黒く、底も見えない巨大な谷には、大木によって組み上げられた橋がかけられている。
白い衣をまとう、いにしえの時代の男がその橋へと向かっている。
── いつの時代のものなのか、よく作ったものだ。あちら側には、誰だって行けるはずもなかっただろう。
それなら多くの犠牲もあったのだろう。多くの犠牲が、いまもあの橋を支えているのだろう。
橋へと向かう男の前に、昨夜の嵐が残した黒い泥濘はひろがっている。
いまはこの先に道も見えず、泥濘はいまは鎮まっていても、くり返し命を持ち、人の前に立ちふさがる。
だがそうあるべきなのだ。── 人の世界にこの太刀を与えるために。
夜闇の中の閃光と轟音と泥濘と。── 悲しむ声とその表情と、絶望と。
わかりきっていることだ、救いの言葉が夜闇の黒を払い続けることはない。
その言葉に慣れてしまえば、ふたたび夜闇には轟音と閃光と泥濘とが渦を巻く。
── だが、人にこの太刀を与えるために。
いま雲は白く輝き、天空を走り、淡く青い風。
歌よ、鳥たちの歌よ、水の光はこの地のあらゆる場所に滴り落ち、あらたな音律をこのこの世界に示している。
── 太刀はいま音律とともにあり、ともにひびいている。
── 髪に櫛を挿したままだった、一輪の花を挿したままだった。
きみはこれからどうするのだ。
ここに残り、豊かさというものを明らかにしてゆくのか、── それとも、あの橋を渡るのか、あの稜線へとむかうのか。
いま雲は白く輝き、天空を走り、淡く青い風。
歌よ、鳥たちの歌よ、水の光はこの地のあちこちに滴り落ち、あらたな音律をこのこの世界に示し、ひびいている。
── 太刀がひびくかぎり、橋はあのままあるのだろう、巨木によって組み上げられた、いにしえの時代からある、あの橋は。
── 巨木?あのユグドラシルの小枝なのだろう。
過去よ、現在よ、そうして未来よ、見えぬ果てにまで連なる、いにしえの時代からの橋の姿よ。
夜闇の中に、身体のあらゆる部位を失いつづけ、身体のあらゆる感覚器官を失いつづけ、── だがいま、身体のあらたな部位と、身体のあらたな感覚器官とは、あらたにひびく音律とともにある。
わかりきっていることだ。救いの言葉が夜闇の黒を払い続けることはない。
その言葉は、耳にしているときにだけ有効なのだ。立ち止まってその言葉を聞いているときにだけ有効なのだ。
だがその言葉は、いつでも一歩を与えてくれた。
── それだけで充分だった。それがあったから、泥濘から踏み出していけた。
だからいま、ここを歩いている。だからいま、この太刀とともにある。だからいま、かなたに、いにしえの時代からの橋の姿がある。
黒く、その底も見えない巨大な谷間を見つめ、いま雲は白く輝き、天空を走り、淡く青い風。
歌よ、鳥たちの歌よ。水の光はこの地のあらゆる場所に滴り落ち、あらたな音律をこの世界に示し、ひびいている。
── 髪に櫛を挿したままだった、一輪の花を挿したままだった。
きみはこれからどうするのだ。
ここに残り、豊かさというものを明らかにしてゆくのか、── それとも、あの橋を渡るのか、あの稜線へとむかうのか。
最初から与えられている太刀は、いつでもこの世界の音律にひびいている。
J.S. Bach: Chorale Prelude: O Mensch Bewein Dein Sunde Gross, BWV 622
白い衣をまとう、いにしえの時代の男がその橋へと向かっている。
── いつの時代のものなのか、よく作ったものだ。あちら側には、誰だって行けるはずもなかっただろう。
それなら多くの犠牲もあったのだろう。多くの犠牲が、いまもあの橋を支えているのだろう。
橋へと向かう男の前に、昨夜の嵐が残した黒い泥濘はひろがっている。
いまはこの先に道も見えず、泥濘はいまは鎮まっていても、くり返し命を持ち、人の前に立ちふさがる。
だがそうあるべきなのだ。── 人の世界にこの太刀を与えるために。
夜闇の中の閃光と轟音と泥濘と。── 悲しむ声とその表情と、絶望と。
わかりきっていることだ、救いの言葉が夜闇の黒を払い続けることはない。
その言葉に慣れてしまえば、ふたたび夜闇には轟音と閃光と泥濘とが渦を巻く。
── だが、人にこの太刀を与えるために。
いま雲は白く輝き、天空を走り、淡く青い風。
歌よ、鳥たちの歌よ、水の光はこの地のあらゆる場所に滴り落ち、あらたな音律をこのこの世界に示している。
── 太刀はいま音律とともにあり、ともにひびいている。
── 髪に櫛を挿したままだった、一輪の花を挿したままだった。
きみはこれからどうするのだ。
ここに残り、豊かさというものを明らかにしてゆくのか、── それとも、あの橋を渡るのか、あの稜線へとむかうのか。
いま雲は白く輝き、天空を走り、淡く青い風。
歌よ、鳥たちの歌よ、水の光はこの地のあちこちに滴り落ち、あらたな音律をこのこの世界に示し、ひびいている。
── 太刀がひびくかぎり、橋はあのままあるのだろう、巨木によって組み上げられた、いにしえの時代からある、あの橋は。
── 巨木?あのユグドラシルの小枝なのだろう。
過去よ、現在よ、そうして未来よ、見えぬ果てにまで連なる、いにしえの時代からの橋の姿よ。
夜闇の中に、身体のあらゆる部位を失いつづけ、身体のあらゆる感覚器官を失いつづけ、── だがいま、身体のあらたな部位と、身体のあらたな感覚器官とは、あらたにひびく音律とともにある。
わかりきっていることだ。救いの言葉が夜闇の黒を払い続けることはない。
その言葉は、耳にしているときにだけ有効なのだ。立ち止まってその言葉を聞いているときにだけ有効なのだ。
だがその言葉は、いつでも一歩を与えてくれた。
── それだけで充分だった。それがあったから、泥濘から踏み出していけた。
だからいま、ここを歩いている。だからいま、この太刀とともにある。だからいま、かなたに、いにしえの時代からの橋の姿がある。
黒く、その底も見えない巨大な谷間を見つめ、いま雲は白く輝き、天空を走り、淡く青い風。
歌よ、鳥たちの歌よ。水の光はこの地のあらゆる場所に滴り落ち、あらたな音律をこの世界に示し、ひびいている。
── 髪に櫛を挿したままだった、一輪の花を挿したままだった。
きみはこれからどうするのだ。
ここに残り、豊かさというものを明らかにしてゆくのか、── それとも、あの橋を渡るのか、あの稜線へとむかうのか。
最初から与えられている太刀は、いつでもこの世界の音律にひびいている。

J.S. Bach: Chorale Prelude: O Mensch Bewein Dein Sunde Gross, BWV 622