12月、街がネオンを着飾る頃。クリスマスを目前にして、付き合って半年の彼女と大喧嘩をした。
「まぁだ仲直りしてないの、ヒジリくん。お前もいい加減謝れば?」
茶々を入れてくる友人をうっせえと軽くあしらい、むっとした顔で机に肘をつく。
こうすると大抵、餌を目の前にした犬のようにしっぽを振りながら数人の男女が寄ってくる。
それは今日もまた例外ではなく、遠い席から遥々睦月と祐二、愛美がやってきた。
「ヒジリ、ケイちゃんと喧嘩したん?何で何で?ウチ聞いてないしー」
「っせえよ」
「圭にヨーちゃんと歩いてるとこ見られたんだって。無用心なんよ、ヒジリくんは」
隣に座る睦月がカイロを振りながら笑う。
ケイというのが彼女、雪村圭だ。
一昨日、学校から一緒に帰ろうと言う圭の誘いを断り、前々から約束のあった陽子の家を訪ねた。
家に行ったと言っても入ったわけじゃないし、用事も断ることが出来ない重要なことだったから仕方なく行っただけだが、圭はなかなか信じない。むきになっている内に、気付けば修復困難な大喧嘩と発展していた。
「ていうか彼女居るのに他の女と出歩くとか有り得んのんですけど。しかも陽子とって……ナイナイ。あいつがヒジリと歩いてるところなんて想像不能。まじ何しよったん?」
睦月の彼女で隣のクラスのお喋りマシーン愛美がパックのジュース片手に眉を大袈裟にしかめる。
彼女は“喧嘩”だとか“修羅場”とかいった非日常的な出来事にすこぶる興味を示す。睦月の彼女だから口には出せないが、正直面倒な奴だ。
愛美が溢したジュースを袖で拭き、事の次第を説明した。
「陽子の弟の見舞い。病院が前俺が住んでた家の近くなんだけどさ、初めて行くから道が分かんなかったんだと。こっから離れてるし、治安もあんま良くないし、頼まれりゃ案内くらいするだろ。」
「いや~、彼女持ちはせんのんじゃね?ヒジリがこっち来る前って、都会の方に住んでたんだっけ。そんなんヒジリと会う口実じゃろ?陽子の弟、大分前から入院しとるで。行ったことないとか嘘だと思うけど。うん、ありえんありえん。」
なぁ睦月、と同意を求める祐二。睦月も苦笑気味に答えた。

「はめられたね、ヒジリくん。」
「陽子には気を付けんといけんよ。ていうか、ヒジリはそこそこイケメンなんじゃけ圭ちゃん以外の女と喋らんくらいのつもりでおらんと、女はすぐ誤解するんじゃけえ。まぁ、陽子と違ってウチみたいに彼氏一筋!な子なら大丈夫じゃろうけど。」
「なんだよその“そこそこ”って。反応しづらいな。つうか愛美、お前今日日直とか言ってなかった?」
愛美の説教も陽子に対する偏見も聞き飽きた。
長い話が始まりそうなら適当に受け流して別の話題を振る。因みに、そういったテクニックを伝授してくれるのはいつも睦月だ。
慌てて教室を飛び出す姿をいとおしげに見送る彼を見ると、不思議な心境になって仕方ない。
うんざりしたような目をした祐二と目配せし、互いに肩を竦めた。
「ていうか、ほんまにヨーちゃんとは何も無かったん?」
「え?ああ、ないない。陽子の彼氏怖ぇもん。仮に気があったって手なんか出ねぇって。」
改まって向き直る睦月の動作が視界に入り、焦って肩をおろす。
睦月は一瞬嫌な顔をしたが、本人も自覚している様子で、特にはなにも突っ込まなかった。
顔色を伺う様に彼の横顔を覗いていた祐二も会話に参加する。
「陽子の怖い彼氏って、A組の?D組の?」
悪戯な笑みが浮かぶ。
両方、と苦笑した。

陽子の浮気性は前々から有名だが、特別美人なわけでも可愛いわけでもないのに彼氏候補が絶えない。
理解は進まないが、結構居るものなのだ。浮気相手でもいいから付き合いたいと言う人間も。
彼女は、そういう男を全く拒まない。
開きっぱなしのドアから吹き込む冷たい風を受けながらふと、一昨日の夜、見舞いからの帰り道での彼女を思い出す。


