*~*~~*~*~*~~*~*
【A serene daY】
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中間考査が終わり、何だかんだとしている内に次のテストが近づいていた。満流は双子の兄に自分の正体をばらしておきながら、学校では彼を避けながら生活している。渚も毎日夜通し勉強を教えてもらい、随分力を付けたようだ。
耳元でなり響く携帯のアラーム音。寝不足の身体を無理矢理起こし、制服に腕を通す。お腹が減っていなくてもご飯はお茶で流し込む。今日もまた、憂鬱な一日が始まった。
時間がない。もうじき満流が迎えにくるはずだ。
槙は自分の頬を叩いて漸く目を覚ました。
ドアの音で彼女の訪れを察知する。いつもより十分程早い到着だ。
「おはよう槙。今日も眠そうだねっ。」
教材を全て学校へ置きっぱなしにしている彼女は、いつも鞄に携帯と財布を入れるだけという身軽さで登校する。しかし今日は、それすらも持っていない。恐らく昼まで学校にいる気がないのだろう。
自由人め。呆れてため息が出た。
「おはよう。お陰様で寝不足よ。自分の体力の無さが情けない。」
「生徒会とか忙しそうだもんねぇ。首位の座奪われないよう、お気をつけください。ってね☆」
満流は笑ってその場の椅子をひき、自然とそこに座った。彼女がそうするときには、大抵ろくな話が始まらない。
「ご心配なく。その辺は抜かりありませんよー。ところで満流、今日は早退じゃなくて欠席?」
「ご名答ぉ~!槙の欠席連絡もちゃんとしといたよ☆」
やっぱりか。今日学校行かないとなると、昨日の夜更かしが馬鹿らしくて笑える。
槙も荷物を置き、満流の正面の椅子に座った。
「お母さんも旅行でいないから、気兼ねなくドーゾ?」
互いに目配せし、一度“にっ”と笑って真剣な顔になる。
「我が儘な兄貴が、言うこときかないんだよね。うっかり、アノヒト達に喋っちゃったみたい。」
「“アノヒト達”って……両親に、ってこと?」
「うん。今朝電話が来て、自分が何したのか分かってんのかってひとしきり罵られた。八年も音信不通だったくせに、余計なことすると簡単に連絡よこしてくる辺り、アノヒトらしいけどムカつく。こっちの気も知らないで、ねぇ。」
信じらんない、と口を尖らせてみせる満流。彼女がそれをすると、甘えているように見える。
「息子を大事にしてるってことでしょう。それに、会いに来なかっただけましなんじゃない?あんまり悪い方に考えないの。満流らしくない。」
「うーん……。そうなんだけど。頭で分かってても、どうしようもないものがあるわけさ。」
「うん。」
頷きながら、机の木目をなぞる。
分かるよ。その気持ち、分かる。どうにもなんない、これでいい。そう思ってるのに、心の奥深くに眠るやりきれなさを否めない。分かるよ、満流…————
誰もが持っている葛藤だった。
きっと、八年前の高橋一流は自分を殴るような気持ちで両親を許したのだろう。そんな彼を、渚は複雑な心境で見ていただろう。
“分かっている”からこそ、辛い。
「そう言えばさ、佐藤、めちゃめちゃ賢くなったよ。あたしのヤマが当たったらホントに合宿行けるかも。」
満流は冗談めかして笑うが、恐らく確信をついているのだろう。
「『飲み込みが悪い』?全然だった。スゴい吸収力だよ。さすが槙のハトコだね。」
「嘘でしょう?中間の点、二割しかなかった渚が?本気で九割採れるって?」
そんな馬鹿な話がある?
