先月、母が病院に救急搬送された日、

父に対してかけたわたしの声が

とても愛のエネルギーを感じる声だった…


そのことに、自分自身でとても驚いた

と記事に書いたことがあった。



また神戸の家で父を思うと

慈愛に満ちた想いが溢れてくる。


こんなこと、今まで無かったのにな…と。



この他にも

実家に帰り、病院と家との間を往復していて

車の運転席から父を見かけたことがあった。


白内障を患ってるんだけど

頑として手術を受けようとしない父。

手術の予約までしていたのに

ドタキャンしてしまうガーン

目が見えなくなってしまうよ、と

話しても絶対に嫌だと言い張る🤢


そんな父なので、車の運転はできないよ、

と話して、運転はそれからしていない。


だから、暑い中、歩いてコンビニに出かけては

飲み物だの食料を自分で買ってくるのだ。


その父の姿を車から見ていたら

父 という存在ではなくて

1人の人間として見るかのように見えて…


小さき者


という言葉を連想したんだぐすん



確かに、父は小さき者だ。


精神の病気をして、

治療を受けるうちに

そして病の進行とともに

情報処理や判断といった能力を

持たなくなっていったね。


高度なコミュニケーション能力も

持たなくなっていった。


そして今は、視力も衰えている。


年とともに出来ることも限られてきた。

日記をつけたり、趣味の読書や

ラジオを聴くこともなくなってる。


母も家にいなくなり

話し相手が本当にいなくて

一人ぼっちで寂しいと思う😔


弟は父の食料を買ったり

食事の片付けをしたりしているけど

辛く当たったりもしているようだ無気力

(過去からの積み重ねで恨みもあると思う)



先日の帰省時に、実家の玄関の鍵を開けて

ただいま!と声をかけて家に入ると


おかえり!

と父から珍しく元気に声かけがあった😃



ここ2〜3年ほど父は、陰性症状と言って

あまり家族とも関わろうとして来なかったし

わたしにもあまり関心がないようだった。


以前は実家に帰ると、バス停までの送迎を

必ず父がしてくれてたんだけどねキョロキョロ



母に面会する時には父に声をかけると

一緒に行こか

と同行する意思表示をする。


帰りに食料品を買って家に帰る

というパターンができつつある。


本当は食事もつくってあげたくて

先日はかぼちゃの煮物を作ったり

味噌汁を作ったり、野菜サラダを

作ってあげようと思ったんだけど…


時間切れでできなかったショボーン



今日、友達4人で

昼休みにランチをしたのだけど

やっぱり経験者が1人いて


おかずを作ってタッパーに詰めて

持って行ってあげてた


とのことびっくり



おかずを作って持っていくのか〜

平日にできるかな?真顔

わたしのおかずと一緒に作るとか?


とヒントをもらった。



また、別の友達からは


日焼け止めは汗ですぐ流れるから

1時間に一度塗り直さないと!

帽子も被って!


と注意してもらっちゃいましたびっくり



ありがとうございまするお願い



寝たきりになってもおかしくなかった母、

今日から歩く練習を始めたとのこと。


ポールにつかまって歩いたり

老人車を押して歩いたりしたらしい🙏✨


無理せずにぼちぼちね、

とLINEを送ったお願い


できうる限り、機能回復が図られると

いいなぁ、と思っています✨



わたしのやってることって

介護じゃなくて家事支援だと思うけど

父に対しては介護に近いかもキョロキョロ

いや、介助かな。買い物介助。



父と母との交流が濃くなってきてるけど

後悔したくない!

という思いが原動力になっている。


無理もしないようにしつつ

出来ることをやっておきたい。



また、わたしの家族、

癒しが必要な人が多いなぁ、

と改めて気づきましてキョロキョロ


レイキも流させていただいております。

父、母、弟にね。

癒されますように、必要な気づきが

得られますように🙏✨