高校一年の終わりの春休みに、友人と奥日光に行った。
観光ガイドには、「春には湖畔には花々が咲き乱れ」などと書かれており、「ここに行こうぜ」となったのだ。春はどこでも同じ春のはずだった。
奥日光に到着すると、一面、雪景色だった。(^^;
初日は湯ノ湖を一周した。雪の中を、普通のスポーツシューズで歩いた。
雪に取られて、靴はしばしば足から離れ、そのたびに何歩かは裸足で歩く羽目になった。
この時点で少年たちは、ひるみかけていた。(^^;
だが、すべて予定通りに進めることにした。
二日目は、湯元温泉~小峠~切込、刈込湖~涸沼(かれぬま)~山王峠~光徳牧場~湯元温泉と、三岳という山のすそを一周するハイキングコースを歩いた。比較的容易に歩けるはずのコースだった。
このときの写真は、この記事の中間部に数枚ほど含めてある。
湯ノ湖、蓼ノ湖、刈込湖、涸沼などだ。
湯元温泉裏の急坂を登りきると、そこからハイキングコースだ。
雪の路面には、すでに足跡があった。
同じ方向にむかう足跡だった。すでに誰かが行ったのなら、積雪があっても進めるだろうと思った。
もしその足跡がなかったら、少年たちはどうしたのだろう。
進むことを断念していたのかもしれない。だが、もうわからないことなのだ。
雪の道をしばらく歩くと、眼下にエメラルドグリーンの小さな湖が見えた。
蓼ノ湖という名の湖だった。
雪の中、そこにだけある色彩が不思議だった。
やや雪も降り始めていた。
歩き続け、気がつかないうちに小峠を過ぎ、切込湖、刈込湖に到っていた。
山々や木々。それらに囲まれて、眼下に雪原が広がっていた。
その雪原が湖だった。湖は雪に埋もれていた。
陸地と湖との境界には雪がなく、そこに水が青く、わずかに見えていた。
白い雪原となった湖は、青い輪郭によって縁取られていたのだ。
見えない湖、しかし、そこにある青い境界。
少年の目に、それは一つの神秘のようにうつった。
湖はもちろん低い箇所にあり、ハイキングコースはそれなりに高い箇所を通っていた。雪の中の、そんな高低差のある道を歩き続けた。
長いこと歩き続け、やがて涸沼に出た。涸沼もまた雪原となっていた。
雲はひくく降り、涸沼は眼下に静かに広がっていた。
降る雪、そうして雪の山道。やがて身体は冷え、濡れはじめていた。
「すでに足跡がある」ということだけが、遭難するはずもないという確信を与えてくれた。だがそれは、少年たちが勝手に決めた確信なのだ。
足跡は、そのあたりにかなり慣れた人のものらしかった。
藪を抜けるなど、ハイキングコースとは思えないルートをたびたび通過した。
ふと、その足跡を残した人は、われわれと同じ目的地にむかっているのだろうかという疑念がよぎった。
違うのだとしたら? だが、いまさらの疑念だった。
ここまで来てしまえば、もう、ついていくしかないのだ。
涸沼を過ぎ、さらに雪道を歩き、どこが山王峠なのかもわからないままに歩き続け、やがて光徳牧場の外れに到着した。
雪の中に建物を見て、一気に安堵した。
「足跡」という、勝手に決めた確信。それは「たまたま正解だっただけ」なのかもしれない。
だが、「雪の中の足跡というあやうい確信」こそが、少年たちに、それまで知らなかった世界を見せ続けたのだ。
そうして、十六歳の少年たちの前に展開した未知は、あまりにも冷たく美しいものだったのだ。
降り続く雪で身体は濡れ、消耗は激しかった。
光徳牧場の外れに、学習院小屋というバンガロー村があった。無人だったが、バンガローに鍵はかかっていなかった。そこで休ませてもらった。
中で仰向けになり、目を閉じると、とたんに視界いっぱいに舞う雪が、そうして雪原の姿がふたたび広がった。
閉じた眼前に、冷えた白い世界がふたたび広がった。
次第に熱と日常は戻ってきた。
ふたたび歩き始めると、光徳牧場も雪に埋もれていた。だが、売店は営業していた。スキー客でも立ち寄るのだろうか。
「あの・・・高校生なんですが、ビール、売ってくれませんか?」
少年たちは、「酒を飲むと温まる」という知識だけは持っていた。
店員の女性は笑いながら、「まあ、あんたたちは大丈夫なんでしょう」と言って、ビールを売ってくれた。