キツい目で満流を見たが、彼女はそれ以上に挑戦的な眼差しで槙を見つめ返す。「あたしは何時だって本気だよ」語らずとも全身がそう熱弁していた。
「何?結局凡人なのは私だけ?」
無意識に皮肉めいた口調になる。本当に、この子の傍にいると“何が普通なのか”分からなくなる。やめてよ、と満流は笑った。
「槙がボンジン?一年生にして常に成績トップで生徒会長の槙がぁ?才能の発揮所が違うだけだよ。佐藤の九割も、あたしの山勘あってのものだしねっ☆」
「ありがとう。でも満流が言うと、まるで嫌味ね。」
「あたしはまたベツモノだよ~。あっ。ね、ね、それよりさぁ、鬼ごっこの鬼は決まった?」
あまり褒められた話ではないが、話題転換は満流の得意分野だ。都合の悪い話になったり、嫌な雰囲気になったりし始めると、相手の見せる一瞬の隙をついては話題を替える。因みに、それができないと分かると逃げる悪癖まである。
「決定ではないけどね。テストの成績次第で入れ替えの余地はあると思う。」
「あたしの知ってる人?」
「よぉく知ってる人ばっかりよ。二年生から、有田先輩、橘先輩、石垣先輩、須木先輩、山本先輩、住田先輩、長谷川先輩。一年生から高橋くんと郁ちゃんと芦田くん。渚が来れるようなら、芦田くんと交代。」
「げぇぇえ!石垣先輩って、オト先輩でしょ?嫌だなぁ。あたしアノヒト苦手なのにぃ。」
「夏休みが楽しみね。」
槙が言うと、どこが、と満流は苦笑した。
ふと窓の外を見る。最近の雨天続きによる日照不足を補うように、日差しがさんさんと照りつけて日向と影を作っていた。向かいの店の二階に干してある洗濯物。爽やかになびく白いTシャツとエプロン。
こんな日に学校にも行かず家でゴロゴロしているなんて、何だか勿体ない気もする。
「穏やかね。平日の朝ってこんなに穏やかだったんだ……」
「あと何回……」
何かを言い掛ける満流の口が止まった。
その続きを想像してみる。
——こんな風に学校サボってのんびりできるのかな。——
——こんな梅雨がくるかな——
——あと何回——
「この風景が見れるかなぁ。」
建物と建物の間から覗く水色の空に、飛行機の尾に付く白い糸が残った。
出てきかけた言葉を飲み込んで、出来るだけ力強い言葉を探す。
「まだ先は長いじゃない。私達、まだ高校生よ。」
「あははっ。そりゃそーだ!なぁにおばーちゃんみたいなこと言ってるんだろぉ。」
そうだ、楽しい話をしよう。未来が明るくなるような、目の前に光が差すような、温かい話を。
もう梅雨が明けるだろう。テストが終われば夏休みだ。合宿がある。宿題はさっさと済ませて、海へ行こう。プールや河へ行って、キャンプをして、夜になったら花火をしよう。喉が枯れるほどカラオケで歌おう。ショッピングに出かけたら、渚たちに荷物係をさせて一日歩き回ろう。秋になったら文化祭も体育祭もある。きっと忙しくて充実した二学期になる。
華の女子高生じゃないか。
向かいの八百屋で風鈴が鳴り、なんとなく夏らしくなってきた。
「今年の夏も暑いんだろうねぇ。暑くて、忙しくて、楽しい夏になったらいいなぁ。」
「えぇ?忙しい方がいいの?」
「だって、じっとしてるのって性に合わないもん。バタバタしてた方が、後々思い返したときに楽しいよ。」
何だか満流らしくて笑えた。こう見えても彼女は貧乏性。というか、忙しければ忙しいほど心にゆとりができる。何もしていないのは何かが不安で落ち着けないのだ。勿論、何がと訊ねても首をかしげるのだが。
槙はそんな彼女が好きだ。仕事詰めで忙しいはずの時には余裕の笑みを浮かべるくせに、暇ができると落ち着かずに弱気な顔をする。どんなことも真摯に臨む。そのわりに自分のことには気を回しきれない。
