「アダルトチルドレン」について
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こどもの頃の経験や体験が大人になってから
それがどんなふうに力が働くのか調べてみました。
備忘録としてシェアします。
誰かの何かの参考になれば嬉しいな^^
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「アダルトチルドレン」
幼少期を機能不全家族の中で育ち、大人になってからもこどもの時代に受けたカラダのココロの心的ダメージを抱え、いろいろな場面で社会的な生活が困難となっている人々のこと。
そのまま訳して子供みたいな大人って意味ではない。
そういった意味でワタシ自身も「アダルトチルドレン」です。
ワタシの生い立ちを書いてくださった記事はこちら
☆☆☆
ワタシは今
人や環境に恵まれたお陰で 悲惨だと思われるような全ての出来事を
ワタシの生まれてきた事の意味
使命に気づくための仕掛けだったんだと思えるようにまでになりました。
感謝しかありません。
何かが少しでもずれていれば、今ここに存在すらしていないかもしれません。
本当にラッキーな女の子です。
傷が気付きに変わり
苦しみが喜びに変わり
憎しみは愛に変わり
今まで歩んできた人生を誇りに思います。
きっかけがあれば、人生はいくらでも変えられる。
なりたい自分になれる。
人生は自分で創っていける。
ワタシの願いは
辛い家庭環境で育ったワタシのように
今もどこかで苦しんでいるSOSを出せないこども・ティーンエイジャーが
勇気を出して、本当の自分に出会ってほしい。
主体的に人生を生きてほしい。
そのきっかけがつくれるメッセージを社会に投げかけること。
そういえばまだ、渦中にいたほやほやの頃
高校生の夏休みの読書感想文の宿題で「アダルトチルドレン」に関する本を読んだこともありました。15~16歳の頃のワタシなりに今の現状をなんとかしたいと思い手にとったんでしょうね。
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アダルトチルドレンは
アルコール依存症の両親の下で育てられ成人した人たちを指していたそうです。
現在では、『機能不な家族環境の下で育った大人たち』という定義に変わっています。
機能していない家族システムに適応することで、自分の気持ちに何らかの折り合いをつけ、本当のココロを置き去りにこども時代を生き延びるものの、思春期を過ぎてからも生き苦しさを感じながら生きて行く。こどもの頃の経験や記憶が傷やトラウマとなり根深く残り感情や行動に障害が残る傾向があるそうです。
その特徴は、アルコール依存症の両親の下で育ったこども以外にも見られることがわかりそれ以外のケースもアダルトチルドレンと呼ぶようになったそうです。
機能不全家族とは、家族がお互いに思いやりを持って助け合うという『本来の家族の機能』が損なわれている家庭のこと。
複雑な家庭……….とワタシは表現していたりします。
例えばこんな感じの例
・親の愛を受けるために、いつも親の顔色を伺う・親の意見に従わなければならない。
・親の世間体や表向きの家族の見え方を気にするあまり
親子間のコミニュケーションが疎かになっている。
・夫婦関係が悪くて喧嘩が絶えない。
・家庭内の誰かが存在を否定されたり、バカにされたりということがある。
・過保護。こどもに対して過剰な期待をかけて甘やかす・プレッシャーをかけすぎる。
・自立の機会を与えないといった過度の干渉。
・親が感情をコントロールできずにこどもに当たる。(DV、虐待など)
・アルコール、薬物、ギャンブルなどの依存症を持った家族がいる。
・親がこどもを育てるという自覚がない。
・親がこどもを自分の所有物と認識している。
・こどもを一人の人格として認識していない。 ……………………etc。
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パッと見た感じ
どれも親が親としての責任を果たすための十分な精神的成熟が出来ていなかったことに原因が求められるわけだけど……
その親も「アダルトチルドレン」だった場合があるわけで
誰が悪いとかイイとかではなく
誰かがそこに気づいたきっかけで
誰かを責めるのではなく
そうなっていたその循環を良い流れにシフトチェンジすればいいのだと思う。
ワタシはご先祖さまを親を叔母や叔父を兄弟を責めるつもりは全くない。
誰かを責めて責任を求めても、傷つけ合うだけで一ミリも解決しない。
家族内での愛情、親子の絆や繋がりは損得関係なし自然に生まれるもの。
無償の愛を与え合えるのが家族。
そしてそれは無理してやるものでもなく、自然にそういう関係があるのいい。
意図的に作るものでもない。
とはいえ、何かのズレですれ違いで、勘違いでそこができなくなることもある。
それは、コミュニケーション不足や一緒に共有する時間の少なさから起こることだと思う。
仕事が忙しくて家族で共に過ごす時間が少なかったり……………
親子のコミュニケーションをほとんど取ることができなかったり…………………
ということは、意図的にそういう時間を創る必要があるというわけ。
とはいえ、べったりいつも一緒に親子でいる。
家族がいつでもどんな時でも一緒であればいいというのではない。
時間の量ではなく質。
家族お互いが一人ひとりの生き方を尊重、応援できる関係。
離れていても、一緒に居る時間が少なくても、いざという時には
出てきてくれる。助け合える。
それぞれが主体的に生きている。
そんな家族関係、親子関係ができたらいいなと思う。
時間の距離ではなく、ココロの距離があれば大丈夫。
本当のココロの繋がりをワタシは親子に伝えたい。
それは、それぞれを信頼・信用から生まれた関係性、つながりである。
一瞬にできるものではなく、ひとつひとつのできごとを共有した経験や
小さな時間の積み重ねからできる絆や愛情から成り立つもの。
それを家族で親子で、ちょっとずつ創るきっかけを親子ダンスを通じて届けていきたい。
こどもの頃に育まれた絆は、こどもが生きていくうえでの精神的なバックボーンになる。
自己肯定感を育むことが、生きる力を身につけていくことになると考えています。
…………………..つづく