目が悪くてよかった(!?)
私はかなりの近視で、 ワンデイのコンタクトを25年近く使っています。
現在の 度数は−4.75あたり。
外すと世の中がかなりぼんやりなので、
朝起きたらすぐ装着して、
夜は寝る直前、
ベッドに入る前に外す。
もう25年以上、それがずっと当たり前の日常です。
ただ先日、
日中にコンタクトの不具合があって、
やむなく外すことになり。
裸眼で、明るい昼間の世界を見回したら——
世の中は光の粒で、充満していました。![]()
めちゃくちゃ美しくて、神秘的で。
「素粒子が目で見えるとしたら、こんな感じかな」
と、思わず感動してしまいました。
もちろん本当に素粒子が見えるわけではない。
でもその瞬間、腑に落ちたんです。
物質を構成しているのは、
小さな粒とその動き。
世の中の成り立ちって、本当にこういうことなんだな、と。
目が悪くて、よかったなw
「一度できると、何度でも再現できる」
おもしろかったのは、その後のこと。
その時の視野を意識すると、 コンタクトをつけていても、光の粒を感じられるようになりました。
人間の感覚には、 一度できると、あとは何度でも再現できるという機能があります。
3Dの立体画像も、そう。
最初はただのぼんやりした模様なのに、
コツをつかんだ瞬間、ぱっと立体が浮かび上がる。
(スピ系仕事をしてると、どれも一瞬で見えるようになります)
右回りに見えていたバレリーナが、 意識を変えたとたん左回りに見えてくる、あの動画も同じ。
最初は「無理」と思っていたものが、 ひとたびできてしまうと、何度でも再現できてしまう。
「できる人のそばにいる」だけで変わる
不思議な感覚も、 「え、そんなことできるの?」という体験も、 これと同じ原理だと思っています。
できる人のそばにいて、 「そんなことが可能なのか」とリアルに知るだけで、 自分もできるようになる。
神経系が静かに同調していく、
オキシトシン的な共鳴とも言えるかもしれません。
私自身は生まれつきのスピ系ではなく、
感覚を開発してきた後発タイプです。
だからこそ、その過程が自分でよくわかる。
そこに伴走することが、私の今世の役割のひとつでもあります。
「そんなことができて、何になるの?」
と言われたら、 別に大したことはないかもしれない。
でも——
ふとした時に、自分の可能性を無条件に信じられるかどうか。
それは案外、こういう小さな体験に紐づいて、
セルフイメージがつくられ、 行動がつくられ、 未来がつくられていく。
「私にもできた」という体験は、 理屈より先に、何かを書き換えていく。
そう思っています。
できるできない、という話ではなくて
自分の可能性、をおもったらわくわくしますよね。
今日も読んでくださり、ありがとう。
ではまた明日。

