最近ね、大好きな大好きな私のソウルメイトのことを、このブログに綴りたいなーという衝動に駆られまして、自己満承知で書いちゃいます。
Ayakoとの出会いは、2004年6月。
もう14年も前になるのねー。
当時、働いていた八丈島のホテルの受付に立っていると、黒い日傘を差したAyakoが玄関口から入ってきて、
「あなたがnanaちゃんねー!!キャーかわいいー!!よろしくねー!!」
と、林家パー子みたいなテンションで駆け寄ってきた!!
林家パー子みたいなテンションに、一瞬タジタジのアタシ。(笑)
“あぁ、この人が噂の、姉妹店で働く人なのね・・・。”
当時はひねくれ根性真っ盛りのワタクシ。
真正面からドーーーーーンと来られても、同じテンションで返せず、愛想笑いが精一杯!!!(笑)
今までの友達の中にも被るようなキャラは存在せず、対応の仕方がわからない!(笑)
でも、Ayakoは初対面なのに、ものすごく私に好印象を持ってくれたみたいで、しかも、今までにない人種(笑)だというところに、私も魅力を感じていた。
Ayakoが働く姉妹店で働きたいと、オーナーに相談したら、すんなりオッケーしてもらえて、店舗の上にある寮に住まいも変えた。
そこから、アタシの人生のロングバケーションが始まった。
寮と言っても、水回り共同で完全個室だったから、リビングで毎日毎日、仕事の後で、Ayakoともう一人共に暮らした仲間と、色んな事を話して、ゲラゲラ笑い転げて生きていた。
夜通し話して、おやすみ~と各部屋に戻るとき、ドアが閉まるギリギリまで、「あんた好き」をお互いに連呼し合って、なかなかドアを閉められなかったのよね。
もう、この頃から互いに名前で呼び合わず、お互い“あんた”呼ばわり(笑)
「あんたのアタシはアタシのあんた」
相思相愛である。(笑)
ある日、「今夜、島全体が一斉停電になる」という情報を二人で一緒に聞き入れた。
どうやらこの島は、4年に一度、電力会社がメンテナンスのために一斉停電になるらしいのだ。
各家庭の電気はもちろん、外灯も信号も、ぜーんぶ消えるらしいのだ。
八丈島には、八丈富士という山があって、その中腹に見晴らしの良い展望台がある。
二人で顔を見合わせ、「その停電の時、展望台に登ったら星空やばそうじゃねー??」と、即行く事を決めたのだ!
たぶん、夜の12時くらいだったと思う。
二人で車に乗って、展望台を目指した。
想像したとおり、月明かりさえない漆黒の八丈島。
信号だけは非常時の点滅が点いていたような気がするが、その他の灯りは何一つなく、空を見上げれば星空が差し迫っていた。
まるで、自分が星になったかのよう。
言葉を失くすほど、それは綺麗で、綺麗すぎて怖かった。
星空に見惚れていたのも束の間、寒くて尿意が押し寄せて来た。
でも、ここは山の中腹の展望台。
トイレだって今夜は電気がつかない。
だからアタシ、
「Ayaちゃん、おしっこしたくなちゃったわー。もう、ここでしちゃうね!」
と言って、野ションした。
ここは山の中腹。
しかも風が強い日で、「おしっこがなびくわ!」と言ったら、Ayakoがゲラゲラ笑い出すから、なんかもう、もうちょっと面白い事して、コイツを笑わせたい衝動に駆られ、
「なんか、脱ぎたくなったから脱ぐわー」
という勢いで、全裸になり、そこにあったテーブルの上で踊ってみた。
ゲラゲラ笑いながら、全裸の私を写真に収めるAyako。
そして、強風で飛ばされそうになる私の衣服を抱きかかえ、
「あぁー!寒いわーーー!!」という私を見て、腹をおさえながらゲラゲラ笑っていた。
あー、満足、満足。(爆笑)
他にも全裸伝説を作ってきたのに、歳ね~。忘れちゃったわ。
ただ、場所は何となく覚えてる。
“黒砂”と言う断崖絶壁の崖の上と、“おっちょが浜” と言う岩浜。
面白かったわね~
ある日、職場の寮で、中古の一軒家に二人で住むことになったんだけど、ヤバイ家だった。(笑)
キタナイ、ばっちい。台所、油汚れヤバイ。押入れからはネズミの○○がぁ・・・。(うーーー鳥肌。)
二人で初日から大掃除しまくった。
なんとか住める程度にはなって、寝る部屋だけ別々にしよう、ってなったんだけど、その晩、押入れの上の小さい襖から、ちょーでっかいヤモリが這いつくばって出てきたのっっっ!!!