頭が良くて、鋭敏で、貪欲。どこか抜けた性格。そして何より、努力家。負けを認めるに値する相手。槙が世界で唯一、心を許し信頼している存在だ。
そして、八歳の槙は誓った。
己の全てを賭けて、彼女の全てを守ると。
「心配しなくたって、忙しい夏になるでしょうよ。私、穏やかな方がいいのに。」
「意外だよねぇ。槙のそういう所。いっつもせかせか走り回ってるくせにさ。」
「お互い様よ。今でこそこうして暇してるけど、ちょっと前までは満流も毎日仕事漬けだったじゃない。」
「まぁねえ。あたしも人のことを言えた口じゃないのは確かだ~。あははは☆」
「普通高一って凄く暇な時期だと思うんだけどね。」
「あたしたちには人生で一番忙しい年になるんだろうねぇ。で、大人になったらさ、『あの頃さぁ』て笑いたい。こんな天気のいい日にのんびり空を見ながら。」
ぼんやりと浮かぶ十年後の自分。
二十五歳で、お店を継げたらいいが、料理が壊滅的に下手なので恐らく無理。バリバリのキャリーウーマン。子供も持たず一人か、優しい旦那と二人暮しがいい。平日は毎晩くたくたになるまで働いて、週末は一日中布団の中で眠りたい。月に一度か二度、満流と会って会社や今この頃の話に花を咲かせる。
どこにでも落ちてそうな、ありきたりな二十五歳。
「満流はどんな十年後を夢見る?」
手のうえに顎を乗せ、楽な態勢をとる。満流は、遠くを見るような、昔を思い出す様な目で外を眺めていた。
「十年後かあ。」
そうだなぁ、としばらく考え、ゆっくり話し始める。
「仕事…モデルやってたいな。それか、結婚して幸せな家庭を築く、かなぁ。結婚するなら子供は二人がいい。男の子だったら『ユキ』、女の子だったら『サチ』がいいな。どっちが産まれても『幸せ』の字を宛てたい。静かに、ゆったりした家庭ね。そんな中で、槙が継がないであろうこの店の店員と、二児の母を両立するの。子どもに友達ができたら、『おばちゃん』なんて言えないくらい美人ママになってやるんだから!」
「ユキにサチか。いいね。両方産まれたらどうするの?」
「あ、そこまで考えてなかった……」
「えぇ~。あり得ない話じゃないよ。双子の可能性だってあるし。」
「双子ぉ~?」
穏やかな一日が過ぎる。正午のサイレンがなり、満流が昼食を作る。店の余り物で作った有り合わせ。ご飯を食べると二階に上がり、槙の部屋で昼寝をした。数年ぶりに並んで寝る槙のベッドは狭く、結局制服を脱いでポロシャツと短パンという他人には見せられない軽装で布団を除けて寝る。
夕方、目を覚ました槙は窓を開けて大きく息を吸った。
別に空気が美味いわけではない。むしろどんよりとした、雨の訪れを思わせる匂い。もう一雨来るか。これで梅雨が明けてくれたらいいのだが。
依然として満流は子どもの様にすやすやと寝ている。疲れが蓄まっていたのだろう。起きる気配が全くない。
靴を磨るような音が複数個、だんだん近づいてくる。そう言えばもう部活のない学生達が群れを為して帰り始める頃だ。
茶髪にゆるいパーマ。着崩した制服。耳には流行りの音楽を乗せたイヤホン、熱心に携帯の文字を打つ。まるで、一人の人間をコピーしたような女子高生たち。
頭はワックスでしっかりセットし、腰パンをして足を引きずるように歩く男子高生。
十年後はおろか、明日の自分すら予想もしたことがないだろう。せいぜい「今日の晩ご飯は何だろう」とか、「出された課題をやるのが面倒だ」とかその程度。平和な国で生きる子どもの性、“ありきたりものの有難みを知らない”。
お前も同じだろうと言われればそれまでだが、何だか切ない。生と死の狭間でのみ存在し得る人たちがいることを、一体この国のどれだけの人が心に止めているだろう。南の貧困の上に北の発展が成り立っているということを、何人の学生が知っている?