飲んで、かえって寒くなった。(^^;
雪原には柵が連なり、それによってそこが牧場なのがわかった。その先には光徳沼が雪の中にあった。
そこから湯元までは舗装道路だ。
足跡はすでに無く、だが日常は戻り、日常の中に確信は保証されていた。
■■
そのときの写真である。全体の右下をクリックすると拡大される。
湯ノ湖 - 刈込湖
蓼ノ湖
涸沼 - 私 (^^ゞ - 学習院小屋
■■
三日目、湯元温泉から、湯川に沿って中禅寺湖に向かった。
湯川に沿った道もまた、雪に埋もれていた。
天気はよく、ルートはすべてゆるい下り坂だ。雪の中の道ではあっても、前日とは違ったものに思えた。
急峻な斜面を滑り落ちるかのような湯滝を通り過ぎ、木々の中を抜けていく。
明るい雪道。
途中、さびた鉄パイプが地中に打ち込まれている不思議な構造物を見た。
パイプの上部から、水があふれ出していた。
井戸なのだろうか。よくわからないままに、そこで冷えた水を飲んだ。
やがて、戦場ヶ原に到った。戦場ヶ原という名は、太古の時代に神々がここで戦ったとされることに由来する。
昨日の光徳牧場への分岐は、戦場ヶ原の外れにある。そんな分岐が、なにか不思議なもののように思えた。
その先に、雪に埋もれた沼が、そうして湖があるのだ。
戦場ヶ原はあくまでも明るく広く、人の姿を見ることはほとんどなかった。
雪原に点在する枯れた木々が、風の存在を感じさせた。
木々は雪原の陽光の中に、不思議なたたずまいを見せていた。
かなたには男体山が見える。古くは「黒髪山」とも呼ばれていた山だ。
神話の舞台にあるこの山は、黒髪山という名のほうがよほど似合うと思う。
この広く明るい戦場ヶ原で、少年たちはなにを話しながら歩いたのだろう。
いまでは記憶にはない。
だが、青い空の下の雪原の木々、そうして川の流れる音。それらはどこまでも続いていた。
たとえ会話を覚えていなくても、そんな光景が、記憶の中、会話に置き換えられるのだ。
この世に生まれて、まだ十六年しか経っていない少年たちの会話は。
戦場ヶ原を過ぎ、明るい林の中を抜けると、岩を巻きながら落ちる竜頭ノ滝にいたる。ここまで来ると、人の姿も目に付くようになる。
そうしてここを過ぎるとすぐに中禅寺湖だ。
水深163mの豊かな湖は冬でも凍結することがなく、風の中に明るくさざなみをかがやかせていた。
貧栄養湖である中禅寺湖は濁りなく、「貧」という概念を付加され、だから豊かで冷たく、透明なのだ。
湖畔には「日本両棲類研究所」という施設があった。入ってみると訪問客は他にはいなかった。
学者然とした、あるいはどこかの大学を退官したと思える高齢の方が、水槽の中にいる両棲類をひとつひとつ説明してくれた。
興味本位で入っただけだった。
だが、物憂げに、じっとしている見たこともない生き物たちを前に、少年たちは目を丸くしていた。
ここまで歩いてきた雪原の下にも、それらは息づいていたはずなのだ。
そうして、最後の四日目。
午前中に東照宮周辺を巡った。少年たちは、神社仏閣に興味を持つような年齢にはなかった。
だが展開する未知が、少年たちの心をとりこにしていた。
道の両側には高い木々。そこに、確実に感じられる「時間」という概念。
教科書でしか知らなかった、いにしえの時代。
単に文字列で表現されているだけではない領域。書籍を、書斎を超える領域。
雪山をあやうげに歩き、その果てに、少年たちはそこにいる。
一番奥のエリアにある大猷院廟の、不思議に静謐なたたずまいが、それもまたひとつの未知として、少年たちの前にあった。
J.P.Sweelinck "Mein Junges Leben Hat Ein End"
Fritz Neumeyer - Cembalo - [Vinyl record]
帰宅後、同級の女生徒から葉書が届いていた。
遠方に引っ越すので転校することになったと書かれていた。同じクラスにいながら、それまで私は、彼女が引っ越すことを知らなかった。
そこに書かれていた引っ越しの日は、すでに過ぎていた。彼女は、私が葉書を読む前の日に引っ越していたのだ。
2013年6月の大猷院廟
◆リンク この記事の9ヶ月後のことである。
