貝殻を見せてくれた少女は、いまも貝殻を探しているのだろうか。
── ずっとここで探していると言っていた。そうして自分の名前を教えてくれた。
名前に、同じ文字が使われていた。

── 花咲き始める木の影と、押し黙る文字列との舞踏。
遠くまで見晴らせる小高い丘の上に、あらたな季節の風は変わることなく、開花し始めている木々に吹き、歌っている。




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