*~*~~*~*~*~~*~*
【Play taG】
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「あー、もー。溜め息が出るな!お前とペアなんて!」
港には何にもない。誰かが隠れる様な場所は勿論、別の場所へ行くのに港を通ることもなさそうだ。そのくらい、何もなかった。あるのは船着き場と海、それに暑さ凌ぎになりそうな大木だけ。
大きく息を吸い込み、渚はこれからの五時間について考える。恐らく、五ヶ所のなかで此処が一番暇だろう。
「そんな嫌がんなくったっていいじゃないっすか。いいと思いますよ、カワイイ系男子。モテそう。」
「ふざけんなっ!嬉しくねえよ。」
「え、モテません?」
「ウッセーんだよ、だまれっ!」
どうやら図星らしい。怒りを煽ってしまった。
会話をしながら、渚は笑えてくる。彼らにとっての自分はこんな感じなのか。
空は快晴、深呼吸をすれば肺が潮の香で一杯になる。時々近所の河でも遭遇する、あの鼻に来る匂いだ。排気ガスの悶々とした空気は欠片も感じられない。当然、機械音もエンジンの音も駆け抜ける車輪の音もない。これが無人島かと、渚は感動した。
それにしても、本格的にする事がなさそうだ。木陰に座り込み、居眠りでも始めそうなこの“カワイイ”先輩を弄り倒すのも楽しそうだが、如何せん渚は海の匂いが好きじゃない。嫌いと言うほどではないが、側にあると段々喉に凍みてくるこの香りを、敢えて嗅いでいたいとは思わない。
散歩がてら、少し港から離れて歩き回ることにした。
どこを見ても、草、草、草、木、木、木、時々花。こりゃ田舎というより野生だな。何か危険な動物でも出てきそうだ。
そう思って生い茂る木の間から遠くの山を見た矢先、背後の方向から女生徒と思われる悲鳴が聞こえた。
「きゃあぁぁぁ!」
急いで声の方へ向かう。
「……。どうしたんすか?」
辿り着いた場所に、“危険”そうなものは何一つ無く、そこにはただ、須木に手を取られ、泣きながら踞る女の姿のみがある。
「なになに?襲っちゃった系?」
「なわけあるか!普通に捕っただけだっつの。」
「ですよねえ。むしろ逆の方が絵にな…じゃない、起こり得そう。」
女生徒の肩を支え起こし、「フォローしたつもりか?シネ、マジで。」と鋭さ皆無の複雑な表情を浮かべる“カワイイ先輩(男)”須木。渚は笑って「女の子の前でそういうこと言っちゃだめっすよ」と答える。尤も、これはいつも渚が一流や大介に言われる、冷やかしの言葉だが。
そうして気付いた。
この男、スポーツに向いてない。
嫌いなのか、単に向き不向きの問題か。“スポーツが”向いてないと言ったら言い過ぎなのかもしれない。しかし少なくとも、競技には向かない性質だろう———それが渚の感じ取った彼の内側だ。
天を仰ぎ、ぼうっとしながら奪い取ったハンカチをくるくる回す須木。誰かさんを越えるやる気の無さだ。渚は、突然彼に掛ける言葉を見失った。
彼は闘うことに向いてない。多分、自分でも気付いているだろう。もしかすると、好きですらないかもしれない。しかし、それならどうして続ける?何故わざわざ琳浚の体育科に?鳴り止まない疑問だけが、胸中を迷走する。
「俺、人と向き合うの、キライなんだよな。」
渚が迷っている間に、須木が先に口を開いた。くるくる、くるくる、水色のハンカチは回り続ける。
「なんつーの?他人と正面切って向き合って、知りたい、教えたい、みたいな感情?すげぇ嫌。そこまで他人に深入りしたくねぇし、出来ねえよ。出来たとしても、自分以外をホントに理解できる日なんて来ねえだろ。そーいう押し付けがましい気持ちが丸裸になっから、正面向き合うのは嫌いだ。横並びでいいじゃねぇかよ、って思う………とか言ってたら、親に野球チームに入れられた。しかも結構強えんだ、これが。監督も超怖えし。
何回もやめようとして、何故かやめ損ねて、成り行きに任せて、気付けばこんな所に。馬鹿だな、俺は。苦手なのに。知るとか知られるとか、勝つとか負けるとか、キライなのに。
