日本だと

ベビーシッターさんとか まだ今もあまり一般的ではないのかなーと思いますが どうなのでしょうね。


ちなみに 私の住んでいる イギリスでは まあ時々使う人もいる と言ったところが 一判的な感覚ではないかと、、、。旦那の国イタリアの方がもっと ベビーシッターさんをつかうことが多いのかなという印象があります。


まあ でも ここら辺まではまあ

親が子供の面倒を見るのが基本。

でも 時々親の手を借りたり そういうサービスを使ったりという感覚の

その度合いに感覚ではないかと思います。



が かつてのフランスの感覚は全く違った模様。驚きばかりです!!


(子どもはこうして体をまっすぐにしようとしてたらしい)



18世紀のフランスでは里子に出すのが一般的


どれくらいかといえば


子供産まれる

 ↓

すぐに 乳母に預ける(遠方へ行くこと多く里子へ)

※自宅に乳母を雇う人もいたけど少ない。

※親の社交活動のために里子が必要

 ↓

数年一回も見に行かない 死んでることもあるけど 怪我や死んだのを後から知ることすらしばしば


基本的に親が育てる気なし。


びっくりびっくりびっくりびっくりびっくりびっくり


お 驚きじゃないですか?!


ちなみに 貴族の子供とかは 

5歳ぐらいまで乳母の元で 生き抜くと

ようやく両親に会える!!

そしてようやく 自宅へいき家庭教師が面倒を見る。

8、9歳で 寄宿付きの学校へ入り

16歳くらいで出てくると 男子は大人と同じように社会へ 女子は結婚まで修道院へ

でまた自分の子を産み すぐに里子に出して

自分は 社交活動に勤しむ サロンとか観劇とか舞踏会とか。


え 親が見る時期なし?!

ガーンガーンガーンガーンガーン


子供に興味あるかな?!

育て方というか もはや育てる気ない様子です。



子供に興味なし

どれくらい興味がなかったかといえば、

​「当時、5歳以下の子どもの葬式、埋葬には、親は参列しなかった。まれに参列しても片親がせいぜい。」とか

え マジで興味ないよね?!


    

例)首相になったタラーレンさんの場合

生まれてすぐ乳母に預けられて田舎へ

4歳まで一度も親が会いにくることなし

4歳の時にお母さん来たのは調子が死に タラーレンを長子にするため。しかし タラーレンの片足が不自由と初めて知り 弟を長子にした、、、と。

ひ 酷い泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ




ほとんどの子が里子へ出される

「まあ でも

そういうお金持ちの家もあったよね」 と思われるかもしれませんが その統計が驚きです。


まずは 16世紀ごろが 貴族が 都市近郊の乳母に預けたり 自宅に乳母を雇ったり。

しかしその後は 一般人にもその風習が広がり



1780年

1年間に生まれるパリの子どもの数は2万1000人

住み込みの乳母に育てられるのが1000人(お金のある貴族とか王族とか)

母親の手で育てられるのが1000人

それ以外の子供たち、

1万9000人が里子に出されていた。

パリの子供の90%!!は里子へ!!!!

びっくりびっくりびっくり


里子に出すと異常なくらい死ぬ!

里子に出すのは子供にいいのかな?とおもいますよね。違います!

ルーアンという都市 1777年から89年の間 ルーアンという年 に里子に出された子どもの死亡率は38.1%。母親のもとで育った子どもの死亡率は18.7%だった。

自分で育てると生存率が倍に!!!

1875年 パリから、乳母に託すために里子に出した場合の死亡率、1875年の調査 71%!!(里子に出したらほとんど死ぬ!)

え?!それでも預けるん?!なんで?!

ちなみに 子供がしぬ理由が怖い、、

いくまでに死ぬ5-10%(これ奴隷貿易とかじゃなくて乳母、、、)

    

医師ブカンによると、ろくに覆いもない荷馬車にすし詰めにされる。あまりに大勢詰め込むので、運の悪い乳母は歩いてついていかなくてはならなかった。赤ん坊は、寒気や暑気、風や雨にさらされ、吸うものといったら、乳母の、ろくに何も食べず、疲れきっているために熱くなった乳しかないのだった。いちばん虚弱な子どもたちはこのような待遇に耐えることはできなかった。出発してから数日後に、周旋屋が親のもとに死んだ子を連れてくることも珍しくなかった。


    

 こうした貧しい乳母が病気であることもしばしばあった。ろくに何も食べないので体が弱くなっていて、町で梅毒をもらってきていたり、疥癬や瘰癧や壊血病にかかっていた。彼女たちの病気は乳を変質させ、赤ん坊に菌をうつした。

え 乳母も育てる気ないじゃん!

子供をぐるぐる巻きにして おむつ変えたりもしないので 体が腐っていくような子もいたらしい

ガーンガーンガーンガーンガーン

それでも 里子に出すのは、貴族やブルジョワなら親の社交の時間(観劇やサロンなどなど)が優先されたため。親の生活が第一という部分 わからなくもないですが 死亡率見るとちょっと、、、。


 自分の子供を奉公へやり そのお金で他の人の子を雇って主人になる

さらに労働者階級の子どもは、家に帰ってくると

今度は働きにどこかに働きに行かされたらしい、で 自分はそのお金で他の人の子を雇って働かせて 主人になる!

親にはならないけど 働き手の主人になる!

え もはや親って何?!


 政府の指導

その後18世紀中盤から、フランスは戦争に兵士を駆り出すにも人口が増えない!これが乳母のせいじゃないかと考え始めます。(まあ 実際かなり死ぬしね)

で 政府が 指導したのが

「子どもはかけがえのない 愛すべきもの」「ぜひ自分でも育てよう!」と

(政府が指導することなのか、、、)

18世紀末には、余裕のある人たちの間では 子供を自分の下に置いて育てることが ブームになったとか。←なんかセレブがファッションでチワワとか持つみたいに言われても、、、

チーンチーンチーン

なんかもう

何もわからない、、、、。


当時 子どもという概念はあまりなく 未熟な大人と考えられ、鞭でうって 大人になるように躾ける という考え方が基本だったようなので、そこからくる感覚なのかもしれません。


ちなみにここまでの乳母の文化はフランス独自だったそう!

逆に、日本に江戸時代などにきた外国人は

親やその他家族が子供の面倒を見ていること、

一緒に遊んでいること 

そして子供が大事にされていることに驚いたと 記している文献がたくさんあるようです。びっくりそっちか!



やはり今の育児の感覚も海外と日本でだいぶ違いますが、元々のこういった文化的背景も大きいでしょうね。

親の時間を大事にすることも大事だと思いますし、でも子どもを可愛いから育てたい気持ちもありますし 東西両方に学んでいきたいと思います。


とりあえず 適当感満載の私の育児でも

これを読むとだいぶ頑張ってる気がして元気をもらいます😄