▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼

 Darkness cover the worlD

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 警察に発見される前にと回収した腕は、見事なまでに自然な切れ口をしていた————それはもう、その道の“プロ”がそうしたように——————。


 書庫の戸を開けると、いかにもという古紙や埃の臭いにおいがした。何百もの本の山の上に胡坐をかく人物が書籍から顔を上げる。
 「満流は?」
 青い瞳の男は奥の方へ合図を送り、全員が集まった所で聞いた。春野は周囲に聞き耳を立てる人間がいないことを確認し、戸を閉めて答える。
 「また御手洗いに籠もってます。食事を出しても、胃が何も受け付けないみたいで」
 「そう……。まぁ、あれも神ちゃうからな。回復したら、あんたはジョーカー連れて次行け。こっちはうちらで何とかする」
 前髪の長い中高生が自宅でするそれの様に、邪魔な前髪を上げた女。赤いゴムを外すと、持っていた本の間に挟んで閉じる。小声で何か、男に話し掛けていた。
 両手に一冊ずつ、大きさも厚さも異なる本を開いたまま持ち歩いていた女は、読み終わったのか途中でそれを投げ、男の足下の山に加えた。
 「“あれ”やって。葉流も偉うなったもんやなぁ。ちょっと前まではミチイツミチイツ言うてうるさかったのに。いつの間に親馬鹿脱出したんや。なぁ流」
 空いた両手で浅葱色の細フレーム眼鏡を外し、そのままそこへ座り込む。山の上に顔を向け、男の同意を待った。しかし、口を開きかけた男の顔面を目がけて分厚い古書が飛ぶ。
 「黙れクソアキラ。口動かさんと手ぇ動かせ、手を。流、あんたも今、同意しようとしたやろ」
 「だってホンマのこ——」
 「シネ、ぶっ飛ばされたいか」
 また、別の本を投げる。
 そんな光景を、ひとり楽しそうに眺める人物がいた。
 「ダメよ~葉流さん。仮にも旦那さんなんだから、死ねなんて言っちゃあ。ふふっ」
 言葉遣いが荒く早口な三人に交ざり、一人にこやかでゆったりとしたペースの女が宥めるように笑う。小学校の教室を思わせるこの光景で、腹の底で蠢いていた緊張感が和らいだ。
 春野の教育係だった、今は亡き有田霜月も含め、彼らはかつてより兄妹の様に仲が良かった。同じ罪を背負い共有する者同士、互いを支え合ってきたのやも知れない。兎に角彼らは、他のメンバーにはない独特のホームを持っている。春野はそんな彼らに混ざるのが好きで、仕事用に付けられた番号ではなく名前で呼び合う彼らの傍に居るのが一番落ち着いた。そう、まるで暖炉やふかふかの絨毯とソファのある部屋で古い本に包まれているような、懐かしくて暖かい気持ちになるのだ。
 家族とはこんな感じなのだろうと、目を閉じて思う。そして、彼らと同じ時代を生きたかった、と。
 「仕事に戻るんで、また何かあったら呼んでください」
 「ご苦労さん」
 四人の重なった声に見送られ、書庫を後にした。

 「お加減はもうよろしいんですか?」
 春野が部屋に戻ると、満流は既に手洗い場を離れシャワーを浴びていた。濡れた頭にタオルをかぶせ、よくはないけどと言ってソファに倒れこむ。
 「『あいつも万能じゃないから』みたいなこと、言われなかった?行ってたんでしょ、あの人たちの所」
 「ええ。まぁ」
 葉流の言葉を思い出す。
 「似たようなことを仰ってましたね」
 「あいつらのそういうトコ、キライなんだよなぁ。なんか悔しいから、さっさと立ち直るのっ。なってやろうじゃん、全知全能の神に。元々そうなるように育てられてたわけなんだし」
 「己の限界を知ろうとしない所って、或る意味貴方の欠点ですよね」
 春野が苦笑すると、彼女は起き上がってにっと笑ってみせた。
 「嫌なら付いてこなくてもよろしくてよ☆」
 立ち上がり暖炉の傍で着替えを始める満流の腕や背に、いつからだろう、痣や傷が多くなった。この夏に屋敷を訪れてから、特にここ数ヶ月、彼女は手当てを諦め傷口を生のまま放置するようになったのだ。防弾着の着用を促すも虚しく、彼女は今日も生身で戦場に赴くつもりのようだった。
 「今日はどちらへ?」
 尋ねた春野を振り返り、彼女は悪戯を仕掛ける子どもの様な顔をした。
 「————ハートのキングを待たせてる。今日からアジアの方を攻めてくよ。車、出してくれる?」
 黒をベースに組み合わせられた洋服。長い髪を一まとめにすれば、自然と“それ”用の顔付に変わる。笑顔も隙もない、一つの凶器の出来上がり。
 きゅっと締まった口から、小さな合図が送られて、また、無常な一日が始まった。



