秋祭りのシーズン。阿武隈山塊のはずれにある、山間を貫く幹線道路を走行していると、途中で、秋祭りをやっていたので立ち寄った。
「かかし祭り」だ。
いろいろなグループが、それぞれに趣向を凝らした案山子を持ち寄り、優勝を競うのだ。

毎年今頃やっているのは知っていたのだが、今日とは思わなかった。
行き先は決めていた、もっと先まで足を延ばすつもりでいたのだ。

休日は一日中コーヒーだけを飲んで、食事を忘れてしまうことが多い。
屋台をめぐり、何串かの焼き鳥、暖かなけんちん汁や新そばを食べた。それを目的に立ち寄ったのかもしれない。(^^;

風の強い一日だった。
展示されていた「案山子」はどれも苦心して作ったのだろう、わら束を編み上げ、そこに施されたにぎやかな彩色。
それらのいずれもが、笑顔を見せていた。



ステージには何人かの歌手が出演し、そうして園まりさんが登場した。

彼女は昭和中期の女性トップアイドル三人のうちの一人で、彼女たちは総称して「三人娘」と呼ばれていた。

笑顔で、「風が強いですね・・・」と挨拶し、1960年代の歌謡曲をいろいろ歌ってくれた。
弘田三枝子さんの歌った「ヴァケーション」なども楽しかった。

歌う前に彼女は、曲の背景にあることを、プライベートな話題まで含めていろいろと話してくれた。
「この曲は…鑑別所にいた若い人が作り、プロが手を加えたものなのです」.
藤圭子さんの歌唱で知られる「夢は夜ひらく」だった。
重い曲はこれだけだったが、鑑別所にいる者への思いが垣間見える気がした。

彼女は何回か、「苦しかったとき、つらかったとき」という言葉を使った。
「苦しいときには、いつもこの曲に励まされました」と紹介した曲は、「スタンド・バイ・ミー」だった。
「どんなことがあっても、どれほど辛いことがあっても、頑張ればかならず、やり直していけるんです」。


 

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彼女はステージから芝生に降り、目の前にいる人たちにいろいろな話をした。
スターなら、ステージから降りる必要もないだろう。彼女は、ステージから降りて話すんだなと思った。
しかしそれが似合う気がした。
並みのスターなら、ステージの上だけが似合うものだ。

「私が母の介護をしていたとき──」 彼女は言った。
「たとえ意識がなくなってしまっても、それでも人には、触れあう魂があるということがわかりました。かならず魂は生きていて、── 人にはどんなことがあっても、生きているものがあるのです」。

ステージが終了したとき、彼女は最後にこう言った。
「またいつか、どこかで必ずお会いしましょう。その日が来ることを楽しみにしております」。

見物客はそれぞれに散っていった。私のそばを二人のご老人が歩いていて、こんな話をしていた。
「いや、よかったよなぁ、来てよかったよ」。
「話を聞いててよ、── おれぁ、泣いちまったよ」。


これからも、多くの言葉を
歌に乗せて投げかけてゆくのだろう。
けっして難しい言葉によってではなく、世間話でもするかのように、思い出をその人生の翼に乗せて、多くの人々に語りかけてゆくのだろう。

ふとビールを飲みたくなったが、あきらめるしかない。
富士山のミネラルウォーターにした。冷たい感触が、なぜか不思議に懐しかった。



 

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園まり スタンドバイミー  by BE King 詞大塚彩子




こちら、かかし祭りおよび会場周辺の写真。
秋祭りの日に - トキナーの100/3.5マクロ  ▲