過去に、中部地方に出張で行ったとき、タクシーの運転手さんが、こんな話をしてくれた。

若いころ、おれは仲間たちと四国までドライブに行ったんだ。
クルマが大好きだったからな、休日はいつもどこかに行っていたなあ。
おれたちは四国の高松駅前にある、Kという旅館に泊まったんだが、翌朝、クルマがぴかぴかになっているのに気が付いた。

旅館の主のおじいさんが、早起きして磨いてくれたんだ。
おれたちは、謝礼として、宿泊料金にすこし上乗せして支払おうとした。

そうしたら、そのおじいさん、いきなり怒り出して、こう言ったんだ。
「おれは、ゼニがほしくてクルマを磨いたんじゃねえ!」

おもしろいよなあ、おれたちがゼニを払わなくて怒るんならともかく、余分に払おうとしたら怒るんだよ。

おれたちも若かった。そうなると意地だよな。
クルマを旅館から離れたところに停めて、足の早いやつが旅館まで行ったんだ。
そうして、「ここに置くよっ!」と、旅館の玄関口で大声で言って、ゼニをおいて逃げてきたんだ。
ゼニを置いて逃げたのなんて、あのときだけだよなあ。


車内で、二人で大笑いをした。
おれは、ゼニがほしくてクルマを磨いたんじゃねえ!
それなら、なにがほしくて?
笑顔なのか。ただそれだけがほしかったのか。

そこでふと私は、このようにも思った。
車内で彼は、話が合いそうなお客さんに、何度もこの話をしてくれているのだろうか。
そうして、そのときの笑顔を、波及させ続けてくれているのだろうか。


タクシーを降りるとき、私は代金を支払いながら言った。
「楽しい話をしていただいたから、お釣りはけっこうですよ」。
彼は、笑いながら私の申し出を拒絶した。
「いやいや、それはまた別だよ」。

私はこう言った。
「おれは、ゼニがほしくてそんな話をしたんじゃねえ、ですか?」。
ふたたび二人で大笑いをした。
私は、降車した目の前にあった自販機で、冷たいお茶を買った。
そうして、それを彼に手渡した。彼は笑顔でそれを受け取ってくれた。

それだけの出会い。たったそれだけの。
しかし波及させてくれるものがある。
その限りにおいて、「怒ったおじいさん」は、これからも生き続ける。そう思う。



"LES CHAMPS-ELYSEES" - Raymond Lefevre -
Pictures by daito_moon



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柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 - 三つの名詞