お前、佐藤だっけ?嫌になんねえの?才能あるやつに交ざってバスケして。大介とか典型的天才質だろ。」
知る、知られる、教える、分かる、理解する、———似たようなことを、誰かから言われた気がする。渚にとって、いまいち理解が進まない内容だ。
「俺はバスケが好きだからなぁ。負けんのは嫌だけど…あ、そういう意味じゃ、大介くんとはあんまりやり合いたくないかな。でも、あの人才能なんてありませんよ。血の滲む努力の賜物でしょ、ありゃ。だから、いつか並べるかもしんねぇし、みたいな、軽い気持ちでやってますよ。俺は。」
「『好きだから』ねえ。」
「何で野球だったんすかね。あ、今からでも転部します?バスケ部に。」
「さり気なく勧誘してんじゃ…てオイ!聞けッ!」
須木の突っ込みも受け取らず、渚はすっと立ち上がった。
今までと、何かが違う。
潮の香り、風の感触、葉擦れの音———どこかに差異が生じたことを、渚ははっきり感じ取った。何が違う?昔から聴覚には自信がある。目を閉じて、息を凝らし、五感に分散されていた神経を耳に集中させる。試合で仲間の声や足音を聞き分ける時のように。
「誰か来ますね。微妙に、来たときと空気のリズムが違う。」
目を開くと、視界にはやはり野性的大自然が広がり、頭の中だけが試合中のコート内を連想している。渚が集中するための、一種の自己暗示。
「動物か、お前は。」
「ヘエ、いいもん持ってんじゃん。気付くの、遅いけど。」
呆れを交えた嘆声を吐く須木に次ぎ、聞き覚えのある声が頭上から聞こえた。
努力はしてみるものの、驚きが隠せない。まさか、避暑に使っていた大木の枝に大きな猫が眠っていたなどとは、思いもよらなかったのだ。今の今まで、気配が全くなかった。
「春野!?え、おま、いつから…」
「いつから?こっちが聞きたいね。あんたたちいつから居たわけ?折角いい寝場所見つけたのに。」
どう寝ればそんな足場の悪い場所が“いい寝場所”になるのか。
春野が立ち上がることで、枝が大きく撓んでいくらか木の葉を落ちる。正直な所、あの細い支柱がいつ折れて、ボロボロになった彼女が落ちてくるのだろうかと内心気が気じゃなかった。
しかしそんな渚の杞憂も虚しく、春野も須木も、身を案ずる様子を少しも見せない。
「つーかよく登ったな。そんな上まで。」
「登ってくれば?そんな高くないよ。」
「や、感心してる場合じゃないでしょ!春野も、律儀に答えてんじゃねえ!!」
「何イライラしてんの、短い思考回路がショートするよ。耳の良さ、折角褒めてやったのに。何の変哲もないつまんない奴かと思ってたけど、そうでもなさそうでよかった。」
春野が笑う。普段あまり笑わない上、彼女の笑みには、音や色が伴わない。口を開けることすらなく、ただ静かに表情を弛めるだけだ。ある人は「愛想がない」と言い、またある人は「切ない」と言う。満流の笑みが太陽なら、春野の笑みは月にあたる、渚はそういう印象を持っている。
「俺、お前と話してると、イライラするよ。」
「だから、あんまり考え過ぎるとショートするよ。それでなくとも賢くないのに。」
「そのネタから離れろ!」
本当にイライラする。春野を前にすると、弄られるのとはまた別の惨めさ、そして言い表わせない恐怖感に襲われる。別に大したことは言われてない。他のヤツに比べればかなり遠回しで柔らかい表現をしているのに、こいつが言うと何故か苦しい。なんだこれ。
激しい動悸の後、息を落ち着けてからもう一度頭上を見上げる。下にいる者を嘲笑うような、見下した目を捉えた。
大丈夫。春野は人間だし、恐怖の対象にする必要なんかない。
「捕まえなくていいわけ?それとも何、あたしが当たりクジひいたってこと?アンタら鬼でしょ。」
「そこまで追いかけられっかっつーの!降りて来いっ!」
「煩いヤツだね。須木先輩、こいつとペアとか御愁傷様。」
