小沢健二氏のハロウィン絵本について | 七色祐太の七色日日新聞

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怪奇、戦前文化、ジャズ。
今夜も楽しく現実逃避。
現代社会に疲れたあなた、どうぞ遊びにいらっしゃい。

あれは、私がまだ子供だった頃。

チーマーとバタフライナイフが

大流行した時代のこと。

ある一人の男が、

類いまれなる才能とインテリジェンスにより、

若者の街・渋谷を支配しておりました。

 

その名は小沢健二。字はオザケン。

 

今こうして記し、

アザナオザケン

微妙に韻を踏んでいる事実に気づいて

一人ほくそ笑んでおりますが、

こうした私の自己満足も、

「オザケン、フザケンなよ」等という

全国民の一割はこっそり

思い付いたことがあるはずの

他愛ない言葉遊びに比べれば、

多少は東大卒に認めてもらえる

権利があるでしょう。

 

才人・小沢健二氏は当時、

渋谷にとどまらず

この極東の島国全土を牛耳るほどの力を持ち、

上は内閣から下は路傍の石にまで

絶大なる影響を及ぼしておりました。

あの竹下登氏は事あるごとに

「痛快ウキウキ通り」を鑑賞し

 

♫プラザ合意が欲しいの 

 そんな国の願いを叶えるため

 さらしを巻いて 旅に出て

 とまどいながらも 

 日米空路を行ったり来たり

 

と自らの過去を振り返ったそうですし、

夕方の主婦たちは

天ぷら鍋の前で「ラブリー」のメロディーに乗せ

 

♫ オー、べに、

 紅花油、油切らす~

 

とイモ天の油切りをし、

江戸っ子のオヤジは冷奴を食いながら

 

「なんて素敵なでぇずだ」

 

と舌を唸らせていたのです。

まさに小沢氏は、

全知全能の大スターとして

この球体上に向かう者なしでした。

 

しかし、当時まだ田舎の小学生であった私には、

そんな超人・小沢健二の

凄さを知るすべがありません。

カローラⅡに乗っている人だという

印象しかありませんでした。

そしてたまに

ユースケ・サンタマリアと

混同していました。

ダチョウ倶楽部のモノマネ

「小沢健二とWけんじのラブリー」を見て

大体あんな感じの人だと信じていました。

無垢な小学生はいつだってマスコミの犠牲です。

 

その後、ちょうど私が思春期を迎える頃には、

小沢氏は自ら築き上げた地位にくるりと背を向け

アメリカへ旅立ち独自の活動を続けるという、

第二の日野皓正の道を歩み始めておられたので、

相変わらず私と彼の間は寂しい無接点。

唯一の繋がりは、

毎年私が校内球技大会の中止を願って

天気読みを続けているくらいのものでした。

 

そんな私と小沢氏との繋がりは、はるか後、

2017年の夏に突然やってきます。

ある夜、暇を持て余した私は

懐かしのモノマネ番組の動画を

片っ端から視聴して、

三十過ぎてこんな文章を書いている

自らのルーツを無気力に辿っていたのですが、

清水アキラ、しのざき美知ら

おなじみの面々のネタに加え、

先ほどのダチョウ倶楽部の

「ラブリー」とも再会を果たしました。

そしてそれを見ながら

「そういや自分は

 元ネタの方を全く知らない」

という事実にふと気づき、

ほんの気まぐれから

本家本元の「ラブリー」PVを視聴してみたのです。

 

 

その衝撃たるや、

言ってみりゃボディー・ブロー

でしたね。

 

 

私が地方の限界集落で

息を潜めて生きていた90年代、

こんなにも華やかな空間が

同じ球体に存在していたなんて。

 驚いた私はそのまま、震える手で

「痛快ウキウキ通り」PVの

再生ボタンも押しました。

 

……ああ、かすかに、しかし確実に、

どこかで聞き覚えのあるそのメロディー。

あの当時、あの田舎にも、

オザケンの音楽はたしかに侵入していたのだ。

しかし、あまりにも異質でナウなその文化は、

路傍の石以下のわが村

邪悪なものとして排除され、

瞬時に消されてしまったに違いない。

わしの、わしの育った村では

キムタクが精一杯だったんじゃ。

あのバタフライナイフに憧れたんじゃ。

 

私はそのまま、

「ウキウキ通り」のPVを十回以上も眺め続けました。

曲の序盤で小沢氏が

クルリと向きを変える場面がありますが、

あの瞬間そばにいたら、

絶対いい匂いがするに違いありません。

身のこなしは軽く、

服装も今風です。

なんと「都会」を感じさせる人でしょう。

私はその夜、二十年遅れで

渋谷系の王子様を「発見」してしまったのです。

 