夕日が落ちて行く。
穏やかな一日は、足音をたてて過ぎ去ろうとしていた。
明日からまた、コピーの一つに戻って憂鬱な朝を迎えるのだ。
【A serene daY】
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中間考査が終わり、何だかんだとしている内に次のテストが近づいていた。満流は双子の兄に自分の正体をばらしておきながら、学校では彼を避けながら生活している。渚も毎日夜通し勉強を教えてもらい、随分力を付けたようだ。
耳元でなり響く携帯のアラーム音。寝不足の身体を無理矢理起こし、制服に腕を通す。お腹が減っていなくてもご飯はお茶で流し込む。今日もまた、憂鬱な一日が始まった。
時間がない。もうじき満流が迎えにくるはずだ。
槙は自分の頬を叩いて漸く目を覚ました。
ドアの音で彼女の訪れを察知する。いつもより十分程早い到着だ。
「おはよう槙。今日も眠そうだねっ。」
教材を全て学校へ置きっぱなしにしている彼女は、いつも鞄に携帯と財布を入れるだけという身軽さで登校する。しかし今日は、それすらも持っていない。恐らく昼まで学校にいる気がないのだろう。
自由人め。呆れてため息が出た。
「おはよう。お陰様で寝不足よ。自分の体力の無さが情けない。」
「生徒会とか忙しそうだもんねぇ。首位の座奪われないよう、お気をつけください。ってね☆」
満流は笑ってその場の椅子をひき、自然とそこに座った。彼女がそうするときには、大抵ろくな話が始まらない。
「ご心配なく。その辺は抜かりありませんよー。ところで満流、今日は早退じゃなくて欠席?」
「ご名答ぉ~!槙の欠席連絡もちゃんとしといたよ☆」
やっぱりか。今日学校行かないとなると、昨日の夜更かしが馬鹿らしくて笑える。
槙も荷物を置き、満流の正面の椅子に座った。
「お母さんも旅行でいないから、気兼ねなくドーゾ?」
互いに目配せし、一度“にっ”と笑って真剣な顔になる。
「我が儘な兄貴が、言うこときかないんだよね。うっかり、アノヒト達に喋っちゃったみたい。」
「“アノヒト達”って……両親に、ってこと?」
「うん。今朝電話が来て、自分が何したのか分かってんのかってひとしきり罵られた。八年も音信不通だったくせに、余計なことすると簡単に連絡よこしてくる辺り、アノヒトらしいけどムカつく。こっちの気も知らないで、ねぇ。」
信じらんない、と口を尖らせてみせる満流。彼女がそれをすると、甘えているように見える。
「息子を大事にしてるってことでしょう。それに、会いに来なかっただけましなんじゃない?あんまり悪い方に考えないの。満流らしくない。」
「うーん……。そうなんだけど。頭で分かってても、どうしようもないものがあるわけさ。」
「うん。」
頷きながら、机の木目をなぞる。
分かるよ。その気持ち、分かる。どうにもなんない、これでいい。そう思ってるのに、心の奥深くに眠るやりきれなさを否めない。分かるよ、満流…————
誰もが持っている葛藤だった。
きっと、八年前の高橋一流は自分を殴るような気持ちで両親を許したのだろう。そんな彼を、渚は複雑な心境で見ていただろう。
“分かっている”からこそ、辛い。
「そう言えばさ、佐藤、めちゃめちゃ賢くなったよ。あたしのヤマが当たったらホントに合宿行けるかも。」
満流は冗談めかして笑うが、恐らく確信をついているのだろう。
「『飲み込みが悪い』?全然だった。スゴい吸収力だよ。さすが槙のハトコだね。」
「嘘でしょう?中間の点、二割しかなかった渚が?本気で九割採れるって?」
そんな馬鹿な話がある?
