『結局世の中、金だよ、金。』
それが綺羅の口癖。
綺羅はいつも能天気なふりをして、負けず嫌い。
気付け、綺羅の発するエス、オー、エス、に。気付け、俺。


高校生の俺たちが、学校に向けてだらだらと歩く。秋、と言っても、略夏の気温に均しい。37度は9月中旬の気温じゃないと思う。汗で制服のカッターシャツが身体に貼りつくのが気になる、苦手な季節。
珍しいことではないが、綺羅は俯き加減に歩いていた。
「うー…キモチワルイ……二日酔いだ…元樹、助けて…」

神田綺羅と初めて会ったのは、中学の部活だった。顔はいいけどズレた感覚の持ち主、そういう印象。綺羅は後輩だったけど、そのズレた部分が気に入って友達になり、そのままぐだぐだと友達を続けて、気付けば切るに切れずにここまで来た。
放っとくこともできるはずなのに、何故か俺は綺羅を無視できない。

外は暑くて、バス停までの徒歩が億劫になる。早くちゃんとした秋が来たらいいのに、そう思う。
「こら未成年、学生が堂々と二日酔いとか言ってんじゃねーよ。」
「だって、飲まされたんだもん。あの男、もうやだ。別れる。」
「一昨日付き合い始めたばっかだろ!だからやめとけっつったんだ。」
「言ってたっけ?」
「相手の方にな。」
「ワー、ヒドーイ。」
「だって俺の知る限り、綺羅は付き合った彼氏と2ヶ月も保ったことが無い。びっくりするほど短気だ。気持ちが無い。相手が可哀想だ。」
あー、言い返せないね、と言って綺羅は俺の半歩前に出た。汗で背中が湿って、シャツが薄ら透けている。自覚はあるだろうけど、無用心な本人は気に留めている様子が無い。本当早く、秋が来てほしい。
満員のバスに乗ってから満員のJRを乗り継ぎ学校まで、綺羅は毎日最低二回の痴漢に遭う。帰りはナンパ。俺が傍に居てもこれだから、放っとくに放っておけなくなった。そんなわけで中1から高2まで、毎朝送り迎え。
痴漢もそうだが、綺羅は今現在の自分の身に降り掛かっていることについては重きを置かない。いつも、先を先を見ているのだ。
『将来実業家になって、お金持ちの幸せライフをエンジョイするんだら。やっぱ世の中金だよ。』
三年前、先輩からのイジメで髪を切られたときに言っていた綺羅の言葉。
「そいやお前、また学校でイジメに遭ってんだって?」
「あー、あんなの。イジメの内に入れないよ。むしろ体操着ないからって、体育の授業サボるいい口実になってる。」
体操着が無くなったのか、或いは破られたか、どっちにしても、穏やかな話じゃない。
なのに、やっぱり綺羅はけろっとしていて、「ちょー暇人だよね」なんて言って笑う。
「『金持ちなんだから買え』って、言われる?」
「言われる。にっこり笑って『体育に授業を受ける価値を見出だせないんで、いいです。』って言ってやった!冗談じゃない。親の金で自分のもの買うなんて。自力で稼いで、自分のお金で買うっての。」
綺羅の家は金持ちを象徴するような広さと形をしていて、誰もが綺羅を金持ちだと思っている。確かに綺羅の見た目は派手で、豪華で、その家の人間に相応しい身なりだ。
でも、綺羅自体は金持ちでもなんでもない。
ただの“お荷物”。それがあの家での綺羅の扱いだ。他人に言わないだけで、自分のものは全て自分で揃えるし、ご飯も自分の分は自分で作って食べる。昔から、両親に保護されるのが嫌いだった。

「だからと言って援交が許されるわけではありませんよ、お嬢サン?」
「だって手っ取り早いんだもーん。なにー?まだ先週のこと怒ってんの?約束すっぽかしたから?お見舞い行かなかったから?言っとくけど、風邪くらいじゃ誰も元樹なんかのとこに、お見舞いなんか行かないよ?」
「そうじゃなくて、自分を大切にしろってこと。普通のバイトをしろ、普通のバイトを。」
面倒だなあ。綺羅が口を尖らす。

「あ、元樹。綺羅ちゃん来たよ。」
「あいつ……」
昼休憩。自由人綺羅、他学年にも関わらず、俺の教室に当然の如く入ってくる。
「元樹~い。聞いてー。彼氏出来た~。」
「友達作れ!彼氏の前に友達を!どうせ集るつもりでオッケーしたんだろ!」
俺が怒鳴ると、教室内に笑いが起こる。
だから嫌なんだ。笑い事じゃない。綺羅は、友達を作らなきゃいけない。
「友達いるじゃん。元樹友達じゃないの?」
「俺、来年はいねぇんだからな!?」
「あー…そっかぁ。大学生になるんだもんねえ。合格すれば。」
……こいつ。
ふと首筋に目をやった瞬間、全身に鳥肌が立った。背筋が凍り付く。

