深夜。少しばかり開いた窓からの、かすかな夜風。
秋の虫の声が聞こえる。出先から帰宅した、まだ熱の残る時間帯。

帰宅が遅くなった。長い時間、夜道を走行した。エンジン音はまだ私の内に残っている。


走行する夜の舗装路。
街灯はまるで闇の彼方から、わきだしてくるかのように私に向かい、そうしてくりかえし、後ろへ後ろへと過ぎていった。

昼間なら、建物や看板など、無数の目印となるものがあり、意識するしないにかかわらず、私は私が進むための分岐を選んでいるだろう。
いつでも私は、目印と分岐を見ているのだ。

深夜の闇。よく知らない街中では目印も定かではなく、分岐の確定も難しい。
前照灯に浮かび上がる正面。そうしてエンジン音と路面からの振動。

闇はどこまでもあり、くりかえし私が通り過ぎていく街灯の光、そうしてそこにある分岐。
にぶく光を受ける舗装された路面。

走行中に、私はふと錯覚していた。
「私が」停止しているのか?
「街灯が」走り、停止している私を通り過ぎていくのか。
「分岐が」私を通り過ぎ、私は停止したまま、いずれかの方向へと位置を変えていくのか。

ありえない。
だが、錯覚とは、「それを受け入れた瞬間」の別名なのだ。

それなら私は受け入れたのか。
高速で過ぎ行く街灯の、無機質な光跡の中、そこに私が停止していることを。
黒と、そうして光の中に。


夜闇の中、
街灯の光は後ろへ後ろへと過ぎ、消え失せる。
そう、通り過ぎれば消え失せる分岐。そうしてそこにある選択肢。
通り過ぎれば、分岐だったはずの箇所は、その痕跡すら残しはしない。

闇の中から出現する街灯は、くりかえし同じ姿を見せ、そこにある無機質な光跡。そうして、そこでの錯覚というもの。

深夜。秋の虫の声が聞こえる。少しばかり開いた窓からの、かすかな夜風。
エンジン音と熱、路面からの振動はまだ身体に残っている。

だが、それとともにある鼓動が、私を錯覚から引き戻すのか。
停止という錯覚は否定される。いまだ残る鼓動が、その否定を保証するのか。

夜の雲間には、淡く見え隠れする月の光。夜の雲と月の光との交錯。
いつでも移り行くもの。
いま私はここにおり、天空の月と雲とが織りなす、光と闇との舞。
夜風の中、止まることのない舞。

錯覚ではない。
いま、私がこの場にある視点というもの。立ち止まる彼方には天空の舞。
錯覚が「受け入れた瞬間」であるのだとしても、「錯覚ではなく受け入れられるもの」がある。

ここにもまた分岐はあるのか。深夜、いまだに残る鼓動と熱。
分岐は、移りゆく動きの一切の場にあり、しかし「分岐と選択肢を包括する」、天空の光と影との舞。


くりかえし通り過ぎて行く、街灯の銀色の光跡。そうして路面。白いセンターライン。分岐を示す黄色の矢印。
やや開いた車窓からは、その速度域がもたらす風。風圧とそうして風音。
くりかえし通り過ぎ行く、無数の記号群。そうして戻ることのない日々。

天空の夜闇の中には、止まることなく移り、転じていく月と雲との交錯。
光と闇との舞踏。光と闇との音楽。


だがいまは、わずかに開けた窓からの、夜風の感触だけがある。
そうしていまはただ、熱もエンジン音も、夜闇の眠りの底に静まっていく。




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