パレスチナ問題今はガザ攻撃など気の毒な限りです。


でも

これに対し 英国人から 攻撃する側だけを非難するメールをいただくと、、、、


なんというか、、、


いや文脈は?

と思ってしまう自分がいます。


だって発端はイギリスの三昧舌外交でしょうに、、、。と

各国と 同じ場所のをどこかについて全然違う約束としたのです!!!

(NHkホームページより)


これは すごく有名な話だし それぞれの約束の名前もまであります。


でも イギリス人は ガザの人が可哀想!あんなことする人はひどい!と本気で言うのです。時に彼等の宗教の批判まで。(特に高齢女性が)

歴史的な文脈を見ると不思議ですが でもそう言った流れはみず でも心の優しさから本気で言うのです。

それは アメリカのテロで テロ集団だけを非難し、アフリカの貧困を可哀想がるヨーロッパの人々にも通じる

なんというか 長期的視点で見ない中での優しさみたいな みたいなものですよね。




今 もちろん戦争は起きていないのですが

職場でも同じようなことが起こっています。


私も大好きな 優しいスタッフが 優しさでしていることが 最終的に 色々なスタッフを追い詰めてしまいそうなことが。

例えば うつ病などの人は 枠を作らずその人の「やりたい まだ頑張れる」という意見を尊重していると潰れてしまうこともあります。


そして それを優先すると 周りのスタッフも大変になり 追い詰めてしまうことにもなります。


でも優しさから ただただ意見を尊重してしまったりと、、、。本当にそこには何も悪意はなく 優しさなのです。


英国人のイスラエル問題で生じる 攻撃者側への非難もやはり同じ優しさが感じられます。




でも 自分がこういう背景を見逃せないタチ故か

結構私 こういう その場面での感情的に優しい人が嫌いじゃない むしろ好きなんですよ!

たとえそこしか見えていないにしろ 

本当に優しいなーーーいい人だなあーーー って!


だからついつい その気持ちを応援して聞いてあげたくなっちゃう面もあるのです。

が  仕事では そうしていたら会社か人が潰れてしまう 気をつけています😅😅😅


でもそういう 一生懸命になれる人って

すごいですよね本当に!!!





ちなみに

英国人の英国の過去の歴史が残した色々なところの火種は、英国人の無知(というか知らされなさ)にもよるような気もします。

90代で それ(英国の作った火種たち)を指摘した老婦人にあったことがありましたが 彼女は歴史家でした。大学で英国を知るためにも他の国の歴史を知りたいと言ったものの 止められてしまい い結局その気持ちは消えず 外国でも学んだそうです。あと自分でいろんな言葉のものを読んだらしい。


今回のガザ攻撃のBBCの記事も読みました。

その歴史を述べる記載は以下のとおり

    

中東でパレスチナと呼ばれる地域は長年、オスマン帝国が支配していた。第1次世界大戦でこのオスマン帝国が敗れると、パレスチナはイギリスが支配するようになった。

この土地には当時、ユダヤ人が少数派として、アラブ人が多数派として暮らしていた。ほかに、さらに少数の民族集団もいた。

ユダヤ人の「ナショナル・ホーム(民族的郷土)」をパレスチナに作るするよう、国際社会がイギリスにその役割を託したのを機に、ユダヤ人とアラブ人の緊張は高まった。

中略

    

ユダヤ人とアラブ人の間の暴力、そしてイギリスの支配に対する暴力も、増え続けた。

1947年になると国際連合の総会が、パレスチナを分割しアラブ人とユダヤ人の国をそれぞれ作り、エルサレムはそれとは別の国際都市にするという決議案を可決した。

ユダヤ人団体の指導者たちはこの国連総会決議を受け入れたが、アラブ側は拒否。この決議は実施されずに終わった。」


と一才この分割がイギリスの三枚舌外交ということが書かれておらず、、、、驚き驚き驚き

不安不安おいおい!


そして次の行は、、、

    

「問題が解決できないまま、イギリスは1948年にパレスチナから撤退した。ユダヤ人指導者たちはただちに、イスラエル建国を宣言した。」


として、、、、その先パレスチナを巡るイスラエルとアラブ連合等の攻撃の歴史の記述に進んでいきます。



、、、、、凝視凝視凝視

こりゃあ 大揉めしてる ほんとの始まりをイギリスが作ったことは BBCもてても絶対わかんないわ、、、、 と思います。

(英語バージョンは読んでないけど まああんま変わらないのではないかと思います」

無知も仕方ない。

とりあえずは職場がこういう 無知故の優しさの間違った使い方 にならないように 自分の手の届く範囲で進めたいと思っています。

英国が統治し始めて争いの絶えなくなった地域 

でも その前のオスマン帝国時代は意外と色々な宗教が認められて うまく治っていたようです。方法はミレット税を払えば他の宗教のままでも認めるというもので この対象になったのはユダヤ教徒、アルメニア使徒教会派、ギリシャ正教徒 さらには東ローマ帝国臣民にもイスラム教を強制しなかったそう。

そうして「オスマンの平和」が実現したそうです。(「20世紀以降激化している中東の紛争、90年代の西バルカンにおけるような民族紛争・宗教紛争もなく、オスマン帝国支配下の時代、平穏な時代であった」wikipedia より)


そんな多様性を認めながらの繁栄。すごいですね

色々学んでいきたいものです。



BBCリンクはこちら

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-67123651.amp