泥仏不渡水
神光照天地
- 「碧巌録」 第九十六則
もし、救いというものがあるのだとして、しかし人が泥で作り上げた仏は水面を渡って、やっては来ない。
水面にその姿を崩し、水面にのまれていくからだ、── 水に悪意など、ないにもかかわらず。
泥でできた仏は質量を持つ存在であるがゆえに、明確に救いをもたらすかのように考えられる。
だが人の思い込みなのだ。
泥でできた仏は、人を救うために、波濤を超えて、やっては来ない。
それを待ち、待ち続け、立ちすくみ、哀しむ人々の、西風の中の影。
なぜ偶像崇拝が禁止されるのか。
その排他的な独善からではない。「人を救いに来てくれない」からなのだ。
だがそれでも光は、天空にひろがり、この地上に満ちる。
それは境界を超え、時の流れを超え、── 言語を、宗教を、民族を、いっさいの相違を超え、
人の涙が作り出した泥の仏が、水面に崩れ、水面にのまれてゆく姿をすら、ただ静かに見つめ、── 哀しげに見つめ、
── 対にあるものが絶えた、絶対の側にある、久遠を、無限を、ただ指し示す。
人は苦を超えた場にいることを忘れるなと、いっさいを明らかにする。
J.S.BACH "Fugue in A minor BWV543" - Karl Richter (Organ) - [Vinyl Record]
神光照天地
- 「碧巌録」 第九十六則
もし、救いというものがあるのだとして、しかし人が泥で作り上げた仏は水面を渡って、やっては来ない。
水面にその姿を崩し、水面にのまれていくからだ、── 水に悪意など、ないにもかかわらず。
泥でできた仏は質量を持つ存在であるがゆえに、明確に救いをもたらすかのように考えられる。
だが人の思い込みなのだ。
泥でできた仏は、人を救うために、波濤を超えて、やっては来ない。
それを待ち、待ち続け、立ちすくみ、哀しむ人々の、西風の中の影。
なぜ偶像崇拝が禁止されるのか。
その排他的な独善からではない。「人を救いに来てくれない」からなのだ。
だがそれでも光は、天空にひろがり、この地上に満ちる。
それは境界を超え、時の流れを超え、── 言語を、宗教を、民族を、いっさいの相違を超え、
人の涙が作り出した泥の仏が、水面に崩れ、水面にのまれてゆく姿をすら、ただ静かに見つめ、── 哀しげに見つめ、
── 対にあるものが絶えた、絶対の側にある、久遠を、無限を、ただ指し示す。
人は苦を超えた場にいることを忘れるなと、いっさいを明らかにする。

J.S.BACH "Fugue in A minor BWV543" - Karl Richter (Organ) - [Vinyl Record]