清新な時間帯、ただ光の中にある時間帯 ■
観光ガイドには、「春には湖畔には花々が咲き乱れ」などと書かれており、「ここに行こうぜ」となったのだ。春はどこでも同じ春のはずだった。
奥日光に到着すると、一面、雪景色だった。(^^;
初日は湯ノ湖を一周した。雪の中を、普通のスポーツシューズで歩いた。
雪に取られて、靴はしばしば足から離れ、そのたびに何歩かは裸足で歩く羽目になった。
この時点で少年たちは、ひるみかけていた。(^^;
だが、すべて予定通りに進めることにした。
二日目は、湯元温泉~小峠~切込、刈込湖~涸沼(かれぬま)~山王峠~光徳牧場~湯元温泉と、三岳という山のすそを一周するハイキングコースを歩いた。比較的容易に歩けるはずのコースだった。
このときの写真は、この記事の中間部に数枚ほど含めてある。
湯ノ湖、蓼ノ湖、刈込湖、涸沼などだ。
湯元温泉裏の急坂を登りきると、そこからハイキングコースだ。
雪の路面には、すでに足跡があった。
同じ方向にむかう足跡だった。すでに誰かが行ったのなら、積雪があっても進めるだろうと思った。
もしその足跡がなかったら、少年たちはどうしたのだろう。
進むことを断念していたのかもしれない。だが、もうわからないことなのだ。
雪の道をしばらく歩くと、眼下にエメラルドグリーンの小さな湖が見えた。
蓼ノ湖という名の湖だった。
雪の中、そこにだけある色彩が不思議だった。
やや雪も降り始めていた。
歩き続け、気がつかないうちに小峠を過ぎ、切込湖、刈込湖に到っていた。
山々や木々。それらに囲まれて、眼下に雪原が広がっていた。
その雪原が湖だった。湖は雪に埋もれていた。
陸地と湖との境界には雪がなく、そこに水が青く、わずかに見えていた。
白い雪原となった湖は、青い輪郭によって縁取られていたのだ。
見えない湖、しかし、そこにある青い境界。
少年の目に、それは一つの神秘のようにうつった。
湖はもちろん低い箇所にあり、ハイキングコースはそれなりに高い箇所を通っていた。雪の中の、そんな高低差のある道を歩き続けた。
長いこと歩き続け、やがて涸沼に出た。涸沼もまた雪原となっていた。
雲はひくく降り、涸沼は眼下に静かに広がっていた。
降る雪、そうして雪の山道。やがて身体は冷え、濡れはじめていた。
「すでに足跡がある」ということだけが、遭難するはずもないという確信を与えてくれた。だがそれは、少年たちが勝手に決めた確信なのだ。
足跡は、そのあたりにかなり慣れた人のものらしかった。
藪を抜けるなど、ハイキングコースとは思えないルートをたびたび通過した。
ふと、その足跡を残した人は、われわれと同じ目的地にむかっているのだろうかという疑念がよぎった。
違うのだとしたら? だが、いまさらの疑念だった。
ここまで来てしまえば、もう、ついていくしかないのだ。
涸沼を過ぎ、さらに雪道を歩き、どこが山王峠なのかもわからないままに歩き続け、やがて光徳牧場の外れに到着した。
雪の中に建物を見て、一気に安堵した。
「足跡」という、勝手に決めた確信。それは「たまたま正解だっただけ」なのかもしれない。
だが、「雪の中の足跡というあやうい確信」こそが、少年たちに、それまで知らなかった世界を見せ続けたのだ。
そうして、十六歳の少年たちの前に展開した未知は、あまりにも冷たく美しいものだったのだ。
降り続く雪で身体は濡れ、消耗は激しかった。
光徳牧場の外れに、学習院小屋というバンガロー村があった。無人だったが、バンガローに鍵はかかっていなかった。そこで休ませてもらった。
中で仰向けになり、目を閉じると、とたんに視界いっぱいに舞う雪が、そうして雪原の姿がふたたび広がった。
閉じた眼前に、冷えた白い世界がふたたび広がった。
次第に熱と日常は戻ってきた。
ふたたび歩き始めると、光徳牧場も雪に埋もれていた。だが、売店は営業していた。スキー客でも立ち寄るのだろうか。
「あの・・・高校生なんですが、ビール、売ってくれませんか?」
少年たちは、「酒を飲むと温まる」という知識だけは持っていた。
店員の女性は笑いながら、「まあ、あんたたちは大丈夫なんでしょう」と言って、ビールを売ってくれた。
飲んで、かえって寒くなった。(^^;