三十二にして君を想う。

 

それはある意味新鮮な体験で、

二十一世紀にハロルド・ロイドの都会喜劇を

あえて鑑賞するのにも似た趣がありますが、

話が長くなるので先に進みます。

 

それからの私は毎晩のように、

まだ知らぬオザケン楽曲を聴いていきました。

ジャズ好きとして特に気に入ったのは

『球体の奏でる音楽』なるアルバム。

発売は96年ですが、

当時のわが村は

まだ地動説を信奉していたため、

村民たちの手によって燃やされ

私の耳には入らなかったのでしょう。

この一枚は演奏メンバーの人選からして

いかにも小沢氏の趣味を感じさせ、

ピアノが渋谷毅であって

前田憲男ではない点も

スタイリッシュ感に溢れています。

特に「ホテルと嵐」の一曲は素晴らしく、

私はちょうどその時期に

台風に向かって皆生温泉まで旅行したため、

深夜の露天風呂で

荒れ狂う海を見つめながら同曲を口ずさみ、

渋谷系との一体感を全裸で味わいました。

渋谷というと、

それまでは國學院がある土地だという

イメージしかなかったのですが、

小沢氏と出会った今では

すごくいい街だと思います。

 

 

さて、そんなオザケン氏が、

世界を股にかけた文化的活動の一環として

日米恐怖学会を設立され、

その研究成果として

一冊のハロウィン絵本を世に出されたことを、

私は間もなく知りました。

あんな素敵な人物との間にはからずも

「怪奇」なる一つの共通趣味があろうとは、

並行世界の奇跡に感謝です(意味不明)。

これは絶対その絵本を手に入れなければ。

 

こうして突如、

旅に出る理由を見つけた私。

パッションと光を追い、

続いて行くレガッタを横目に見ながら

観念としてのカローラⅡで疾走します。

町に着いた頃は夜が更けており、

ウキウキ通りを南へ向かい、

農協タワーから続いてく道

まっすぐ進むと馴染みの本屋へ到着。

店主に例の絵本が欲しいと伝えると、

彼はニヤリと笑って

「それはちょっと」なぞと

気の利いたつもりでぬかしたので、

真夜中のマシンガンで射殺しました。

そして本棚から絵本を抜き取り家へ戻ると、

ほんの一夜の物語を楽しむべく窓辺に寄り

流れ星の下でページを開いたのです。

 

 

『アイスクリームが溶けてしまう前に』

小沢健二と日米恐怖学会・2017年・福音館書店

 

 

表紙に輝く「日米恐怖学会」の文字。

私も怪奇人の端くれとして備後の山奥で

大日本怪古會を主催する身ですから、

あわよくば怪奇道を通じての国際親善なぞ図るべく、

眼光紙背に徹してブラジルまで突き抜けんとの

精神でこの書物に向かいました。

小沢氏が書いたハロウィン本だと聞いて、

その内容を

暗闇から手を伸ばせ、

ドアをノックするのは誰だ、

ページをめくると指さえも恐ろしい

ものだと想像する方も多いことでしょう。

しかしその内容は、

そんなチンケな想像を

はるかに超えるものなのです。

 

先ほど少し書いたように、

これはハロウィンをテーマとした本です。

ハロウィン、

ハロウィンだって……!?

 

さあここで、

あの懐かしのメロディーを共に歌いましょう。

 

 

🎵マジカルバナナっ

 

 ハロウィンといったら渋谷

 

 渋谷といったらオザケン

 

 

若、帰ってこられたのですね

この街に。

 

 

しかし本当にそうなのか。

 

 

かつてのハロウィンは

秋の収穫祭だったそうですが、

そのような行事で

現代農家の三種の神器・軽トラを横転させ、

噴飯に噴飯を塗りたくるような

愚行を重ねる街を

あの小沢氏が何とも思わないものでしょうか。

 

 

我々一般大衆は、

先ほどの永劫回帰のマジカルバナナを発見し、

やはりオザケンは今でも渋谷系の王子様なんだという、

極めて安易な解釈で満足しがちです。

しかし、哲学者の書物を読み解くには

こちらも哲学的にならねばならない。

誤読を恐れていては何も始まりません。

嘘も百回つけば

真実だという名言もあります。

さあ、勇気を出して

語ろうではありませんか。

 

 