キツい目で満流を見たが、彼女はそれ以上に挑戦的な眼差しで槙を見つめ返す。「あたしは何時だって本気だよ」語らずとも全身がそう熱弁していた。
「何?結局凡人なのは私だけ?」
無意識に皮肉めいた口調になる。本当に、この子の傍にいると“何が普通なのか”分からなくなる。やめてよ、と満流は笑った。
「槙がボンジン?一年生にして常に成績トップで生徒会長の槙がぁ?才能の発揮所が違うだけだよ。佐藤の九割も、あたしの山勘あってのものだしねっ☆」
「ありがとう。でも満流が言うと、まるで嫌味ね。」
「あたしはまたベツモノだよ~。あっ。ね、ね、それよりさぁ、鬼ごっこの鬼は決まった?」
あまり褒められた話ではないが、話題転換は満流の得意分野だ。都合の悪い話になったり、嫌な雰囲気になったりし始めると、相手の見せる一瞬の隙をついては話題を替える。因みに、それができないと分かると逃げる悪癖まである。
「決定ではないけどね。テストの成績次第で入れ替えの余地はあると思う。」
「あたしの知ってる人?」
「よぉく知ってる人ばっかりよ。二年生から、有田先輩、橘先輩、石垣先輩、須木先輩、山本先輩、住田先輩、長谷川先輩。一年生から高橋くんと郁ちゃんと芦田くん。渚が来れるようなら、芦田くんと交代。」
「げぇぇえ!石垣先輩って、オト先輩でしょ?嫌だなぁ。あたしアノヒト苦手なのにぃ。」
「夏休みが楽しみね。」
槙が言うと、どこが、と満流は苦笑した。
ふと窓の外を見る。最近の雨天続きによる日照不足を補うように、日差しがさんさんと照りつけて日向と影を作っていた。向かいの店の二階に干してある洗濯物。爽やかになびく白いTシャツとエプロン。
こんな日に学校にも行かず家でゴロゴロしているなんて、何だか勿体ない気もする。
「穏やかね。平日の朝ってこんなに穏やかだったんだ……」
「あと何回……」
何かを言い掛ける満流の口が止まった。
その続きを想像してみる。
——こんな風に学校サボってのんびりできるのかな。——
——こんな梅雨がくるかな——
——あと何回——
「この風景が見れるかなぁ。」
建物と建物の間から覗く水色の空に、飛行機の尾に付く白い糸が残った。
出てきかけた言葉を飲み込んで、出来るだけ力強い言葉を探す。
「まだ先は長いじゃない。私達、まだ高校生よ。」
「あははっ。そりゃそーだ!なぁにおばーちゃんみたいなこと言ってるんだろぉ。」
そうだ、楽しい話をしよう。未来が明るくなるような、目の前に光が差すような、温かい話を。
もう梅雨が明けるだろう。テストが終われば夏休みだ。合宿がある。宿題はさっさと済ませて、海へ行こう。プールや河へ行って、キャンプをして、夜になったら花火をしよう。喉が枯れるほどカラオケで歌おう。ショッピングに出かけたら、渚たちに荷物係をさせて一日歩き回ろう。秋になったら文化祭も体育祭もある。きっと忙しくて充実した二学期になる。
華の女子高生じゃないか。
向かいの八百屋で風鈴が鳴り、なんとなく夏らしくなってきた。
「今年の夏も暑いんだろうねぇ。暑くて、忙しくて、楽しい夏になったらいいなぁ。」
「えぇ?忙しい方がいいの?」
「だって、じっとしてるのって性に合わないもん。バタバタしてた方が、後々思い返したときに楽しいよ。」
何だか満流らしくて笑えた。こう見えても彼女は貧乏性。というか、忙しければ忙しいほど心にゆとりができる。何もしていないのは何かが不安で落ち着けないのだ。勿論、何がと訊ねても首をかしげるのだが。
槙はそんな彼女が好きだ。仕事詰めで忙しいはずの時には余裕の笑みを浮かべるくせに、暇ができると落ち着かずに弱気な顔をする。どんなことも真摯に臨む。そのわりに自分のことには気を回しきれない。
頭が良くて、鋭敏で、貪欲。どこか抜けた性格。そして何より、努力家。負けを認めるに値する相手。槙が世界で唯一、心を許し信頼している存在だ。