 何処を押せば、この際限のない悲しみと憎しみの連鎖は止まるのだろう。何処にボタンがあり、どうすれば押せるのか。
 サングラスをかけ、無意味に高級な車にエンジンをかけた。



 「ねえ明、起きてる?」
 片手はハンドルにかけもう一方の手には絵本らしき本を持った美樹に問いかけられ、明は閉じていた目をちらと開ける。
 「寝てる」
 「渚くんの好物って知ってる?」
 「え、っと……ウチのボケは無視?ねえ無視?」
 おどけて見せると美樹は、反応して欲しかったの?と真面目くさった顔をする。それが可笑しくて、別にいいんだけどと言い哄笑する明。
 「あっはっ…——はぁ、あー可笑し。で?渚の好物?知らん知らん!うちは基本的に放任主義だかんね、そこまで気ぃ回したことないねん。第一あいつ、旨いもんなんか食ったことないはずやし。モノの良し悪しなんか分からへんでしょ」
 「確かに良し悪しは判ってないわね~。彼の口に入る私の料理が不憫ったらないわ、ふふっ」
 笑いすぎて涙が出た目をこする。一息ついて顔を上げると、秘かに息子の好物について考えてみた。
 あるとすれば、父親に外食にでも連れて行ってもらったのだろう。少なくとも自分は彼に特別美味いものを食べさせた記憶はない。仕事柄家を空けることが他の成員より更に多い明は、食事を作って渚に食べさせた事など数えるほどしかなかった。それどころか、家族揃って合掌をしたことすらないのだ。夫だって料理はそう得意ではないはずだから、やはり好物になり得るようなものを家で食べたとは思いがたい。
 「奴にもちゃんと好物なるものがあんのねぇ。てゆうか、何で親も知らないことをアナタは知ってはるんですかと」
 「そりゃアナタ、何年飲食店営んでると思ってるの。その人の好物が何で、どんなものを食べたがらないかくらい食べてる時の顔を見れば分かるわ」
 「さいですか」
 生温いばかりだと思っていた顔に鮮麗な表情が不意に現れ、明は少し気持ちを怯ませた。くっきりとした輪郭、しっかり開かれた目、得意気に上がった口角。彼女は、本質的に精神が木の如く真っ直ぐで太く強い。

