ある友人のこと。
彼は、親が小さな会社を経営している家に生まれた。他社では作れないような特殊部品を作る会社だった。

彼の父が「やり手」だったのだ。彼の父は発想力も行動力もあり、企業城下町である私たちが住む街の核となっている企業ともタイアップして、業績を伸ばしていった。

しかしタイアップには限界がある。下請け的な状況を越えることは難しかったのだ。
やがて彼の父は、タイアップ関係を切って企業城下町の外に出ようとした。

だがそのタイミングで経済のバブルが崩壊した。つながりを切ってしまったあとの波は大きかった。
会社の業績は一気に悪くなり、ほとんどの従業員を失うことになった。

友人は経営者タイプではなかった。彼は、父の会社を支える気はなかった。
彼は思い立つと、一~二年間というスパンで海外に旅に出た。
中央アジアや欧州など、思い立つと、われわれに挨拶らしい挨拶もなしに旅立ったのだ。

それだけのことをやるなら、
紀行文でも書き、カメラで多くの場面を撮影し、さまざまな土地のことを、そこを知らない多くの人と共有することもできただろう。

しかし彼は、そんな意図を持たなかった。
彼は生産的なことに興味がなく、つまり、そのような目的を持って旅に出たのではなかったのだ。

「もったいないよなあ、そういう経験を活かせばいいのに」。
友人たちは言った。
しかし彼にはそもそもそんな発想がなかった。結局、彼の父がおこした会社は、そのまま消滅していった。

彼とは音楽の趣味が合った。ロックバンド、ローリング・ストーンズが来日したときにはいつも一緒に行った。
コンサートが終わると、私がむかし住んだ日暮里の、「夜店通り商店街」というところの路地にある、小さな飲み屋街で酒を飲んだ。
上野まで戻れば、ビジネスホテルやカプセルホテルが数多くあり、宿泊の心配はなかったから気楽だった。

「このあたりは、日本人も減って外国人が多いんだ」。
隣に座っていた男が私に話しかけた。
「へえ・・・私はこの近くの、初音(はつね)幼稚園のそばに住んでいたことがあるのですが」。
「あんた、ここに住んでいる人じゃないんだな。すこし言葉が違うと思ったよ。しかし、初音幼稚園のあたりに住んでいたのか。静かなところだよな、お寺さんが近いからかな。お寺さん、たくさんあるからな」。

「そうですね、夜なんか、路地ひとつ曲がっただけで音がなくなる感じがしました。初音という名も気にいっていたし」。
「この飲み屋街はな、常連さんとか、みんな早く死んじゃうんだよ。やっぱり、お寺さんが近いからなのかな」。
「・・・そんなものですかね」。

急に友人が口をはさんだ。
「このあたりは、人が死にやすい場所ではない。そういう場所ではないぞ」。
「?。わかるのか?」。
「わかる。そういう場所は、すとんと落ちるような、なにかがあるものなんだ。ここにはそれがない」。
「へえ、それじゃ、安心して暮らしていられるんだ」。
隣の男が笑いながら言った。



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友人が言った。
「どこにも階段みたいなものがあるものだ。なにかをいやだと思って、いやではない方を選んでいくと、不思議なほどに、もっと悪くなっていくものなんだ。そんなときは、いつでも下りの
階段を選んでいるものなんだ」。
「そんなものなのか」。
「そんなものだ。おれがそうだ。だから、階段を下るようなものがある場所は、おれにはすぐにわかるんだ」。

「よくわからないんだが・・・いやだと思って比較しながら、いろいろなことをやってきたのか?」。
私は聞いた。
彼はしばらく黙り、やがて言った。

「いつもそうだったと思う。いつでもいまが、これまでの着地点だろう。そうして、いまのおれは、おれのすべての結果なんだ」。

「意味がわからないぞ。きみはいつも、なにも残そうとしていないように感じるんだが、それも同じところから来ているのか?」。
しかし彼はそれに返事はしなかった。

路地の飲み屋街。そこに連なる明かり。酔眼で歩く路地裏。
だが私には懐しい通り。
酔いは朝には抜けるのだろう。戻ってこなかった言葉。なにも残らないのか、なにも残したくないのか。

坂道の多い街。酔眼の中で歩く、まるで迷宮のような、しかし懐しい路地。
日々というもの。
人の思いになんの斟酌もなく、まるで迷宮のような、しかし懐しい路地の姿。




J.S.BACH - PARTITAS -
Gustav Leonhardt - Cembalo




◆リンク
雨の中の路面 - 交錯する分岐
段ボール箱に放り込まれた断片
The Rolling Stones Gather No Moss