皆様こんばんは。
脱サラして、二年近くになろうとしています。
今の今になって、いかに僕が仕事ができないダメなサラリーマンだったか、ということを感じ始めています。
仕事ができない人間だからこそ、僕は現実逃避をしてしまい、一方SNSでは多くのフォロワーや友達に恵まれたことで有頂天になってしまったことが、さらに自分をダメにしてしまったのだろうと思います。
どんな状況に置かれるにせよ、ちやほやされて有頂天になるような人って、いつか干され、社会に置いていかれてしまうのだろうと思います。あるいは学歴でも資格でも、それを持っていることを自分の強みにして、やたら自慢したり、仕事の場面であれば仕事ができるふりをしたりしてしまう人も同じだろうと思います。これはモテ自慢も同じことかと思います。さらに生意気言うような人は言語道断です。
そういう人って最初は「すごいね」と人が寄ってくるかもしれませんが、まず人が寄ってきている間に古くからのつながりが消え、次第に飽きられた存在となり、結局気が付いたら誰もいなくなっていた、という展開につながっていくのでしょう。
ちょうど一年前、僕はアクセスするたびに、Facebook友達が減少していきました。もっとさかのぼればサラリーマン時代、窓際族に押し込まれてしまったのも、きっと同じことだったのだろうと思います。サラリーマン時代に関しては、大学院まで出ているからどうにかなるという甘い考えでした。特にサラリーマン時代に至っては、給料をもらうという大前提があるわけですから、同じ給料をもらっていた身としては、僕の行動が不快感を募らせていた側面もかなりあっただろうと思います。そしてそれが結果的に学んできたそのものに対しても泥を塗っていたことに、今ようやく気が付きました。
今度は脱サラして「音楽家の活動を支援する」と称し、交流会に行けば名刺をばらまいたり、さらに街中で音楽活動をしている方にも名刺を渡したりなどもするようになりました。しかしこれも裏を返せば、ビジネス目的はもとよりナンパ目的までありました。
こういうのが結果として信用を著しく低下させ、また軽い人間であることも印象づけ、人がどんどん離れていくという展開を産み出してしまったのだろうと思います。
だからということではないのですが、僕は友達が多く離れていったのを契機に、SNSの運用方法を見直し、また機密情報を扱う仕事をしていることもあり、SNSの交流範囲を大幅に縮小することにしたのです。
僕が社会で置いていかれたのは、認められたいという意識が募りすぎ、自分を見失った結果だと思っています。
しかし世には社会に置いていかれていることに気がつかない方もいます。社会で置いていかれないためにやっておいた方がいいこと、それは自分を大切にすることなのでしょうか。