神さま、ひどいうつで、こころがもぎとられそうに痛いのです。
少し落ち着いたと思えば、老母が、神経を逆なでするようなことをして、わたしはまた胸が苦しくなります。そんなことを繰り返すのに、ほんとうに疲れました。ほとほと嫌になりました。
うつと胸の苦しさで寝込んでいるのに、台風で飛んで行ってしまったゴミ箱を探しに行くように言われました。近所のポストに手紙を投函しにいくこともままならないほど、外出困難なのに、
あの突風の中、ゴミ箱を探し回れと言うのですか。
悪気などないのです。ただお年寄りは、思いつきで物を言う。周囲や相手の空気にお構いなく、ただ思いつきで言う、ある意味、今に生きているのでしょう。でも、あなたの「今」とわたしの「今」は違うのです。あなたの「今」に急かされ、焦らされ、振り回されるのです。
心の休まるときがありません。
玄関にステップをつけたり、部屋の中に手すりをつけたり、歩きやすい杖や歩行器をつけるのに、業者の人間と会わなければならないのは、うつ病のわたしには苦行でした。
入退院を繰り返すあなたが認知症にならないように様々な工夫をすることも、
熱中症にならないように深夜もあなたに水分補給させるのも
突然お風呂に入りだすあなたを待っていることも
薬の管理も
外出したら危険なときや、消化の悪いものを食べようとしているときに
やめるように説得するのも、この3年間の日常茶飯。面倒でした。こんな馬鹿馬鹿しいことでエネルギーを使って議論するのが。
胃が詰まれば入院、絶食。筋力も脳力も衰えるのです。
どうしてわかってくれないのですか?
わたしはあなたのおかげで、普通の睡眠薬では眠れなくなりました。あなたのことで、うつがひどくなり、病状が悪化しました。
平成最後の夏?
だからなに?何か特別なことでもしないといけないのですか?
わたしの平成の半分は自分と家族の病気一色でした。
別にそれを文句言うつもりはありません。ただ、もう疲れたと言うことです。
うつで気分が悪いから、お母さん、何もしなくていいから、もう黙っていてくれませんか?
これ以上、うつがひどくなると、わたしは衝動的に自らいのちを絶ちそうなのです。わたしが死んだら、あなたは困るでしょう?この家にぽつんと独りになりますよ。あっと言う間に認知症ですよ。
遠くにいる姉が、わたしに代わって全てをすることになりますよ。でも、夜はいつも独りですよ。姉はソフト面でのやりくりは得意ですが、ハード面であなたの心に寄り添ったりすることは出来ないかもしれませんよ。それが嫌なら老人ホームとなります。
わたしの心に休暇をください、おかあさん。
わたしは自分の選択で生まれて来たわけではありません。
でも、あなたは自分の選択で結婚してわたしを産みました。
あなたのほうが責任は重いのです。
もう疲れました。あなたが死んだら、今度は、「あれが出来なかった。ああして置けばよかった。わたしは悪い娘だった」と自責と罪悪感に今度は苦しむのでしょうか。
でも、この病気を持って、あなたの世話をするのは、きつかったのですよ。助けてくれる人はいません。もう疲れました。双極性障がいって、遺伝説があるらしいけれど、確かに、両親ともに精神的に不安定と言えばそうだったかもしれませんね。
いつもいつも、おばあちゃんたちを口汚く怒る嫁姑、婿姑の争いの調停役だったわたし。
中学の頃から自律神経失調症って・・・そうもなりますね。
今更そんなこと言っても仕方がない。過去は変えられない。でも時々、恨めしくなります。
もし家庭環境が違っていたら、この病気にならないで済んだかもしれないと思うとき、自分が犠牲になったという被害者意識が出てしまうのです。
教会だとか神父だとかは「祈りましょう。赦しましょう」と言うのかな?
キリストは、わたしと一緒に泣き、「わたしがあなたを休ませてあげよう」と言ってくださるだろう。
イエス様、死にたいよ。このうつの痛みはつらい。その痛みに痛みを増し加える家族しかいないのです。
どうしたら生きられるのでしょう?どうしたら、死の衝動に耐えられるのでしょう。
死にたい。
この苦しみから逃れたい。
寄せては返す死の衝動。
お母さん、どうして、あなたは、わたしを苦しめるのですか?
ギルバート・オサリヴァン
アローンアゲイン