ふたりともヤモリがダメで、当然、
「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」
ってなる。
もう、怖くて怖くて、隣り同士の部屋の襖を開けっぴろげて寝たわねー。
幾日か経ったある日、二人で飲んで帰って、そーとー酔っ払った日。
ちょっと気持ち悪くて吐くかもー、と、トイレを占領した私。
なかなか出てこないし、Ayakoもトイレに入りたくて、
「nanaちゃーん、大丈夫~?」
と、ドアを開けると、便座を抱えて私が寝ていたというので、Ayakoはなんと!お風呂でおしっこしたらしい!!(爆笑)
そのまたある日、洗濯機から洗濯物を取り出すと、吸収ポリマーがぶちまけてあって、
「あぁ!!!アタシったらやってしまったわーーーーー!!
生理のナプキンを剥がし忘れて、一緒に洗ってしまったわ!!
やっちまったー!やっちまったー!」
大量の大仕事をした生理用ナプキンを手でつまみ出し、そんなアタシをAyakoはゲラゲラと笑っていた。
とにかく、Ayakoはいつも、私の言動にいちいち爆笑してくれた。
そして、アタシはいつも、満たされていた。
またまたある日、私達の住む寮にオーナーのお子様が遊びに来た。
夏休みだったので、毎日の様に遊びに来た。
アタシは海に泳ぎに行きたかったし、まともに相手していられないなーブツブツ・・・と、テキトーに巻けばいい!と思い、中途半端な返事をしてすり抜けることに成功した。
その日寮に帰宅すると、Ayakoが
「nanaちゃん、お手紙書いたから、読んでね」と、可愛らしい紙を渡された。
自分の部屋に入り、読んでみると、子どもを巻いたことに触れた内容だった。
“相手は子どもよ。大人として良くないやり方だよ。ちゃんと正直に話してあげて。とってもかわいそうだったよ。nanaちゃんならできるはずだよ。”
というようなことが書いてあった。
もう、もう、大号泣だった。
こんな子ども染みたことをした自分が恥ずかしかったこと、子どもへの罪悪感、そして何より、そんな私を見放さずに、寄り添って愛を込めてお手紙という形で私を叱ってくれたこと。
ザバザバ溢れる涙を流しながら、部屋を飛び出して、
「Ayaぢゃ~~~~~~ん!!!うをぉぉぉぉぉぉぉん!!
ごめんね。ごめんね。ありがとうね!!」
と、泣きついたことを思い出す。
もう、それからというもの、お互い愛のビームが益々激しく行き交い、アタシにとって、Ayakoはタダモノじゃなくなくなった。
そして、ソウルメイトの話になる。
「私達はね、生まれてくる前はお空の上のキューピーちゃんだったんだって。
お空の上でも私達は仲良しで、生まれたらまた会おうねって約束して、それぞれが好きなお母さんのところに行って生まれて、それぞれ神様が用意したカリキュラムを受けて、出会うべくタイミングでこうして出会うよう、神様がシナリオを書いてくれてたのよね~」
Ayakoは、そう教えてくれた。
この頃から、私の心は、愛で満たされていった。
そもそも、私が八丈島に来たのは、自暴自棄に陥ったからで、何かを失い、何かが欠けて、何も大切にできない状態だったから。
そんな私を、Ayakoは心の底から愛してくれた。
“
あんた好きよ。
あんた愛しているわ。
あんたサイコーにおもしろいわ。
あんたは心根の優しい素直で正直な子よ。
”
そんな言葉を、毎日毎日、呪文のように繰り返しかけてくれた。
その昔、二つのコップに水を入れて、
片方には「ありがとう」という紙を貼って、
もう片方には「バカ」という紙を貼ったら、
「バカ」の水が腐った、とかなんとかいう話。
あれは本当だと思う。
自暴自棄で腐りきった私の心に、
毎日毎日、Ayakoが注いでくれた愛のお陰で、
いつの日か、私の心の中は、“愛と感謝”でいっぱいになった。
いっぱいになったら、何が起こったかというと、
今度は自分が誰かに“愛”を注ぎたくなった。
これって、これって、ものすごく凄いことだと、私は気付いたの。
満たされなかった心を満たしてくれたものは、
自分から消えて無くなったものじゃなかった。
直接私が欲したものじゃなくても、
埋められなかった心を満たすことができることに気付いたら、
愛って、なんて無限大なんだろうって。
私もAyakoのような、でっかいでっかい愛を注げる人になりたいな、って思ったの。
“愛”は連鎖する。
だから、自分に愛が足りないときは、「愛が欲しい」と言ってもいい。
そして、「愛が欲しければ、自分から愛すること」。
“愛”は今日も循環している。