猫の様に軽やかに、近い枝に足を着きながらリズム良く降りて来た。段が変わる度、左手の中指に結ばれたハンカチがひらひら舞う。
渚は、彼女が着地に失敗しないよう、無意識に手を伸ばす———
「…なんて、ホントに自ら捕まりに行く馬鹿がどこにいんの。」
春野が差出し掛けた左手を引く。
着地の足音と同時に身を翻し、渚の視界から消えた。踵を返して後ろを向くと、挑発的に左手をふる彼女。何度腕を掴んでも、いとも容易に振りほどかれる。何度も何度も見失う。木の幹を挟んだ向こう側に影を見付け、須木と二人で挟みうちにした。
——出来てんじゃん——
須木の耳を掠める、微かな声。
横を素通りしようとする腕反射的に掴む。思いの外あっさりと、春野は抗うことをやめた。
ぴったりと立ち止まり、穴が開くほど須木を見つめた…というより、冷たい目で睨み付けた。
「理解“出来ない”んじゃない。理解“しようとしてない”んだよ。あんたのそれは、本気になって失敗するのが怖いだけ。」
中指からハンカチを外し、ぶっきらぼうに須木に差し出す。水色の生地に赤い刺繍、閃く布切れ。港は風が強い。ただの布切れが、青筋鳳蝶みたいに見えなくもない。
「もう疲れたし、暑いからいいや。先輩、イッコ教えたげる。ホントに好きで、一生懸命練習して、運もいい、コネもある……琳浚の体育科は、そういう人じゃないと入れない。好きの気持ちと努力だけでも入れないし、コネや運だけあっても受からないよ。佐藤や乙が、何で進学科なのか。そういうこと。」
成り行きだなんて、後から付けた逃げ道でしかない。そう言って、春野は彼に背を向けた。
数秒後、“カワイらしかった”顔付きがすっかり変わり、目を吊り上げた彼が走りだす。「ふざけんな」そう溢す口はしっかり笑っている。
「借りなんかいらねぇっつの!ふざけんな、テメェも必死になって逃げやがれ!」
春野を見ていると、春野の前に立つと、惨めで怖い。自分でも情けないと思う。
だが、渚はようやく原因を掴んだ。
あいつ、春野はカッコいいんだ。恐ろしいほど、強い。
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「あー、もー。溜め息が出るな!お前とペアなんて!」
港には何にもない。誰かが隠れる様な場所は勿論、別の場所へ行くのに港を通ることもなさそうだ。そのくらい、何もなかった。あるのは船着き場と海、それに暑さ凌ぎになりそうな大木だけ。
大きく息を吸い込み、渚はこれからの五時間について考える。恐らく、五ヶ所のなかで此処が一番暇だろう。
「そんな嫌がんなくったっていいじゃないっすか。いいと思いますよ、カワイイ系男子。モテそう。」
「ふざけんなっ!嬉しくねえよ。」
「え、モテません?」
「ウッセーんだよ、だまれっ!」
どうやら図星らしい。怒りを煽ってしまった。
会話をしながら、渚は笑えてくる。彼らにとっての自分はこんな感じなのか。
空は快晴、深呼吸をすれば肺が潮の香で一杯になる。時々近所の河でも遭遇する、あの鼻に来る匂いだ。排気ガスの悶々とした空気は欠片も感じられない。当然、機械音もエンジンの音も駆け抜ける車輪の音もない。これが無人島かと、渚は感動した。
それにしても、本格的にする事がなさそうだ。木陰に座り込み、居眠りでも始めそうなこの“カワイイ”先輩を弄り倒すのも楽しそうだが、如何せん渚は海の匂いが好きじゃない。嫌いと言うほどではないが、側にあると段々喉に凍みてくるこの香りを、敢えて嗅いでいたいとは思わない。
散歩がてら、少し港から離れて歩き回ることにした。
どこを見ても、草、草、草、木、木、木、時々花。こりゃ田舎というより野生だな。何か危険な動物でも出てきそうだ。
そう思って生い茂る木の間から遠くの山を見た矢先、背後の方向から女生徒と思われる悲鳴が聞こえた。
「きゃあぁぁぁ!」
急いで声の方へ向かう。
「……。どうしたんすか?」
辿り着いた場所に、“危険”そうなものは何一つ無く、そこにはただ、須木に手を取られ、泣きながら踞る女の姿のみがある。
