おはようございます。
レインボビットです。
今日で東日本大震災としてあれから3年目に向かいました。
やや長文になりますが、鎮魂のため、また時間あるときに読んでいただければ幸いです。
午後2時46分。
当時はある会社の七階でちょうど午後に向けた作業で端末に向かおうとしたところでした。
そして、大震災が発生。縦揺れ的にゴゴゴゴと15秒くらいうごめくとともに大きく揺れ、その瞬く間に横揺れが一気に激しく揺れ始めました。
もちろん、歩くことも体を動こうとも「できません」!!
しゃがみこむことはできるとともに会社のデスク下に隠れるのも必死でした。
揺れること三分間もまだ収まらず、健在な蛍光灯も点滅するとともに書籍棚から一気に本が落下。
また、食器棚からも皿など割れ始めた。そして、ついに停電。もちろん、車内の非常用予備電源が発動とともに非常灯
点灯しました。
おさまりはじめて気づいたのが五分くらいだったでしょうか。時間をはかる暇も全くありませんでした。
数分の間、同じ階にいた社員たちはこの後も恐怖でどうしようもありませんでした
マグニチュード9
震度7
それから、また「余震」と「津波」もあるので頭真っ白に近い状態。
このときの時間はだいたい午後2時55分あたり。
余震があるため、しばらくいたがついに午後3時10分あたりだったでしょうか。
また机の下に隠れ、耐えました。
あれから20分経過したが、テレビ付けたところ信じられない光景でした。
当時は自衛隊のヘリから現地撮影された映像でした。
その映像が、若林区の荒浜だった田んぼ・沿岸からだったでしょうか。
そのところから勢いの津波が田んぼ・道・家を呑み込むように・・・
何も言葉にならず、何もしてやれないくやしさなど社員たちも複雑な思いだったのでしょう・・・
・・・私の両親は無事なのか?・・・・
・・・
(すまない、書き込みながら涙でてきました)
少ししばらくしたら会社から外へ避難開始が始まる。もちろん全国的に教訓になっている「エレベーター使用不可」で階段使って一階降り、非常ドアから避難しました。
出た瞬間、悪天候である雪が降っていました。
これは、地震によって起きる現象だっただろうか
ひょっとしてウワサの「地震雲」もあったのだろうか。
外にいるみなさんの入り口から人があぶりだすように人だかりのようにできていました。
道路に亀裂、車の大渋滞。もちろん、停電なので信号機不能。
こんな状態でした。
余震が収まるまでしばらく会社内には入れなかった。
外は雪のため、コートがほとんど着る人がいなく配布されたカイロでしのんでいました。
それから社員の無事のため、人員の確認が担当・団体の人の呼びかけが始まった。
しばらくの間、社員同士に話したり、協力会社の人たちも話し合ったりとみなさんが外で対話していた。
そして、団体の一人から会社内にいた社員全員の無事を確認したとの連絡。
それはよかったが、心配なのは社員の家族。
一時間か二時間経過した上、余震がないことで会社内に戻った。
机回り散乱したファイリング・ノートパソコン・飲みこぼれたカップなど片づけした。
ここで少し機能されてる予備電源はあくまでも一日分しか使えないらしいので
できるだけ、節約に使うようにということを頭にたたきこんでほしい。
(特に非常用電源が供えられたビルや会社の人たちへ)
そして、ようやく非常用電話での家族の安否確認
ひとりひとり電話かけて時間かかるのはやむをえない
いよいよ私から両親に電話をかけはじめた。
・・・・が、つながらなかった。
もはや、倒壊?それとも、電話線の破線?
・・・ますます心配になった。
しばらく時間たつが、家族の安否が最優先との社員への教訓もあるので、
まず私が上司に口頭で承知上、仕事場を後に帰宅することにした。
それからが大変だった。
私は基本的にバス通勤。
アクセス・ポート、バスプールとなっているJR仙台駅付近まで一時的に徒歩した。
歩くうちに、道路亀裂、車の渋滞で信号不能のため、無断的に歩く人たちの姿もちらほら。
また、ビルのガラス破片と散乱、壁の崩壊も散見。
かなりひどいな・・・
歩く途中もまた余震・・・
そして駅前に到着したが、信じられない大混雑。
もちろん、駅中へも閉鎖されていた。(一階の入り口前に立ち入り禁止テープで閉鎖)
当時ではもちろん、タクシーにバス停にも大行列。
公衆電話ならば使えそう?・・・もちろんここも行列していたが、並んでかけてみることにした
出番までしばらく時間かかったが、ようやく電話かける準備がきた。
・・・電話かけたものの、やはりつながらなかった・・・
やはり、こののバス乗車したほうがよいのか?
こたえは・・・・
「NO」だった。
それは二時間経過しても来なかった。時間は午後4時半。
自宅はここから10キロ離れている。
私は決断した。
「徒歩」
これ以外は手段はなかった
自転車ではないし、マイカーでもない。
駅前から歩くたびに、大きなマンションも閉鎖されてるのが見えていた。
もちろん、周辺にある交通道路の一部が通行禁止となっていた。
歩くこと1時間、途中コンビニに行列があった。
そこから並ぶことにした。
コンビニ内で棚からひとつひとつ商品が消えていくことがうかがえる。
それと、停電のため、ケータイの照明が常備灯の代わりに使っている人もちらほら。
そして、いよいよ若林区へ突入。
そう、信じられないこともまたひとつ。
それは夕方から夜にかけ、街灯もついてない。
停電だからだ。
だんだん歩きにくく周りが暗くなっても大丈夫だろうか。
ここで、みなさんが歩かない方がいいよ。といいたいそうだが、
私はやむを得ずここで居残るのは体力限界・死へ招くだろう。何も動かないよりは。
当然雪降っている季節ですし。
しかし、少し歩いたところふと気が付いた。
それは、街灯でなく、渋滞している車のヘッドランプ。
それが助かっているのか、街灯替わりになっていた。。
そして、バス通勤してよく覚えているコースの記憶を頼りに
必死に歩く。大遠足のようだがそんなところではない。
歩きながら、周辺の被害状況・・・
歩きながら、家族の無事・・・
歩きながら、今後の活動の不安・・・
そんな頭をよぎりながら、自分の自宅近くまで歩いていた。
そのときの時間は午後6時ごろ。
そして、ついに自宅の影らしきもの、白い壁が対面。
到着したのが午後8時ごろ。(正確な時間はわからなかった)
玄関前でおそるおそるチャイムを鳴らすとともに自分の自宅用キーで
ドアを開けた。
ただいま。
無事?
リビングのドアを開けた。
2人の心配そうな顔と、テーブルにはロウソクで灯した感じだった。
「無事を確認」
良かった・・・・
今日は前編ということで後編は明日になります。
ここまで読んで下さったみなさん、ありがとうございました。