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タオライアーは432ヘルツ
肉体と心、精神のすべてに響き、高次の自分(ハイヤーセルフ)と繋がるサポートをします。
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【5月12日は須磨寺へ!!春季大祭 のんのん祭り~仏教をもっと身近に!~】
日時 5月12日 日曜日 終日
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昨日須磨寺奥の院までの祈りの道を
上がっていると、目の前に紙が一枚落ちていて
誰かが落としたのかなって拾って、捨てとこう
って思い見たら…
須磨寺の名前が全国的に知られるようになったの大きな要因は、源平一の谷合戦の舞台になったことであります。
一の谷合戦が行われた時、須磨寺は源氏の大将源義経の陣地であったと伝えられています。海側に陣を構えた平家に対し、山が海にせまった地形を利用し、義経は山から崖を馬で駆け下り逆落としの奇襲をかけます。不意を突かれた平家は、海へと逃げることしかできず、源氏も歴史的な勝利となりました。
その戦いの時、源氏の武将で熊谷直実という男がいました。直実はもともと平家の武将であり源氏に寝返った者でした。元からの源氏の武将に後れをとるまいと、手柄を誰よりも欲していました。しかし、一の谷合戦で直実が浜に着いた時、ほとんどの平氏は海に逃れた後でした。その中でただ一騎、波打ち際で逃げ遅れた立派な鎧を着た平家の武者を見つけます。そこで、直実は扇をかかげ【敵に後ろを見せるは卑怯なり。返せ返せ】と呼びかけます。
するとその武者は振り返り、直実に一騎打ちを挑みます。しかし、あえなく倒され、直実が首を取ろうと兜を取ると、なんと直実の息子と同じ、年の頃十六、七歳と見える紅顔の美少年でした。「あなたの名前をお聞かせください」と直実が尋ねると、逆に「あなたはどなたですか」と聞き返され、「名乗るほどの者ではありませんが、熊谷直実と申します」と答えたところ、その若武者は「あなたに名乗るのはよしましょう。あなたにとって私は十分な敵です。どなたかに私の首をみせれば、きっと私の名前を答えるでしょう。早く討ちなさい」と答えたそうです。直実はその潔さに胸が詰まりました。この若い命を討とうが討つまいが、戦いの勝ち負けに関係はない。自分の手柄欲しさにこの若い命を落とさせることになってしまえば、自分の息子小次郎が少し怪我を負っただけでも心辛かったのに、この若武者が討たれたことを、この方の父上が聞かれたならどれだけ嘆かれるだろうかと思いを巡らせました。助けたいと思った直実が後ろを振り返ると、梶原景時ら味方の軍勢がすぐそこまで近づいてきます。もういよいよ逃げられまい。
「同じ事なら、直実が手にかけて、後のご供養をお約束します。」と泣きながら刀を執りました。討ち取った首を武者の鎧で包もうとすると、その腰に1本の笛が挿してあるのに気づきます。思えば今朝方、平家の陣から笛の綺麗な音色が聞こえてきて、源氏の武将は皆感動しました。その笛を見た時、「あぁ、まさにあの笛を吹いておられた方はこの方だったのか。戦いに笛をお持ちとは、なんと心の優しいお方であろう」と直実の心はいっそう締め付けられました。
陣地であった須磨寺に首と笛を持ち帰った直実は、大師堂前の池でその首を洗いました。そして、その前の大きな松の木の根方に腰掛ける義経が首実検を行いました。義経は、このお方は平清盛の甥の敦盛であるとおっしゃいました。享年十七歳でありました。持ち帰った笛を見て、涙をみせないものはいなかったといいます。平家物語で一番涙を誘う哀話である。
「敦盛最期」は、その後、日本人の心に深く染み入り、語り継がれてきました。それ以来、須磨寺には敦盛の首塚が祀られ、敦盛の菩提寺として広く知られるようになり、源平ゆかりのお寺として親しまれてきました。敦盛の愛陽していた笛は「青葉の笛」と呼ばれ、今も須磨寺宝物館に展示されております。子の笛を一度でいいから見てみたいと、古来より多くの方がこのお寺を訪れています。松尾芭蕉や与謝野蕪村、正岡子規などの歌人も当寺を訪れ、歌を詠んでいます。境内に点在する二十数基の句碑歌碑にそれらの歌を見ることができます。
大本山 須磨寺
戦にて若く尊い命を亡くした平敦盛卿を偲んで作曲された文部省唱歌「青葉の笛」に、 初代一絃須磨琴保存会会長、小池義人和尚が、その前半部分に新たに歌詞を付け加え、 そして一絃須磨琴保存会最高師範である小池美代子先生がその歌詞に合った曲を作曲、 一絃須磨琴保存会独自の「青葉の笛」を演奏させていただきます。是非お聞きください。
【須磨琴とは】 板に一本の弦だけが張られた、単純な構造の一絃琴です。その起源は、六歌仙の一人として知られる在原業平の兄である在原行平が平安時代、文徳天皇時に須磨に流された際、寂しさを紛らわすために、浜辺に流れ着いた木片から、後に「須磨琴」と呼ばれる一絃琴を製作したと伝えられています。
「青葉の笛」一絃須磨琴演奏
須磨寺は源平ゆかりの名刹
平敦盛の菩提寺で、首塚があるのです。
以前、敦盛の首塚にも虹色のオーブが
出現
その時の写真はこちら
青葉の笛の絵本もあるのですよ
こちらが宝物館に保管されています
青葉の笛
このような貴重なものが無料で拝観できます。
弘法大師様が作られた笛だそうです
青葉の笛(太い笛)2.5×37cm
青葉の笛は、もともと弘法大師が中国(唐)へ留学していた時に、長安の青龍寺というお寺の竹(天笠の竹)でつくったといわれておりまして、大師が日本へ帰った後、これを嵯峨天皇に献上し、嵯峨天皇は空海の献上しましたこの笛を青葉の笛と名付け、その後皇室から平家の手に渡ったといわれております。
髙麗笛(細い笛)1.5×37cm
比叡山学祐僧正の作にして青葉の笛と同じく敦盛郷遺愛の笛。
当寺では、この青葉の笛、髙麗笛の2本が敦盛郷遺愛の笛と伝えられています。
この紙を拾って奥の院への祈りの道を
上がっていきました。
以前ご紹介しているYouTubeはこちら
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大本山須磨寺 奥之院参道 祈りの道 癒しの道
十三佛巡り 七福神巡り
須磨寺奥の院は、奈良県修験道の聖地大峰山と
高野山奥の院にエネルギーが繋がっています。
かなりのパワースポットで、龍神さまが
お守りされている聖地です。
須磨寺・奥の院 竜神さまが宿るご神木に祈りの観音様出現
の記事はこちらから
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虹のオーブの出現
今朝 虹のオーブについて調べていると…
222からのメッセージです
私の代表作で、イギリス、イタリアで発表させて
頂きました梵字アート
源平ゆかりの名刹 奥の院までの祈りの道
十三佛に守られて
源平ゆかりの名刹 奥の院までの祈りの道
七福神に守られて
弁天様のご縁日にたくさんのメッセージを
受け取らせて頂きました。