こんなの見てちょっと暗くなってましたが
直後にちょうど
日野原先生(聖路加国際病院)の本を
読んでいて
また考えさせられました。
昔と比べて
進歩したはずの今の 人生の終わり方はどうなのかという 疑問を投げかけられています。
「有終の美という言葉」
(その経過には苦しいことや嫌なことがあっても 最後を立派にという願いを込めた言葉である。)
なんでも先生のおばあさんは
お家で、末期の水を呑んで
みんなに見守られながら
苦しむことなく亡くなったそう。
〜そして1900-1904年の文献によると当時は
苦しんで最後を迎えた人 18%
苦しみもなく平静に亡くなった人82%
だそう。〜
一方で、、、
医療の「進んだ」現在。
いろいろな管に繋がれ
酸素を入れられたりして
話も出来ず 苦しみながら
そして、処置のために家族も
見えない中で亡くなっていく人達、、、。
「ミゼラブルな」現在の終末医療、、、。
古き時代には
多くの病人がそれほど苦しまないで静かにしんで言ったのに、、、。
「今の時代 終末医療を有終の医療にすることはできないのか?」
と
たしかに
そうですよね。
死は 誰でもいずれは迎えるものです。
憂慮するのは
それが くることじゃなくて
どう迎えるかかもしれません。
ちなみにこの本は
友達と 本の交換をして もらった本です。
医者という医療の専門家でありながら
クリスチャンでもあった先生。
医療という科学の目から
そして魂や心の面から、、、。
人をみて 支えてらっしゃったのがよくわかります。
私たちの体は 朽ちる土の器である。
その中に何を盛るかが
私たちの一生の課題である。
著書「いのちの器」より。
そうですね
死はいつか訪れるもの。
悔いがないように 毎日楽しんで
いい時間を過ごしていきたいと思います!
いやでもやっぱり
救急車の中で11時間待ちとか、、、やだ。