雪原には柵が連なり、それによってそこが牧場なのがわかった。その先には光徳沼が雪の中にあった。
そこから湯元までは舗装道路だ。
足跡はすでに無く、だが日常は戻り、日常の中に確信は保証されていた。
■■
そのときの写真である。全体の右下をクリックすると拡大される。
湯ノ湖 - 刈込湖
蓼ノ湖
涸沼 - 私 (^^ゞ - 学習院小屋
■■
三日目、湯元温泉から、湯川に沿って中禅寺湖に向かった。
湯川に沿った道もまた、雪に埋もれていた。
天気はよく、ルートはすべてゆるい下り坂だ。雪の中の道ではあっても、前日とは違ったものに思えた。
急峻な斜面を滑り落ちるかのような湯滝を通り過ぎ、木々の中を抜けていく。
明るい雪道。
途中、さびた鉄パイプが地中に打ち込まれている不思議な構造物を見た。
パイプの上部から、水があふれ出していた。
井戸なのだろうか。よくわからないままに、そこで冷えた水を飲んだ。
やがて、戦場ヶ原に到った。戦場ヶ原という名は、太古の時代に神々がここで戦ったとされることに由来する。
昨日の光徳牧場への分岐は、戦場ヶ原の外れにある。そんな分岐が、なにか不思議なもののように思えた。
その先に、雪に埋もれた沼が、そうして湖があるのだ。
戦場ヶ原はあくまでも明るく広く、人の姿を見ることはほとんどなかった。
雪原に点在する枯れた木々が、風の存在を感じさせた。
木々は雪原の陽光の中に、不思議なたたずまいを見せていた。
かなたには男体山が見える。古くは「黒髪山」とも呼ばれていた山だ。
神話の舞台にあるこの山は、黒髪山という名のほうがよほど似合うと思う。
この広く明るい戦場ヶ原で、少年たちはなにを話しながら歩いたのだろう。
いまでは記憶にはない。
だが、青い空の下の雪原の木々、そうして川の流れる音。それらはどこまでも続いていた。
たとえ会話を覚えていなくても、そんな光景が、記憶の中、会話に置き換えられるのだ。
この世に生まれて、まだ十六年しか経っていない少年たちの会話は。
戦場ヶ原を過ぎ、明るい林の中を抜けると、岩を巻きながら落ちる竜頭ノ滝にいたる。ここまで来ると、人の姿も目に付くようになる。
そうしてここを過ぎるとすぐに中禅寺湖だ。
水深163mの豊かな湖は冬でも凍結することがなく、風の中に明るくさざなみをかがやかせていた。
貧栄養湖である中禅寺湖は濁りなく、「貧」という概念を付加され、だから豊かで冷たく、透明なのだ。
湖畔には「日本両棲類研究所」という施設があった。入ってみると訪問客は他にはいなかった。
学者然とした、あるいはどこかの大学を退官したと思える高齢の方が、水槽の中にいる両棲類をひとつひとつ説明してくれた。
興味本位で入っただけだった。
だが、物憂げに、じっとしている見たこともない生き物たちを前に、少年たちは目を丸くしていた。
ここまで歩いてきた雪原の下にも、それらは息づいていたはずなのだ。
そうして、最後の四日目。
午前中に東照宮周辺を巡った。少年たちは、神社仏閣に興味を持つような年齢にはなかった。
だが展開する未知が、少年たちの心をとりこにしていた。
道の両側には高い木々。そこに、確実に感じられる「時間」という概念。
教科書でしか知らなかった、いにしえの時代。
単に文字列で表現されているだけではない領域。書籍を、書斎を超える領域。
雪山をあやうげに歩き、その果てに、少年たちはそこにいる。
一番奥のエリアにある大猷院廟の、不思議に静謐なたたずまいが、それもまたひとつの未知として、少年たちの前にあった。
J.P.Sweelinck "Mein Junges Leben Hat Ein End"
Fritz Neumeyer - Cembalo - [Vinyl record]
帰宅後、同級の女生徒から葉書が届いていた。
遠方に引っ越すので転校することになったと書かれていた。同じクラスにいながら、それまで私は、彼女が引っ越すことを知らなかった。
そこに書かれていた引っ越しの日は、すでに過ぎていた。彼女は、私が葉書を読む前の日に引っ越していたのだ。
2013年6月の大猷院廟
◆リンク この記事の9ヶ月後のことである。
清新な時間帯、ただ光の中にある時間帯 ■