クリスマス用にと飾り付けられたイルミネーションが数百メートルに渡り立ち並ぶ通りを、何故か彼女でもない陽子と歩く。
『スゲー。今までちゃんと見たことなかったけど、改まって見てみると、結構芸が細かい』
『そう?私はもう飽きたよ。あっちからこっちから誘われてさ、女なら誰でもこーゆうのが好きだと思うなっつうね。毎年代わり映えせん内容じゃし、正直何も感じんわぁ』
つまらなさそうに欠伸をする陽子。学校で見る様子とは違って笑える。第一印象とは全く別の人物だ。ロマンも女子らしさも持ち合わせない。
陽子と歩いていても、緊張感がまるでなかった。
『陽子もさ、いつまでもフラフラしてないで一人に絞れば?今一体何人いんだよ。』
沈黙を防ぐ為に前触れもなく切りだされた言葉に、陽子は少し戸惑いの色を見せた。
彼氏の話、と言うと、突然冷めた表情で目を逸らす。
『あー。その話ね。ろく………五人くらい?』
『「くらい?」って……酷い奴。今時浮気し放題って男でもなかなか無いだろ。』
『付き合ったり別れたりのサイクルが早いけ、たまに付き合っとんか付き合ってないんか分からんくなるんよねぇ。羨ましい?ヒジリも交ざる?――――――わけないか。』
鼻で笑う陽子。
『俺は圭1人で十分。』
『じゃろうね。圭ちゃん可愛いし、“デキル女”じゃん。私が男なら、人生で1回は惚れる。』
大事にしなよと笑い、ずっと背けていた顔を漸くこちらへ向ける。彼女の笑顔は思ったよりずっと大人びていて、何故だか両脇で激しく自己主張する電飾がちゃちに見えた。
『お前が言うなって。』
『確かに。私も今言いながらそれ思った。』
黒のマフラーと、モスグリーンのコート。伸びた背筋。愛美や圭とは少し違うあどけなさを持ち、しかし落ち着きのある不思議な奴だと思った。

病気な割りに威勢のいい弟を、彼女はただ遠目に眺めるだけでそこを去った。話し掛けりゃいいのにと言っても、頑として中に立ち入らない所と言い、理解しかねる思考をしている。その点で言えば確かに、ある意味惹かれるところはある。
陽子の席をぼんやりと見ていると、睦月に肩を叩かれた。
「ヒジリくん、あれ。圭。」
指差された方を見ると、目鼻を赤くし、むっとした表情で立っている圭の姿が目に入る。
気を付けろ、泣いた後じゃ、とニヤニヤしながら耳打ちする祐二を除け、睦月からカイロを奪ってさっさと立ち上がる。
歩いている間中、女子たちの冷たい注目と睨み付ける圭の視線を一身に浴びた。
「……何」
背の低い彼女に近付くと、彼女が見上げる形になる。喧嘩を売るような目付きの悪さで出迎えられた。
「さっき、陽子が来た。」
「はあ……何しに?」
「謝りに。あっちに謝られたら、ウチ凄いやりにくいんじゃけど。なんでヒジリは謝りに来んのん?喧嘩しっ放しでいいわけ?うっ…ちは……イヤよ」
俯いた圭から聞こえて来るのは、擦れた声と、鼻をすする音。制服の端を掴まれるともうだめで、何も言い返せないし突き放すことも出来ない。
「ごめん。悪かったよ。もうしない。」
そう言って圭の手を取ってみると、彼女の手が氷の様に冷えきっていることに気付かされた。ポケットの中のカイロで温められていた手の芯へ、じわじわと伝わる冷たさ。どのくらいの間この寒い廊下で立ち往生し、自分の前に現れ話を切り出すタイミングを計っていただろうか。彼女の一途さを感じ、本気で自らの軽薄さを反省する。
やがて圭の指先は常温に戻り、自分の手からは急激に温度が奪われていった。
もう一度ごめんと謝ると、頷いた圭も謝った。

―――私が男なら、人生で一回“は”惚れる―――

これで、良かったんだ。
妙な所を強調して蘇ってきた陽子の言葉を振り切り、圭の肩を叩く。
「一件落着、な。」
「うん。一件落着。ねえヒジリ、仲直り記念に、今日はイルミネーション見ながら帰ろうよ。部活、今日オフなんでしょ?」
「イルミネーションって……ああ、大通りのね。いいよ。キレイだもんな。」
「やった!」
部活帰りで疲れて反応が曖昧になる心配はないし、最近は日没が早いから少し寄り道して帰れば丁度いい時間にもなるだろう。
ガッツポーズで喜ぶ圭を、やっぱり可愛いと思う。
親たちは挙って十代の恋なんてすぐに終わるとか言うけど、続くものもあると思う。そして、自分もそうなれたらいいとも思う。なれるかどうかは、別として。

