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    【Light skY】

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 天が渚に味方した。
 満流の張った山と、テストで出題された問題がどんぴしゃり当たったのだ。欠点まであと三点、ギリギリ追試を免れ、晴れて合宿にも参加出来る。
 「なんか、俺やれば出来る気がしてきた!!え、まじお前どうやってヤマはったんだよ!すげー。だって俺、テストで空欄作んなかったのって小三以来だ。」
 「大袈裟なのよ、あんたは。だから中間でちゃんとやれって、私言ったのに。優しいクラスメイトに感謝しなさい!」
 「あはは~☆ヤマはったっても、先輩に過去問見せてもらって傾向調べただけなんだけどねぇ。」
 「すげー…次もよろし…——」
 「イヤ☆面倒だもんっ。」

 梅雨明けると、一気に日差しの勢いが増した。本格的に夏が来たのだ。夏休みに向けて配られ始める、積み上げれば山が出来そうなくらい多量の課題。これを一ヶ月強でやるのかと思うとため息が出る。
 計画的な槙はページ数などを数えて一日にやろうと思う量をスケジュール帳にてきぱきとメモしていた。満流は早くも手を付けている。渚がこっそり覗いてみると、迷う事無く空欄に解答を埋め、あっという間に数ページを終わらした。それこそ、夏休みに入るまでに終わらせる勢いだ。あまりの速さに、渚は思わず長時間見入ってしまった。
 一体、こいつの頭の中はどうなっているのか。
 するする、するするとシャーペンが走り、消しゴムはほとんど使わない。計算用に出されたルーズリーフが真っ黒に染まる頃、数学の課題教材の三分の一が終わろうとしていた。
 「暇なら丸付けやってよー。」
 「え?」
 ふっと手が止まったかと思うと、机に倒れこんだ満流が恨めしげに渚を見上げる。「暇なんでしょ?」と悪戯っぽく笑う彼女の“にっ”もが愛しく思えるのは、やはり彼女が満流であると分かったからだろうか?

 結局あの日からずっと、一流も満流もお互いのことを避けている。満流が渚に勉強を教えに家に来ている時間中、彼は必ずバイトを入れるか布団の中で寝息をたてて眠っていたし、一流が教室を訪れると彼女は自然な動きで席を立った。
 二人がそんな調子なので渚は彼女のことに触れられず、「満流」とも「メグム」とも呼べない微妙な日々が続いている。
 満流。
 そう呼びたいような、今更そう呼ぶのは恥ずかしいような。一番修復が難しい時期に、引き離されたと思う。
 これが幼稚園くらいまだ関係の深くない時、或いはもっと前ならば自然と記憶が記憶として薄れていき、例え今みたいに再会しても普通に“メグム”と呼べただろう。小三くらいになると逆に、お互い仲の良い男友達、女友達ができて、思春期の幼なじみが離れていくみたいに気まずくなり、再会の時には他人の振りをしていたと思う。これは飽く迄予想でしかないが、そんな気がする。

 「俺、オマエが分かんねぇよ………。」
 不意に、口からこぼれ出た。本当に不意討ちで、他に形容の仕様がないほど“こぼれた”。渚は言った後になって自分の失態に気付き、はっとして顔を背ける。
 しばらくすると、満流は再び課題を開いて問題を解き始めた。英単語を書き並べながら、それとは全く関係のない日本語を器用に喋る。落ち着いた声。いつもより半音階低い。
 「“無知の知”ってあるでしょ?ソクラテスの。知らない方が賢いことだって……あるんだよ。ていうか、他人の全てを知ることなんて人間には出来ないしね。あたしは『よく分かんない子』。だからこそ受け容れられる事って沢山あると思う。その人の全てを知ると、知ったつもりになると、傷つく場合だってある。知らないから持てる夢もある。『分かんない』ことを自覚した佐藤は賢い。それじゃあダメ?」
 「分かんねぇよ……俺が頭悪いの、忘れたか?」
 渚が納得いかないと言うと、満流の横顔は何も言わなくなった。
 じっと見ていると、確かに満流の面影が残っている。瞳は恐らくコンタクトで隠しているのだろうが、耳や鼻の形、堀の深い目元、雄弁な口。そのまま大きくなったわけではなくても、時間がどんなに容姿や記憶を塗り替えても、幼い頃の面影はどこかしらに残るものだ。
 耳に掛けていた髪が落ちる。それを掛け直す動作。
 一瞬、胸が高鳴った。
 「宿題、早めに片付けたほうがいいよ。後回しにしてたら終わんないから☆」
 「話を誤魔化すなって。」
 「え~?」
 「いいじゃない満流。どうせバレてるんでしょ?頑なになってもしょうがない。渚、この子が満流。あんたが昔失った幼なじみ、まさか忘れてなんかないでしょう?この通り新しい人生を元気に生きてる。」
 槙が、驚くほどあっさり彼女を指差した。自棄になったのだろうか?
 「この方が単純でいい。」
 「単純って、そんな簡単に……まぁ、確かにもう隠したってしょうがないけどさ…」
 盗み見るように、満流は目尻で渚を捉える。この期に及んでまだ、彼女は恐らく他の爆弾を抱えている。それを隠そうと必死だ、という感じの素振り。
 しかし、観念したのだろう。少し周りに気を配りつつ、集中しなければ聞き落としそうなくらい、小さな声で話し始めた。
 「八年前のあの日、あたしはあのまま車で上京したの。車の中で両親の身の上や事情を聞いて、幼心に仕方ない、諦めるしかないって思った。
 で、東京に着いてすぐ、小桜のお父さんの行きつけのお店……それが槙ママのお店だったんだけど、そこで槙と会った。しばらくは落ち込んでたけど、その内慣れてきたし、モデルの仕事を始めると忙しくて寂しさも忘れてた。
 それなりに、楽しいセカンドライフを送ってたよ。…二人もちゃんと自分の人生歩んでるみたいで、良かった。」
 微笑む顔は、二人の間を通る誰かの白い制服で遮られた。彼女の視線は再び課題へと落とされる。窓越しに見える空は、清々しいほど青く、透き通り、穏やかでかわいていた。今にも蝉が鳴きだしそうだ。
 徐々に歩を速める真夏の足音。
 机の上に立ち並んだ、九割越えのテストたち。ギリギリとはいえ、欠点を免れた以上は夏休みが来る。
 こんなにワクワクする夏は何年振りだろう。渚は機嫌よく机に向かう。テストが終わり、曖昧になった公式で解く数式は愛想の一つも見せないが、それでも滑らかに動くペン。きっと解答を見た槙に笑われるだろう。それも全く構わない。

 天は渚に光を注いだ。

 七月上旬にしては暑過ぎるくらいの日差しが、グラウンドで体育をする生徒たちに降り掛かる。彼らはそれを嫌うのではないか。
 「暑い」「だるい」と言った文句が聞こえてくるようだ。勿論、そんなことなど校舎の中の人間には何の関係もない話だが。
 青空の澄んだイメージだけが心に残る。
 かすかに鼻歌が聞こえた。