 好きなものがあるのだったら、一度くらいは作ってやばよかったか。タオルを顔に被せ、薄暗い白の中、明は柄にもなく感傷に浸ってみた。
 数え上げてみれれば後悔の数に限りはなく、今となっては一人息子の渚にも会わせる顔がない。どうすれば世界に、人々に、彼女らに、彼に、許しを請うことが出来るだろうか。どうすれば、彼に対して十分な詫びが出来るのか。
 「一体ウチは、あの子に何を残せたんやろう。なぁんにもせぇへんかったけど」
 ため息を吐く明の傍ら、美樹が悟るように微笑んだ。
 「ふふっ、そんなことないわ、大丈夫。だから仕事前にそういう弱音を吐かないでよ。私、貴方たちと違ってメンタル崩れ易いんだから…ほら、もう始まるわ」
 「ウチを怪物扱いするん、やめて頂戴。葉流や流みたいなバケモンと一緒にせんといて。ウチだって———」
 「ハイハイ申し訳ない。ほんと、早く切り替えてよ」
 サングラスを掛け、車を乗り捨て美樹が行動を開始する。
 「またそうやってあたしを無視する。分かってる?一応あたし、あんたの上司なんだけど」
 「私は、貴方の先輩だわ。人生のね」
 振り返りもしない背中を十メートルほど後ろから追う。
 陽が沈み、深い闇が駆け足でやって来て、あっという間に黒が世界を包み込んだ。電気もろくに通っておらず、成る程、これが見棄てられた町と判断するのに申し分ないロケーションだ。
 「ココ、ハートのキングの生れ故郷だって。この国の国王と一緒。そういう場所を戦場にしようたぁ、あの人も非情だね」
 元々建物の一部であったであろう崩れ落ちたコンクリート塊の影で、手際よく準備をする明。それを横目に美樹がため息を吐く。
 「穏やかじゃないわねぇ。故郷は大切にしないと」
 「確かに。まあ、あたしは粋だと思うけど。生まれた場所で死なせてあげようなんてさ、縁もゆかりもない様な所で死ぬよりずっといいでしょ」
 「そうかしら。私、槙から遠く離れた地で静かに死にたいわ。どうせまともな死に方しないもの。そんな無様な姿、明は渚くんに見せられるの?」
 不服げな顔の美樹に、明は最後まで無言のまま、何も応えなかった。正確には、言えなかったのだが。まさか、上司が仕事中に部下の前で弱音を吐いて、その不安定さを丸裸にする訳には行かない。
 だが、背後で銃撃戦が始まると、彼女の顔はすぐに切り替わる。発泡音、人の声、足音。数秒すると、全体を把握していた瞳が数人を捉えて追う。
 耳を澄ませば、会話も銃声の合間を縫って少しだけ聞こえて来たが、途切れ途切れの言葉は聞きとり辛く、元々聴力の優れない美樹は内容把握には至らなかった。
 「明、何話してるか聞こえる?」
 「………。」
 「————後で教えてね」
 一点を見つめ、瞬きも忘れて目の前に集中する明に、小さく声をかけた。
 やがて激しい撃ち合いが止み辺りが静かになると、青ざめた明が自分の携帯を押し付け、今すぐこの場を立ち去るように言った。ポケットに必要そうな物を携え、一息ついて美樹の顔をじっと見つめる。
 「ここを離れたら、すぐに電話。全部バレた。満流と真奈が雑魚に混ぜて仲間殺してた犯人やっちゅうことも、うちらが裏でそれサポートしてたんも。現在地伝えたら、後は総吾に任せる。満流と真奈は絶対死なせへんから」
 「あきら?」
 「くっそ…あのくそジジイ———」
 歯を食い縛る。最後の大仕事のためにもう少し、時間が欲しがった。時計に目をやるが、暗くてうまく読めない。もうじき夜明けの太陽が昇りそうな時間であることだけは、空の様子から何となく分かった。
 「私たち、それを解っててやってたはずだわ。葉流さんの上を行く、情報屋のキングだもの。今でなくても、きっとばれたわ。
 分かってるだろうけど、このチームは腕利きの刺客も数人交ざってるし、気を付けてね」
 氷の様に冷えた手が、小刻みに震え始める。悔しい、苦しい。そんな気持ちに溢れた、強く固く結ばれた拳。それに手をかぶせ、美樹が力ない笑顔を作った。
 「貴方の幸運を、祈るわ————望み通り、最後に渚くんの顔を拝めるように」
 そして、お互いにゆっくり頷き合う。
 「さよなら、みき」
 「さよならあきら。行きなさい、貴方は、こんな所で立ち往生してちゃいけないわ」
 二人が背を向け合うのと、銃弾による最後の会話が始まるのとが、略、同時だった。


 「ねぇ総吾さん、明は、いつから辛党になったのかしら。七味も醤油も嫌いな癖に……。それ程までに、渚くんに自分の存在を植え付けたかったの?
 ————悔しいのよ。あんな、葉流さんくらいしか食べられないような辛いスパゲティに負けるなんて」
 『不味い』と連呼しながらそれを口に運んでいた若き日の葉流。少しからかうつもりで辛目に味付けしたパスタを、美味そうに平らげる渚の姿が重なる。
 「あんなモノを遺してて、何が“何にもしなかった”よね」
 切れた電話に向かって話し掛けた。


 ッッ、ッ—————ッッッ!!!


 耳を割るような轟音。
 それを最後に、時と世界は静寂の闇に包まれた。