そして、八歳の槙は誓った。
己の全てを賭けて、彼女の全てを守ると。
「心配しなくたって、忙しい夏になるでしょうよ。私、穏やかな方がいいのに。」
「意外だよねぇ。槙のそういう所。いっつもせかせか走り回ってるくせにさ。」
「お互い様よ。今でこそこうして暇してるけど、ちょっと前までは満流も毎日仕事漬けだったじゃない。」
「まぁねえ。あたしも人のことを言えた口じゃないのは確かだ~。あははは☆」
「普通高一って凄く暇な時期だと思うんだけどね。」
「あたしたちには人生で一番忙しい年になるんだろうねぇ。で、大人になったらさ、『あの頃さぁ』て笑いたい。こんな天気のいい日にのんびり空を見ながら。」
ぼんやりと浮かぶ十年後の自分。
二十五歳で、お店を継げたらいいが、料理が壊滅的に下手なので恐らく無理。バリバリのキャリーウーマン。子供も持たず一人か、優しい旦那と二人暮しがいい。平日は毎晩くたくたになるまで働いて、週末は一日中布団の中で眠りたい。月に一度か二度、満流と会って会社や今この頃の話に花を咲かせる。
どこにでも落ちてそうな、ありきたりな二十五歳。
「満流はどんな十年後を夢見る?」
手のうえに顎を乗せ、楽な態勢をとる。満流は、遠くを見るような、昔を思い出す様な目で外を眺めていた。
「十年後かあ。」
そうだなぁ、としばらく考え、ゆっくり話し始める。
「仕事…モデルやってたいな。それか、結婚して幸せな家庭を築く、かなぁ。結婚するなら子供は二人がいい。男の子だったら『ユキ』、女の子だったら『サチ』がいいな。どっちが産まれても『幸せ』の字を宛てたい。静かに、ゆったりした家庭ね。そんな中で、槙が継がないであろうこの店の店員と、二児の母を両立するの。子どもに友達ができたら、『おばちゃん』なんて言えないくらい美人ママになってやるんだから!」
「ユキにサチか。いいね。両方産まれたらどうするの?」
「あ、そこまで考えてなかった……」
「えぇ~。あり得ない話じゃないよ。双子の可能性だってあるし。」
「双子ぉ~?」
穏やかな一日が過ぎる。正午のサイレンがなり、満流が昼食を作る。店の余り物で作った有り合わせ。ご飯を食べると二階に上がり、槙の部屋で昼寝をした。数年ぶりに並んで寝る槙のベッドは狭く、結局制服を脱いでポロシャツと短パンという他人には見せられない軽装で布団を除けて寝る。
夕方、目を覚ました槙は窓を開けて大きく息を吸った。
別に空気が美味いわけではない。むしろどんよりとした、雨の訪れを思わせる匂い。もう一雨来るか。これで梅雨が明けてくれたらいいのだが。
依然として満流は子どもの様にすやすやと寝ている。疲れが蓄まっていたのだろう。起きる気配が全くない。
靴を磨るような音が複数個、だんだん近づいてくる。そう言えばもう部活のない学生達が群れを為して帰り始める頃だ。
茶髪にゆるいパーマ。着崩した制服。耳には流行りの音楽を乗せたイヤホン、熱心に携帯の文字を打つ。まるで、一人の人間をコピーしたような女子高生たち。
頭はワックスでしっかりセットし、腰パンをして足を引きずるように歩く男子高生。
十年後はおろか、明日の自分すら予想もしたことがないだろう。せいぜい「今日の晩ご飯は何だろう」とか、「出された課題をやるのが面倒だ」とかその程度。平和な国で生きる子どもの性、“ありきたりものの有難みを知らない”。
お前も同じだろうと言われればそれまでだが、何だか切ない。生と死の狭間でのみ存在し得る人たちがいることを、一体この国のどれだけの人が心に止めているだろう。南の貧困の上に北の発展が成り立っているということを、何人の学生が知っている?
夕日が落ちて行く。
穏やかな一日は、足音をたてて過ぎ去ろうとしていた。
明日からまた、コピーの一つに戻って憂鬱な朝を迎えるのだ。