「なになに?襲っちゃった系?」
「なわけあるか!普通に捕っただけだっつの。」
「ですよねえ。むしろ逆の方が絵にな…じゃない、起こり得そう。」
女生徒の肩を支え起こし、「フォローしたつもりか?シネ、マジで。」と鋭さ皆無の複雑な表情を浮かべる“カワイイ先輩(男)”須木。渚は笑って「女の子の前でそういうこと言っちゃだめっすよ」と答える。尤も、これはいつも渚が一流や大介に言われる、冷やかしの言葉だが。
そうして気付いた。
この男、スポーツに向いてない。
嫌いなのか、単に向き不向きの問題か。“スポーツが”向いてないと言ったら言い過ぎなのかもしれない。しかし少なくとも、競技には向かない性質だろう———それが渚の感じ取った彼の内側だ。
天を仰ぎ、ぼうっとしながら奪い取ったハンカチをくるくる回す須木。誰かさんを越えるやる気の無さだ。渚は、突然彼に掛ける言葉を見失った。
彼は闘うことに向いてない。多分、自分でも気付いているだろう。もしかすると、好きですらないかもしれない。しかし、それならどうして続ける?何故わざわざ琳浚の体育科に?鳴り止まない疑問だけが、胸中を迷走する。
「俺、人と向き合うの、キライなんだよな。」
渚が迷っている間に、須木が先に口を開いた。くるくる、くるくる、水色のハンカチは回り続ける。
「なんつーの?他人と正面切って向き合って、知りたい、教えたい、みたいな感情?すげぇ嫌。そこまで他人に深入りしたくねぇし、出来ねえよ。出来たとしても、自分以外をホントに理解できる日なんて来ねえだろ。そーいう押し付けがましい気持ちが丸裸になっから、正面向き合うのは嫌いだ。横並びでいいじゃねぇかよ、って思う………とか言ってたら、親に野球チームに入れられた。しかも結構強えんだ、これが。監督も超怖えし。
何回もやめようとして、何故かやめ損ねて、成り行きに任せて、気付けばこんな所に。馬鹿だな、俺は。苦手なのに。知るとか知られるとか、勝つとか負けるとか、キライなのに。
お前、佐藤だっけ?嫌になんねえの?才能あるやつに交ざってバスケして。大介とか典型的天才質だろ。」
知る、知られる、教える、分かる、理解する、———似たようなことを、誰かから言われた気がする。渚にとって、いまいち理解が進まない内容だ。
「俺はバスケが好きだからなぁ。負けんのは嫌だけど…あ、そういう意味じゃ、大介くんとはあんまりやり合いたくないかな。でも、あの人才能なんてありませんよ。血の滲む努力の賜物でしょ、ありゃ。だから、いつか並べるかもしんねぇし、みたいな、軽い気持ちでやってますよ。俺は。」
「『好きだから』ねえ。」
「何で野球だったんすかね。あ、今からでも転部します?バスケ部に。」
「さり気なく勧誘してんじゃ…てオイ!聞けッ!」
須木の突っ込みも受け取らず、渚はすっと立ち上がった。
今までと、何かが違う。
潮の香り、風の感触、葉擦れの音———どこかに差異が生じたことを、渚ははっきり感じ取った。何が違う?昔から聴覚には自信がある。目を閉じて、息を凝らし、五感に分散されていた神経を耳に集中させる。試合で仲間の声や足音を聞き分ける時のように。
「誰か来ますね。微妙に、来たときと空気のリズムが違う。」
目を開くと、視界にはやはり野性的大自然が広がり、頭の中だけが試合中のコート内を連想している。渚が集中するための、一種の自己暗示。
「動物か、お前は。」
「ヘエ、いいもん持ってんじゃん。気付くの、遅いけど。」
呆れを交えた嘆声を吐く須木に次ぎ、聞き覚えのある声が頭上から聞こえた。
努力はしてみるものの、驚きが隠せない。まさか、避暑に使っていた大木の枝に大きな猫が眠っていたなどとは、思いもよらなかったのだ。今の今まで、気配が全くなかった。
「春野!?え、おま、いつから…」
「いつから?こっちが聞きたいね。あんたたちいつから居たわけ?折角いい寝場所見つけたのに。」
どう寝ればそんな足場の悪い場所が“いい寝場所”になるのか。
