イギリスの Bonfire night 🎆

って知っていますか?


ガイフォークス ナイトとも言われてイギリスで11/5に行われる記念日。

花火が上がります。

今日は雨だったのですが 今少し音が聞こえて来ます。


この謂れは簡単によく聞くのは

    

1605年11月5日
ガイフォークスや仲間が王暗を計画し爆破の計画をします。
が計画は失敗に終わり、ガイ・フォークスを始めとする計画犯は処刑された。以来この時期に、王と平和が守られたことを祝ってかがり火や花火をする習慣が始まりました。

というものです。


ただ 歴史をみると もっともっと奥が深いのです。



まずはイギリスの有名人 ヘンリー8世

全てはこの人から始まります。ネガティブ(奥さんを何人も殺した人)



ヘンリー8世は初め、

スペインのお姫様 キャサリンオブ アラゴンと結婚します。そして生まれたのが、メアリー1世

キャサリンは娘メアリーを敬虔なカトリックに育てます。

キャサリン オブ アラゴン

(母)




メアリー 1世

(娘)



  プロテスタント誕生

しかし男の子が生まれないので ヘンリー8世は若い女性(アンブーリン)と結婚したくなります。

が 法皇に離婚を許されず、、、、、、取った方法が

イギリスが自分の国の国教会を作り自分がトップになる!(法皇の許可不要になる) ということで 宗教を変えてしまいます。

こうしてイギリスのプロテスタント誕生


そしてヘンリー8世 その後もどんどん奥さんを殺したりして結婚再婚を繰り返します。

メアリーは幽閉され、プリンセスでも無くなり、 侍女も取り上げたりで酷い扱いを受けます。特にアンブーリンが奥さんだった6-16歳の時の扱いはひどく、母親はこの時に亡くなります。

このキャサリンの後に結婚したアンブーリンがうんだのが エリザベス1世


最後のヘンリー8世の奥さんの計らい等で 二人とも王位継承権を復権します。


  「ブラッディー・メアリー」: プロテスタントからカトリックへ




メアリーはつまり

父親が再婚するために、迫害され 母を幽閉のうちに亡くしました。(母だって結婚当時はヨーロッパ一の知性を備えた姫と言われる程の人だったのに)母の葬儀にも参加を許されませんでした。プロテスタントという新しい宗教のもとに。


ヘンリー8世の死後(1544)、幼少のエドワード6世が病弱で6年でなくなり(1553年)、

メアリー1世が女王になります。


敬虔なカトリック信者であるメアリー1世は、父ヘンリー8世以来の宗教改革を覆し、イングランドはローマ教皇を中心とするカトリック世界に復帰します。メアリーはプロテスタントを迫害し約300人を処刑

そうして名付けられた名前が 

「ブラッディーメアリー」。血みどろのメアリーといったところでしょうか。実際この頃は、まだまだ カトリックの人々が多かったそうです。


母を王妃の座から追いやった淫婦の娘としてメアリーはエリザベスのことを終生憎み続けていました。しかし、5年の在位の最後 崩御の前日になってしぶしぶ彼女を自身の後継者に指名しました。


今度は 

  カトリックからプロテスタントへ

次にメアリーがなくなると、かの有名な

エリザベス1世 の時代になります。



歴史は勝者の目線で描かれるので メアリーの残虐性が強調されていますが エリザベス1世も

今度はカトリックを処刑します。200名とかもっととか。

そのほか、奴隷貿易をはじめ、植民地での虐殺を許していた事などを含めると 実際はメアリーよりずっと多くの人を処刑していたとも。



また、これは進んでという形ではないようですが

メアリー・スチュアートも殺害。


​メアリー・スチュアート

イギリス王女にはなっていませんが、忘れてはならないこの人!先のメアリー1世とは別人です。

- 元々スコットランドのお姫様
-6歳前にフランスへ送られる。ヘンリー8世に誘拐されないように。(、、、
滝汗ヘンリー8世、、、あんたどれだけ迷惑)
-フランス皇太子と婚約するも、相手が死去しスコットランドへ戻る。
-スコットランドで再婚し ジェームズ1世出産。
-しかし夫もひどく、、、ジェームス8ヶ月の時に夫を殺害。スコットの民衆に追われてイギリスへ。
-でも、血筋重視のためエリザベス女王嫌い。何度かエリザベスの暗殺を計画。

-最後は、エリザベスに処刑される。

なんとも数奇な人生、、、

私はエジンバラ城にいった際 この人を思い景色を眺めました。





  ジェームス1世: スコットランドとイングランド統一



エリザベス1世の跡をついだのが、

彼女の宿敵メアリースチュアートの息子 

ジェームズ1世です。

わずか1歳で スコットランド王:ジェームス6世(こちらでは6世)となり、

その後イングランド王になり 初めて両方を二つの王が収めます!!!!


そしてこの人の統治中が

ようやく今日の本題!

ガイフォークスの時代です!


そもそもジェームズ1世はローマ・カトリックの環境で育った根っからのカトリック主義者でした。(何せお母さん、めちゃくちゃカトリックだし!)

ということです カトリックのイギリス人たちはこの王がもう一度カトリックに国を戻してくれると思いますが そうはいかず、、、、。


今まで書いたような長い歴史の

カトリック VS  プロテスタントのたたかい 虐殺し合い の末にあったのが ガイフォークスの 国王暗殺計画だったのです。


このガイフォークスの時代に至るまでの歴史、短くするつもりでしたが 結局長くなってしまいました。

でも 一部だけを切り取ると まるでどちらか一方が悪者で もう一方は被害者的になっちゃいそうなので、、、。両方の悲劇と弾圧をわかってもらいたくて、、、。

つまり ガイフォークスたちも 少し前には厚遇されていた立場から その後のエリザベス1世の時代に弾圧 殺害等された側だったのです。

誰が悪いとも言えません(どうしてもいうなら 色んな意味でヘンリー8世じゃない?!いろんな人の恨みを発生させて、、、)


お互いに お互いを傷つけあった

その末の暗殺計画者。わたしには この人だけが国王を殺そうとした「悪い人」とは思えなくって、、、。


この人たちが捉えられた後 酷い拷問や殺され方をしたと聞いて、、、、


それを大手を振って、祝う気持ちにはなかなかなれません。


でも イギリスのそこらじゅうで 花火が上がり

うちからも少し見えました!

娘もいるし これを少し楽しむくらいはいいきもしますにっこりにっこりにっこり

⭐️静かな気持ちで ヘンリー8世に翻弄された人々を偲びながら⭐️⭐️


ボンファイアの詳しい紹介はよければこちらを!

https://blog.news-digest.co.uk/guy-fawkes-night/