昨日 お隣さんのおじいちゃんが引っ越しました。
というか実はお隣さんはその家の持ち主でもない。
隣に住んでたおじいちゃんは本当にいい人で
元々は近所の大学のポーターをしていて
人を助けていたそう。
最近も 困った人がいれば 新しい人昔からの人
年寄り若い人関係なく 困りごとを助けてた。
本当に 良いおじいちゃんでした。
友達も多くて しょっちゅう誰かの家に行ってる。
近所の、、、いやこの街の結構遠くであった人でも彼のことを知っていたりする。本当に顔の広いいい人。
そんなおじいちゃんなので コロナの時期に 息子夫婦と離れて住みたいとなった時、
うちのお隣に住んでたおばあちゃんがちょうど亡くなり息子が家のためにもここに住まないか?と提案。で お金は払うと言ったけど断られ ずっと無料で住んでいたのだ。5-6年、、?
やはり 人生でどう生きてきたか 人にどんなことをしてきたかって 歳を取ってからとか困った時に本当に出ると思う。
そんな親切なおじいちゃんが移動してしまって寂しい。
(今日はそんなお隣さんとの間の生垣に挟まってた木材いっぱい調達しました。薪ストーブに使います!)
ちなみに 私は社会人一年目から病院で 高齢者や 若くても病気になった人や 障害を持った人
病気で最期を迎える人にあってきた。
で感じたのは 結局最期や大変な時 どんな環境になるかを決めるのは 障害の重さや病気のお重さじゃなくて 本人のコレまでの人生ということ。
元先生や会社員で、良い人だったからと 認知症や重病でもしょっちゅう 元教え子や元後輩なんかがたづねてくる人もいた。人とではなくてもものすごく深く傾倒しているものがあって人生を楽しむ人も。
一方で、ごく軽度の障害でも家族との折り合いが悪く(というか家族からその歴史を聞くと色々確かにやらかしてきたという人も多かった) 施設でつまらないと言いながら過ごす人もいる。
または 家で誰も来ずにずっと一人の人もいるし 毎日家族や友人が会いたがって連絡が来てたずねてきて楽しんでいる という人もいる。ひどい人はただただ引退後やることないからそのままベッドにいて体が固まってしまったり、、、、これは日本でもイギリスでも一緒で
やっぱり人間学歴やキャリアじゃない もっと大事なところを大切にしないといけない。
それが人生を作ると思う。
初めのおじいちゃんもそのいい例かなと思う
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さて 前置き長くなりましたが
友人が読み終わって くれた本を読みました。
多分自分では買うのに選ばなそうな本で
だからこそ 自分とは全く違う考えで面白かった。
内容はまあ 高学歴 高キャリアだった人が引退して
でそのあとの虚無な時間で足掻きの後に、色々な経験をしていく(ネタバレになるから詳細は割愛) 夫婦の在り方も変わる。
彼が仕事に熱を燃やす場面では 私も仕事に燃えていた時期も長く営業もセオリーの進化もその中でのディスカッションも好きだったから 仕事で熱くなるのを楽しむ気持ちにも共感できた。また 自分が学歴とか昇進とかと関係ない人生を歩んできた分そういう考えの人の話は面白かったし最後はそれなりに良い終わりだったと思いました。
、、、、が
一番印象的だったのはあとがきでした。
「若い頃に秀才であろうとなかろうと、美人であろうとなかろうと、一流企業に勤務しようとしまいと、にんげんの着地点って大差ないのね、、、と」
「着地点にいたるまでのじんせいは、学歴や資質や数々の運などにも影響され、格差や損得があるだろう。だが社会的に「終わった人」になると同じである」
「ならば何のためにがりべんし、あがき、上を目指したのか。もしも『最後は横一列』とわかっていたなら、果たしてそう生きたか。」
※この「横一列」みんな最後死ぬ とかの文脈ではないです。
そこから 品格ある衰退 への言及につながり、終わる。(つまり 私の作品理解はちょっと嫌かなと間違ってたみたい)
最後は横一列とかって!
私が 感じてきたことと全く違ってびっくり!!
私が正しい!!!なんてことじゃなくて
どうしてこんな違いが生まれたんだろう??と不思議に思って何度も読んでしまった。
で気づいたのは
多分作者の基準と私の基準が全く違うのじゃないかと!
作者のいうは 最後まである程度 社会的地位であったり、社会に必要とされたり学歴やらそういう何かの価値を基準にして考えているのだろう。(あともちろんお金の大事さも 最後妻はそのお金のことで揉める)そういう意味では「最後は横一列」「終着点は一緒」だからそれまでの人生の足掻きが大事ではないと、、、。
でも 私の基準はそうではなくて 人としてどう楽しむかとか 深めるかとか 彩鮮やかな人生かとかそういうことであって、、、。そうなると それまでの人生次第で 自分の考えや深み それで楽しめる色々 大事な人 そして将来それらを包括した人との関わりのゆたさやその他を含む生活の豊かさも変わってくる。
基準が違うからもちろん その結果や考えも違って当たり前。(私は、例えばお金とか安定とか知名度とか給与とかそういうので仕事を選んだことがなくて、それよりもモットーとかやりたいことができるところ!趣味も含めてそう選び、本当にたくさん尊敬する人に会ってきた。ここに出てくるような年齢の人でも趣味などすごい活躍をしてる人もいる)
さらに何となくあんまり作家さんっぽくないな、、、と思って作者の経歴を見る。すると大手で働いたあと テレビドラマの脚本家になっている。確かに社会でそういう 地位や学歴の重要さをちゃんと経験されたから書けるものだと思う。世の中の多くはそういう世界で戦われてるのだから、そういう価値観での考えの方がテレビドラマ等では共感を持たれるのだろうと納得。(でも私が見てるのはソロ活女子とか)
世の中には いろんな価値基準や 判断基準があるので結局どれで物事を見ていくかということなんだろう。
ところで初めのおじいちゃんの期せずして無料で住んでた家の相場を見たら月あたり2,500-3,500ポンド。約50-70万円!お金や何かを価値にしても、、、お金がないからと老後に必死で働く人もいる。一方で 人によくして生きてきて その結果が50-70万円の割引を受けてしまうことも、、、お金で考えたとしてもやはり それまでの人生は 何分働いたらいくらという効率化とは全く違うアクセス方法にて 自分に帰ってくるのかなとも思う。そして 友人との楽しい時間と共に。
私はまだまだだけど、やはり世の中の多数ある価値基準の中から そういう人間みを大事にした そういう生き方をしていきたいし 隣のおじいちゃんみたいな人を目指していきたいと改めて思いました。
(小学生の読書感想文みたいな締めになりました(笑))