雨滴がワイパーに拭われてゆく。
窓の外、かなたの空に雲は、その濃淡でなにを描いているのか。明るい箇所に、鳥たちが横切ってゆく姿がふいに浮かび上がる。
ガラス越しに鳥たちの声が聞こえることはなく、それでもそこに、空間が生存の場所である鳥たちの飛翔の姿。

遠い山々は淡い霞につつまれ、無数の命をつつみ、夏の夕暮れ時は近い。
雨の気は地上を覆ってゆき、稜線も見えなくなってゆく。
── なにが眠りにつこうとしているのか。── 少なくとも、眠りにつくべきものが眠りにつこうとしているのだ。


森の中の道。あのあかるい場所には精霊たちの姿。
人の気配にその姿を隠そうとも、揺れる大気が光を屈折させ、木々の向こうにいる精霊たちの姿が、一瞬、かいまみえる。
いにしえの人々が残した映像、── そこにいたものと同じ、ひとなつこい姿のままで。


水面には木立の姿がうつり、風に木立の影は崩れ、だが目を上げれば木立は変わることなくそこにあり、── いにしえの人々はその姿を天空にまで投影し、その果てにユグドラシルの夢を見たのか。


後ろへ後ろへと走り去ってゆく路面は夏の雨に濡れ、傘を持たない少年がひとり歩いている。
── あの日々、雨の中を歩いていた。
── 傘を持つのを忘れたわけではなかった。傘というものを知らなかっただけなのだ。

夏の雨降る中、家々の窓は閉じられている。吹き込む風すら遮断され、── 生活というもの。
背負うものがある限り、背負ったまま歩かなければならない。
いまは見えなくなってゆくあの稜線の姿は、背負ったまま歩かなければ、見失ってしまうだろう。


森の中の道。夏の野草の茂る、長い登り坂。
そうして、あのあかるい場所には精霊たちの歌。── 誰も、ひとりではないと歌うのか。
人の気配にその姿を隠しながら、それなら誰に向かって歌っているのか。

遠い山々は淡い霞につつまれ、無数の命をつつみ、夏の夕暮れ時は近い。
雨の気は地上を覆ってゆき、稜線も見えなくなってゆく。
夏の日の雨。
天空の兵士たちは、雨の中を歩む少年が背負った荷を見つめ、微笑みかける。




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J.S.BACH "Flute Sonata in B minor BWV1030 - Andante"
 Peter-Lukas Graf - [Vinyl record]