春野が立ち上がることで、枝が大きく撓んでいくらか木の葉を落ちる。正直な所、あの細い支柱がいつ折れて、ボロボロになった彼女が落ちてくるのだろうかと内心気が気じゃなかった。
しかしそんな渚の杞憂も虚しく、春野も須木も、身を案ずる様子を少しも見せない。
「つーかよく登ったな。そんな上まで。」
「登ってくれば?そんな高くないよ。」
「や、感心してる場合じゃないでしょ!春野も、律儀に答えてんじゃねえ!!」
「何イライラしてんの、短い思考回路がショートするよ。耳の良さ、折角褒めてやったのに。何の変哲もないつまんない奴かと思ってたけど、そうでもなさそうでよかった。」
春野が笑う。普段あまり笑わない上、彼女の笑みには、音や色が伴わない。口を開けることすらなく、ただ静かに表情を弛めるだけだ。ある人は「愛想がない」と言い、またある人は「切ない」と言う。満流の笑みが太陽なら、春野の笑みは月にあたる、渚はそういう印象を持っている。
「俺、お前と話してると、イライラするよ。」
「だから、あんまり考え過ぎるとショートするよ。それでなくとも賢くないのに。」
「そのネタから離れろ!」
本当にイライラする。春野を前にすると、弄られるのとはまた別の惨めさ、そして言い表わせない恐怖感に襲われる。別に大したことは言われてない。他のヤツに比べればかなり遠回しで柔らかい表現をしているのに、こいつが言うと何故か苦しい。なんだこれ。
激しい動悸の後、息を落ち着けてからもう一度頭上を見上げる。下にいる者を嘲笑うような、見下した目を捉えた。
大丈夫。春野は人間だし、恐怖の対象にする必要なんかない。
「捕まえなくていいわけ?それとも何、あたしが当たりクジひいたってこと?アンタら鬼でしょ。」
「そこまで追いかけられっかっつーの!降りて来いっ!」
「煩いヤツだね。須木先輩、こいつとペアとか御愁傷様。」
猫の様に軽やかに、近い枝に足を着きながらリズム良く降りて来た。段が変わる度、左手の中指に結ばれたハンカチがひらひら舞う。
渚は、彼女が着地に失敗しないよう、無意識に手を伸ばす———
「…なんて、ホントに自ら捕まりに行く馬鹿がどこにいんの。」
春野が差出し掛けた左手を引く。
着地の足音と同時に身を翻し、渚の視界から消えた。踵を返して後ろを向くと、挑発的に左手をふる彼女。何度腕を掴んでも、いとも容易に振りほどかれる。何度も何度も見失う。木の幹を挟んだ向こう側に影を見付け、須木と二人で挟みうちにした。
——出来てんじゃん——
須木の耳を掠める、微かな声。
横を素通りしようとする腕反射的に掴む。思いの外あっさりと、春野は抗うことをやめた。
ぴったりと立ち止まり、穴が開くほど須木を見つめた…というより、冷たい目で睨み付けた。
「理解“出来ない”んじゃない。理解“しようとしてない”んだよ。あんたのそれは、本気になって失敗するのが怖いだけ。」
中指からハンカチを外し、ぶっきらぼうに須木に差し出す。水色の生地に赤い刺繍、閃く布切れ。港は風が強い。ただの布切れが、青筋鳳蝶みたいに見えなくもない。
「もう疲れたし、暑いからいいや。先輩、イッコ教えたげる。ホントに好きで、一生懸命練習して、運もいい、コネもある……琳浚の体育科は、そういう人じゃないと入れない。好きの気持ちと努力だけでも入れないし、コネや運だけあっても受からないよ。佐藤や乙が、何で進学科なのか。そういうこと。」
成り行きだなんて、後から付けた逃げ道でしかない。そう言って、春野は彼に背を向けた。
数秒後、“カワイらしかった”顔付きがすっかり変わり、目を吊り上げた彼が走りだす。「ふざけんな」そう溢す口はしっかり笑っている。
「借りなんかいらねぇっつの!ふざけんな、テメェも必死になって逃げやがれ!」
春野を見ていると、春野の前に立つと、惨めで怖い。自分でも情けないと思う。
だが、渚はようやく原因を掴んだ。
あいつ、春野はカッコいいんだ。恐ろしいほど、強い。