赤い…

「綺羅…首……」
「…?ああ、これ?大丈夫、擦っただけ。」
それは、明らかに尖ったもので傷つけた跡だった。深くはないが、じんわり血が滲んでいる。
「大丈夫じゃねえだろ!」
「大丈夫だってー。大袈裟だなー。」
「や、それは駄目だ!酒より、援交より駄目だ。誰にやられた?」
「後ろの席の子。プリント回すのに、うっかり首擦っちゃったの。ほんとうっかりだよ。元樹が心配してるようなことは、何にもない。」
「でもっ―――」
綺羅が笑う。キラキラしたアクセサリーをつけ、バッチリ化粧をした綺羅。蝶を誘う花のように、鮮やかで艶やかなその笑顔に、残念ながら黙ることしか出来なくなった。

可愛くて、人懐っこくてモテる綺羅。その反面、嫉妬に燃える女子と闘い、卑劣な親からの言葉を甘んじて受けている。利口でない、損な性格。
どうしたら良かった?

どうすれば、彼女のSOSに応えてやれるんだ?

その日綺羅は、俺が迎えに行くより早く教室を後にし、一人で家路を辿っていた。家に帰ると、何故か鍵が開いていて、誕生日でもないのに巨大なケーキが俺を出迎える。近くのケーキ屋の誕生日ケーキで、綺羅が気に入っている、あの店で一番高いケーキ。
『結局世の中金だよね!
美味しいもの食べるにも、奇麗なアクセ付けるにも、髪を染めたりお洒落にするにもお金。
美人になるには金しかない!最悪、整形すりゃいいもん。
お金あったら友達も出来るし、男も寄ってくる。お金は、何でも買える。』
ショーウインドウに並ぶこのケーキを目にするたび、何度も何度も聞かされた。
分かってる。そういうことじゃないし、間違っていることは本人も分かってる。…多分。
「綺羅!!!」
家の階段を駆け上る。
部屋のドアを開くと、ベッドの上で丸くなる綺羅の姿があった。
「綺羅、どうした?何かあった?」
「……ねえ元樹、どうして人の心はお金で買えないんだろう?どうして勇気はお金で買えないんだろう。」
震える声が訊ねる。繰り返し、繰り返し、「どうして」と。
「綺羅、落ち着け。俺は綺羅の味方だよ。何があった?」
「彼…彼氏が言った。『お前は心のない人形だ、金に溺れたロボットだ』って!
……ただ、元樹みたいに笑って欲しいだけなのに…沢山の人に囲まれて、笑いかけて欲しいだけなのに……」
「綺羅……」
幸せになってほしいと思う。お金に頼らなくとも、酒や性欲が無くとも笑えるようになってほしい。
「綺羅、俺は…綺羅は綺羅のままでいいと思う。あの家に住んでいながら略自力で生活してるとこなんか、最高にカッコいいと思うし、頑張ってる綺羅は、可愛いよ。
ただ、綺羅は自分から相手との間に一線引くから、直すべきはそこだろ?
気持ちは“商品”じゃないから、金じゃ買えない。努力の対価として得るもんなんだよ。」

いつだったか、言われた事がある。
『神田綺羅は、お前が好きなんじゃないか?』
言っておくが、その確率は100パーセント有り得ない。俺は綺羅の友達だ。親友と言われても構わない。でも、それ以前に……。

「はじめは上手くいかなくても、大丈夫。分かってくれる奴が絶対いるから。それに、誰に何言われたって俺は綺羅の兄貴で、友達だよ。」

母親は、俺を1人で育て上げた。結婚もせず、誰かに養ってもらうこともなく。父親はどこやらの社長で、美人の妻と俺のひとつ下の女の子がいると聞いたことがあった。俺がそうなるはずだった、名字と共に。
今でも覚えている。あの時の羨望に満ちた母親の顔。
『神田くん…』
母親はしっかりしていて今の生活にも不自由ひとつない。十分幸せだ。だから、綺羅にも……―――

「がんばるよ。元樹。元樹が留年しなくてもいいように。」
「だから、なんで留年することになってんだ!俺は浪人も留年もしねえぞ!!」



生意気なドール。
きっと、これから沢山の人に抱きしめられるだろう。
それ迄は、愛の代わりに何度でもその名を呼ぼう。

綺羅。
素直じゃない、強がりなドール。