この記事でご紹介している2本のレンズ。
Acall 80mm f:3.5  (Kyoei Optical - 協栄光学)

Petri MC LENS 1:1.7/55 + 自作Eマウントアダプター


Acall 80mm f:3.5  (Kyoei Optical - 協栄光学)


 

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このレンズは、いまは存在しない協栄光学から、おそらく1950年代に発売された。
「おそらく」と書いた理由は、その特殊なマウントによる。
ねじ込み式マウントだったのだが、M42でもなく、ライカLマウントM39でもなかった。

M37だったのだ。これは旭光学工業(後のペンタックス)の初期の一眼レフ、「アサヒフレックス」シリーズで使われていたマウントのネジ径だ。
アサヒフレックスシリーズの販売期間が、1952年から57年ごろまでだったのだ。

写真を見ても分るように、刻印文字も読み取りにくいほどに、まったくのボロボロ状態だった。
たださいわい、レンズのカビ食われは僅少だった。

分解して汚れを拭き取ると、外観はともかく、光学系だけは意外?なほどに、きれいになった。
M39→M42アダプターリングを、M37ネジ部にかぶせるように取り付け、接着固定して、M42レンズとして撮影可能になった。
フランジバックもM42と同等なのだろう、ピントも問題はない。

レンズタイプはトリプレットだ。トリプレットレンズには、周辺の崩れやバブルボケなど、特有の癖があるのだが、今回、それを意識しないで、ただ撮りたいものを撮った。

 


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漠然と前を見ていれば、眼前の風景は「広く」見えるものなのだろうが、「意識してなにかを見つめる」場合、見る範囲はやや狭くなる。
80mmという中望遠レンズの画角は、それに近いものなのだろう。
中心部のクリアさに加え、4隅の崩れが加わると、ますます視覚そのもののように思えてくる。

すでにぼろぼろになった60年ほど昔のレンズは、なにを見つめてきたのだろうか。そうして、なにを見せてくれるのだろうか。


Petri MC LENS 1:1.7/55 + 自作Eマウントアダプター




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ペトリは、1970年代の前半まで、低価格一眼レフを販売していたメーカーだ。
当初、社名は「栗林写真工業」だったが、1970年ごろに「ペトリカメラ」に改名した。

変わった名前だと思うのだが、キリスト教の「聖ペトロ」が由来なのだそうだ。
「ペトリ」と語尾が変化すると、「ペトロへ」という意味になるのだそうだ。
どこかで読んだ。(^^ゞ

ペトリのレンズへの高評価、好意的な評価をしばしば見かける。
それなら使ってみたい。
しかし、ペトリレンズのミラーレス用アダプターは普通に出回っていない。
マウントアダプターを自作しなければ、ペトリのレンズを活かすことができないのだ。

話がそれるが、ペトリカメラの駆動メカは、カム軸連動式という独創的かつリスキーな方式を取っていた。
なにがリスキーかというと、カム軸連動はメカの強度や追従性に左右され、連動のタイミングに狂いが出ると「一発アウト」になりやすいのだ。
機構的に修理も簡単ではない。そのため動作不能ジャンクとなったボディをよく見かける。

そんなジャンクボディからマウント部を取り外し、+「中国製のニコン用中間リング」+「Eマウント」を貼り合せ、ペトリレンズ-Eマウントアダプターを作った。

この組合せだと、なぜかフランジバックが追加工なしで出るので(やや、オーバー・インフィニティになるが)、簡単に作れるのだ。
元・工作少年(少女)なら楽勝?で作れるだろう。


なお、マウントアダプターの製作方法はこちらから。
ペトリ・レンズの、Eマウントアダプター製作



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いずれの写真も絞りは開放か、やや絞り込んだ程度であり、このレンズのベスト状態で使ったわけではないのだが、描写の質感、緻密さなど、世評どおりのレンズだと思う。

しかし、かんじんのカメラボディが動作不能になったものが多く、マウントアダプターを目にすることもなく、結果、その実力とは裏腹に出番が無くなってしまっているレンズなのだ。

なお、最後の1枚、夜景写真のみ、135mm望遠レンズを使っている。
後玉に白曇りがあるレンズで、手前の街灯のような高輝度部分は光の拡散が大きく、まるで濃霧の中にいるような描写になる。
しかし遠景の、輝度が低い部分は光の拡散も少なく、比較的すっきり写っている。

つまり、「濃霧が出ているのに、遠くがはっきり見える」という「非日常的写真」になってしまっている。
そんな描写が面白くて、曇り取りをする気がなくなってしまった。(^^;


なにかに命を吹き込もうとしている人たちに、この音楽を捧げたい。

水石の世界 The Art of Natural Stone ~ ベートーヴェンの交響曲とともに