以前、ネットのどこかで、心霊写真を集めたものを見たことがある。
どこだったか失念したのだが、「ジョーク系」心霊写真が満載で楽しかった。

庭での、家族の記念写真で、「後ろのカーテンに、見知らぬ顔が…」。

記念撮影で、みなが笑顔でいる背景のカーテンの下、手書きの〇で囲まれたところに、確かに顔が写っている。
・・・カーテンのすき間からカメラの方を見ている猫だった。(^^;


私も日暮里で、やはり心霊写真を撮ったことがある。路地で花を撮ろうと考えただけなのだ。
花の上の壁に浮かび上がる「それ」は、なんだったのだろうか。
心霊写真なら「無表情」が普通だが、やたら気合が入った闘志満々の、臨戦態勢の表情をしている。珍しい写真だ。


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まあ、いろいろある。
早朝、歩いていたら、小枝が出ている木の根元が、なにやら動いていた。
なぜ木の根元が、まるで生き物であるかのように動くのだ。
・・・なにかが、「木の根元」に成りすましている。
しかし、なんのために木の根元に成りすましているのだ???

このあたりにはお寺さんが多い。
夜だけではない、すっかり朝になっていても、「それ」はいるのだ・・・。


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意外な場所で意外な人?に出会うこともある。
川原のゆるい斜面の土手でのことだった。
幹線道路からは遠く外れ、地元の人しか知らないその川原は、九月にはヒガンバナの赤で埋め尽くされる。
ちょっとしたシークレットガーデンなのだ。

そのとき、私は川を眺めながら歩いていた。
カメラを手に持っていても、ふいにカメラのことを忘れてしまうことがある。
ときどき、持っているものをみな忘れて、ただ歩いていることがあるのだ。
そのときはそんな状態だった。

ご老人が、川原の土手にいる私の前の道を、ゆっくりと歩いていた。
そうして、歩きながら一瞬私を見た。
目と目が合ったのだが、ご老人は私に挨拶をすることもなく、ふたたび前を見て、その歩みを変えることなく歩き続けた。

その沈思する姿を見て私は思った。学者?・・・退官した哲学教授なのだろうか。
ご老人が私の目の前を通り過ぎようとしたとき、ふいに私はカメラのことを思い出した。
そうして、はなはだ失礼ながら、そのご老人に向けてシャッターを切ったのだ。

カシュン!
金属音にご老人はふと足を止め、立ち止まったまま、静かに私を正視した。
見つめる目。短い時間だったが、それは長く感じられた。
だがご老人は、ふたたび前を向き、何事もなかったかのように、ゆっくりと歩き始めた。
ああ、やはり哲学者なのだと思った。

いま、ご老人に聞きたいことがあるはずだ。だがいつも、言葉を探しているうちに、通り過ぎて行ってしまうのだ。



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モーツァルト フルート四重奏曲第1番 K.285 第1楽章 MozartKV 285-1.