久々に岡山の「蒜山高原」へドライブ。
姫路からだと片道140キロでした。
意外と遠い〜
主婦でも会社員でも学生でも、目の前の事から、自分らしく
ここ最近、玄関の引き戸がスムーズじゃなくて。
壊れてはいないけれど、
ちょっとしたストレスがある状態。
どうせなら、早めに対処をと判断して、
業者さんに連絡することにしました。
見てもらって、その場で修理か、部品交換の見積もりか。
とりあえず来てもらうだけで、最低2万円はかかるとのこと。
まあ、それは仕方ない。
技術職だし、人が動く以上、コストが発生するのは当然のこと。
今日書きたいのは、修理の話ではなく。
その電話対応をしてくれた、若い女性の話。
決して失礼な対応ではなかった。
むしろ丁寧で、マニュアル通り、きちんとしていた。
でも、ちょっとした質問への返し方や、会話のやり取りの中で、何かを感じた。
「この方はまだ経験が浅いんだろうな」というのとは、また違う情報。
言葉ではなく、非言語の部分で伝わってくる「感じる」情報。
仕事として、ただ作業をしている人。
やるべきだから、やっている人。
そういう人からは、こういう印象を受けるのだと思う。
(悪いわけじゃない。マニュアル通り正確にこなしてくれることは、むしろありがたい)
でも、同じ電話対応という仕事でも。
「お客さんと職人さんの間を取り持つ、今のこの仕事の中で、自分らしく丁寧で在ろう」
「この会話を、自分なりに楽しもう」
そういう意識を持ってやっているかどうかで、伝わってくるものがまるで違う。
これ、素敵なカフェなんかでも、最近よくあることだと思う。
接客としては、決して間違っていない。
でも、なんとなくホスピタリティがないな、と感じて、静かに「もうここには来ないな」と決めることがある。
(クレームを言うわけじゃない。ただ、足が向かなくなるだけ)
ちょっとした工夫でできることを、「これは自分の業務じゃないから」と無視する人。
目の前のお客さんより、スタッフ同士の目のほうが気になっている人。
「この時間さえ過ぎれば、自分らしく楽しもう」と、今この瞬間をただ流している人。
24時間365日、気を張って無理をしよう、と言いたいわけでは決してない。
ただ、今この瞬間、自分がどんな自分で在るか。
その積み重ねで、現れる現実が大きく変わることを知らないのは、本当にもったいないと思う。
だって、意図を持って関わるほうが、断然省エネ![]()
労力は同じか、むしろ軽いくらいなのに、そこから生まれる現実は大きく変わっていく。
「何をしたら、どうなる?」
そうやってノウハウだけを集めても、うまくいく人と、うまくいかずに首をかしげる人が出てくる。
その違いは、こんな小さなところにある。
今、目の前にあることに、自分がどんな意図で関わっているか。
これは、誰でも今すぐにできることだから![]()
今日も読んでくださり、ありがとう。