放課後圭のクラスに向かう所、陽子とすれ違った。彼女はまた別の男を後ろに付け、目が合うと肩を竦めた。
「良かったじゃん、仲直り。私はまた―――」
苦笑しながら、そこで言葉を止める。後ろの男子の訝しの目が可笑しかった。

イルミネーションはピカピカと光り、クリスマスシーズンで人だかりとなった通りでは圭がそのまま消えてしまいそうだった。
「はぐれんようにね。ヒジリ、手、放さんでよ!」
日を改めるべきではという提案も空しく、例によってあの“ねだる目”で大通りに連れて行かれる。パイプオルガンの前、ピカピカと空騒ぎしていた電飾が、ふっ、と色を薄めた。
何故だかは分からない。あれ程放すなと言われたのに、大切にしなければと誓ったのに、人波に流される内に気付けば繋いでいた左手は軽くて自由になっていた。
人を掻き分け掻き分け、逸れたはずのパイプオルガンまで戻る。吸い込まれる様にして道端に寄った。
丸く強引なおばさんから突きを食らい、よろめいた体を支えようと掴んだのが白いジャケット、愛美だ。
「あっれヒジリ?ちょ、何するん。苦しいし。てゆかてゆか、何でひとりでこんなとこ居るん?圭ちゃんは?」
「逸れた。見てない?」
「さぁー。ヨーちゃんなら今見たけど。」
愛美の奥から睦月。無用心な自分とは違い、2人はしっかりと手を繋いでいる。
「あー見た見た。何か泣いとったね。頬っぺた真っ赤だったし。どーせまた彼氏に殴られたんじゃろ―――――……ってあれ?ヒジリ?」
「ヒジリくんなら、流されるみたいに走ってったよ。」
「えー!もう、何なんよあいつは!せっかくウチが喋りよんのにぃ。」
「まあまあ。いいじゃん。」
―――という会話が成されていることを想像しながら、自分と似た制服を着た人の顔を覗き込みながら足を進めた。
遠の果てにポケットから出してしまったむき出しの手は、かちんこちんになってかじかんでいる。指先が紅色になり、手のひらは白い。鼻水は何度もすすった。


~~~♪


ポケットの携帯電話。着信音で取らないことを決め、構わず先を急ぐ。混雑した道は予想以上に歩きにくかった。

「なにしとんよ。」

突然、ブレザーの襟元を後ろから掴まれて驚く。
「――――陽子」
「何よ。圭ちゃんは?」
「――――馬路で殴られてるし。」
「は?―――あ…これ?これね、ハイハイ。だから一人に絞れって言ったのに、じゃろ。」
手で追い払う様な仕草で、うんざりした顔は面倒臭そうに歪んだ。
目は赤くないが、鼻の頭はトナカイの様だ。それもその筈、細い首にマフラーはなく、風通しの良い吹き抜け状態。雪でもちらつきそうな寒さの中、頬を腫らし鼻を真赤にして歩くのなんて、陽子くらいだろう。
「言ってねえし。」
素っ気ない言い方をすると、嘘だと言われるかと思ったが、彼女は静かに苦笑した。
「じゃあ何よ。私の心配より自分の心配した方がええよ?圭ちゃんに見られたら次はナイじゃろ。ヒジリも殴られるよ。」

「いいんだよ。」

それを承知で走りだしたんだから。
「いいんだ。うん。俺も馬鹿だったってわけ。」
「はぁ?」
「不特定多数の内の一人になろうとする奴も、自分だけは陽子の特別になれるって思ってる奴も、馬鹿なんだと思ってたけど―――俺も案外、馬鹿だったんだよ。」
「………わっけわからん。アホじゃろ自分。」
腫れた頬に冷えきってしまった手を当てると、陽子の目から温かい滴が零れる。


「今日ので全部だったんよ。」
「ん?」
「彼氏。今日ので全員、別れた。」
「え。何で急に?」
「冷たい。ヒジリの手、気持ちいい」
「話、合わせろ」
「絞ったじゃろ。ちゃんと、一人に」
「―――ああ、そういうこと」

相変わらずイルミネーションはちゃちで、やはり所詮は電飾だった。
さあ、圭には何て謝ろうか。