この本は、いくつもの例を挙げ、

アメリカのハロウィンの実際を

感覚的に分かりやすく教えてくれます。

ハロウィン当夜のことだけでなく、

その周辺に付随する微妙な事情までもが

詳しく語られているのです。

というより、むしろ作者の伝えたいことは

そちらなのかもしれません。

例えば、子供達の仮装例をいくつか紹介した後、

それらの衣装は各家庭での手作りが普通で、

親たちが本番前夜に徹夜して

作ってやることなどが語られます。

なぜなら、お店で買った

変身服を着ているような子は、

それだけで周囲の大人たちから

「この子は親に構ってもらえなかったんだ」と

憐れみの目で見られてしまうらしいのです。

このあたりの深刻さだけでも、

これが並のレベルの

絵本でないことは明らかです。

ちなみに私は毎年ハロウィンの夜、

いつも通りの服とメガネで街へ繰り出し

泉鏡花のコスプレと間違われるのを

楽しみにしているのですが、

かつて誰にも声をかけられたことがないので、

ある意味既製服の子供達以上に

哀れな存在だと言えるかもしれません。

 

また、この本によると、

ハロウィンでは家全体を飾りつける場合もあるらしく、

プロジェクターで火を投影して

家全体が火事になった設定の家族などは、

その衣装もドリフの爆発コントの

ようなものを着て顔をススで汚すなど、

くだらなさに統一性が取れているそうです。

そう、ハロウィンは、

子供達だけではなく大人まで加わって、

家族全員、本気でふざけまくる

最高に楽しいお祭りなのですね。

 

 

しかし、その楽しみはいつまでも続きません。

家族とともにトンボの衣装で街を練り歩く少年。

パパに肩車してもらい夜空を眺めるその子について、

作者は語ります。

彼が本当にハロウィンの素晴らしさに気付くのは、

もっとずっと先なのだと。

いつか大学生になって、

遠い町でこの日の写真を見るとき、

あの時家族みんなでヘンテコな服を手作りしたのは

何だったんだろうと考えるとき。

いつか訪れるその瞬間こそ、

彼が本当にハロウィンを大好きだと感じるときなのだと。

でも彼は、そんなことまだ知らない。

今はただ高い高い空を眺めて、

どこまでも飛んでいけると

無邪気に信じているだけなのだと。

 

 

以上のような、

考えようによっては

なかなか重い事柄が

親しみやすい言葉で爽やかに語られます。

実際の行事内容よりも、子供達の内面描写や

時の流れの無常さの方が強く印象に残る内容。

この本は、超自然の存在は何も出てこないものの、

どこか怪談本と近い空気を持ってはいないでしょうか。

それも不気味な怪談ではなく、イギリス伝統の

ジェントル・ゴースト・ストーリーに近いものを。

未来に視点を置くか

過去に視点を置くかは異なるものの、

時間の重心を意図的に現在からずらすことで、

いつもは何とも意識されない、今この一瞬の、

恐ろしいほどの取り返しのつかなさが、

逆にくっきりと浮き彫りになります。

そして結局はその一瞬も、

まもなく過去の世界へ移行してしまい、

気づけば二度と手の届かないものとなっている。

知らぬ間にアイスクリームは溶けて、

子供時代は終わってしまうのだ。

両者とも時間というものを重要なテーマとし、

読後に言いようのない懐かしさ・切なさが

立ち現れてくる点が、とても似ているのです。

 

 

こうして考えてみると、

このような小沢氏のハロウィン観は、

例の渋谷のハロウィンにおいて、

「現在」の一点だけを穴の開くほど

注視して脇目も振らずに暴れまわる人々と、

何と差があることでしょうか。

小沢氏の語るような情緒性に溢れたハロウィンが

少しもこの国に定着していないことは、

本当に残念でなりません。

もしかするとこの絵本は、

かつての王子様から

混迷極める現在の渋谷へと手渡された、

一つのメッセージであるのかもしれません。

 

 

やはり小沢氏は、

もはや単なる渋谷系の王子様などではなかった。

そんな地点などとっくに超えていた。

もっとはるかなスケールで、

この球体全てを鳥瞰する存在に

一歩一歩近づいているのです。

最終的にどれほどの高みにまで昇るのか。

私はこの絵本を読んで、

こちらも今後一層気を抜かず、

小沢氏の全て、まさに指さえも

注目し続ける決意を新たにしたのでした。

 

 

 

ここで最後に、一つだけ残った問題を。

 

 

「日米恐怖学会」の「恐怖」って、

結局何だったのでしょう。

時間が容赦なく流れ、

楽しい一瞬が過去に飲み込まれて

二度と帰らないことへの恐怖?

いや、あの本のたたずまいから考えて、

それを恐怖の語で片付けるのは

何だかずれているような気がします。

 

 

それならば、「学会」という語の

わざとらしさから類推して、

ハロウィンの絵本だから、

ちょっとふざけて「恐怖」なんて

付けてみただけなのでしょうか。

 

 

意外にありそうな話ですが、

もしもそういうベタさだったら、

あえて私もこう返そう。

 

 

 

オザケン、

フザケンなよ!!